7.(2)
学校に着くと、いつもと変わらない時間が過ぎていった。
音羽は一人で時間を過ごし、友人の多い涼は人に囲まれて時間を過ごす。その間、涼が音羽に話しかけてくることは一度もなかった。
普段から学校ではあまり話しかけてこないが、一言も話さないということは珍しい気がする。そのかわり、彼女から視線を感じることが多かった。
きっと期待しているのだろう。音羽が自ら、すべて打ち明けることを。
しかし、やはりまだ話すことはできない。これは音羽だけの問題ではないのだから。
音羽は彼女の視線に気づかないふりをしながら授業を終え、下校時間になるとすぐに教室を出た。そのときですら、背中には涼の視線を感じていた。
見なくても分かる。きっと彼女は悲しそうな顔をしているのだろう。
そう思うと胸の奥がチクリと痛んだ。
寮に帰ると、ベッドに仰向けに寝転んでスマホを見ていたらしい瑠衣が「おかえりー」と視線だけを音羽に向けた。
「ただいま。学校は?」
「行った。けど、昼で早退した。で、寝てた」
「それ、行った意味あるの?」
音羽は苦笑しながら鞄を置くと私服に着替える。
「行ったことに意味があるんだよ」
瑠衣は身体を起こして背伸びしながら言う。どうやら目の腫れも引いたようだ。顔色も良い。彼女は着替える音羽を不思議そうに見ながら「どっか行くの?」と首を傾げた。
「うん……」
音羽は少し迷ってから「理亜に会う」と告げた。瞬間、瑠衣が目を大きく見開いてベッドから飛び降りた。
「今から? どこで?」
「海辺の公園」
「海辺の……?」
「ほら、あのタブレットに残ってた画像の」
それを聞いて思い出したのか、彼女は「ああ、あそこか」と頷く。
「近いの?」
「まあ」
「そっか」
言いながら瑠衣は窓に向かうと、そこに置いていた靴を手にした。聞くまでもなく一緒に行く気のようだ。音羽は笑って「じゃ、外で」と部屋を出た。
廊下には帰寮した生徒たちの緩くも和やかな雰囲気が広がっている。音羽は自然と涼の姿を探していた。しかし、まだ帰ってきていないらしい。ホッとしたような、申し訳ないような。そんな複雑な気持ちを胸に抱えたまま、音羽は瑠衣と合流して海辺の公園へ向かった。
公園についた頃は、すでに夕方だった。晴天であれば真っ赤な夕焼けが綺麗な時間帯だろう。しかし今日は曇天。見上げた空は薄暗く、目の前に広がる海もどんよりと濁っているように見えた。
「理亜、まだ来てないな」
瑠衣が公園を見回しながら呟くように言う。音羽は頷き「待ってよう」と近くのベンチに腰を下ろした。
「ああ」
瑠衣は頷き、隣に座りながら浅くため息を吐いた。ちらりと見た横顔はなぜか沈んでいるようだ。
「……どうしたの」
「いや、なんで理亜は俺に連絡くれないんだろうと思って」
言いながら彼女はぼんやりと暗い海へ視線を向けた。音羽は答えるべき言葉が思いつかず、瑠衣と同じように海に目を向ける。
平日だからだろうか。公園に人の姿は少ない。天候のせいもあるのかもしれない。近所に住んでいるのだろう老人が犬を散歩させながら目の前を通り過ぎていく。
湿気を含んだ潮風は秋らしくもなく肌にまとわりついてくる。不快感と共に込み上げてくるのは不安。
理亜と会って、果たして何を告げられるのか。
そのことを考えると不安でたまらなくなってくる。それはきっと瑠衣も同じなのだろう。隣で浅く息を吐く音が聞こえた。そのとき、背後で「あれ?」と聞き慣れた声が響いた。振り返ると黒いキャップを目深に被ったパーカー姿の少女が立っていたが、顔がよく見えない。
「理亜?」
「うん。ごめん。ちょっと待たせたね」
彼女はそう言うと首を傾げながら「瑠衣も来たんだ?」と近づいてくる。
「そうだよ。悪いかよ」
「んー? なによ、瑠衣。ご機嫌ななめ?」
理亜は言いながら後ろから瑠衣の首に腕を回して抱きついた。瑠衣は「別に、そんなんじゃない」と恥ずかしそうにそっぽを向く。
「瑠衣、まだ音羽のとこにいるの?」
「……うるさいな。いいだろ、別に」
理亜はフッと笑うと「迷惑、かけんなよ?」と瑠衣から離れた。
「かけてねえよ」
「だといいけど」
理亜は苦笑しながらベンチの前に立つと音羽を見つめてきた。音羽も無言で彼女を見上げる。生ぬるい風が音羽たちにまとわりつくようにして通り抜けていった。
理亜はパーカーのポケットに両手を入れると「助けるの?」と静かな声で言った。昨日の電話での会話の続きだろう。音羽は頷く。
深く、はっきりと。
「……何も思わないの?」
そう言った理亜の言葉の意味がわからず、音羽は首を傾げた。
「人殺し」
呟くように言った彼女はまっすぐに音羽を見つめながら続ける。
「わたしは殺人犯だって言ってるんだよ。それなのに、何も思わないわけ?」
「人越しは、悪いことだよ」
音羽はゆっくりと言葉を吐き出す。理亜はわずかに眉を寄せて頷いた。
「そうだね。悪いことだ。うん……。とても、悪いことだよ」
噛みしめるように理亜は言う。音羽は彼女を見つめた。
苦しそうだ。
何かに耐えているように彼女は視線を俯かせている。
「でもわたし、ちゃんと聞いてなかったから」
音羽の言葉に、理亜は視線を上げて不思議そうな表情を浮かべた。その顔はまるで幼い子供のように綺麗で無垢に見える。
そんな彼女を見つめながら音羽は一度深く息を吸い込み、そして言葉を続けた。
「本当に、殺したの?」
理亜はピクリと眉を寄せ、そして瑠衣へ視線を向けた。彼女はじっと座ったまま理亜の答えを待っているようだ。視界の端で彼女が膝の上で拳を握ったのがわかった。
やがて浅いため息が波の音に混じって聞こえた。
「殺した。わたしは、殺した――」
呟くように繰り返しながら理亜は一度視線を俯かせ、そして何かを決意したように音羽を見つめた。
「わたしは殺して、殺されたんだよ」
「なに、それ……」
音羽は眉を寄せる。
「どういう意味だよ、それ」
瑠衣もまた、同じように眉を寄せて理亜を見上げている。理亜は音羽から瑠衣へ視線を移すと、どこか諦めたような笑みを浮かべて背負っていたバックパックのファスナーを開ける。そのとき、ふいに「え、崎山さん?」と声がした。驚いて反射的に声がした方へと顔を向ける。
そこには制服姿の涼が呆然とした様子で立っていた。
「――下村? 誰もいないこと確認したのに、なんで」
舌打ちと共に理亜は呟きながらキャップをさらに深く被る。涼はそんな彼女には気づかないのか「崎山さん、なんでこんなところにいるの?」と近づいてきた。そして理亜の隣に立つと「え、誰?」とその顔を覗き込む。理亜は顔を背けたが、どうやら無駄だったようだ。
「ウソ……」
涼は目を大きく見開いた。
「あなた、宮守さん? え、なんで? 本物? そんなはずないよね。だってあなたのお葬式だって――」
混乱した様子の涼の声が公園に響き渡る。理亜は慌てて「ちょっとうるさい」と素早く涼の口を手で塞いだ。
「静かにしてくれない?」
涼の耳元で理亜が低く言う。
苦しいのだろう。涼は理亜の腕をバンバン叩きながらもがいている。
「静かにする?」
涼が何度も頷いたのを確認して理亜はそっと手を離した。
「ちょっと、鼻まで押さえることないんじゃない? 死ぬかと思ったんだけど」
「そりゃ悪かったね」
悪びれた様子もなく理亜は謝る。涼は何度も大きく肩で息を繰り返しながら「昨日も同じようなことされた気がする」と呟いた。理亜が問うように音羽を見てくる。音羽は苦笑して「それより」と立ち上がった。
「なんで下村さんがここに?」
「お前、まさか音羽をストーカーしてんじゃないだろうな」
瑠衣もその場に立ち上がりながら疑わしそうに涼を見ている。涼は不愉快そうに顔を歪めた。
「そんなことするわけないでしょ」
「いや、信じられないね」
「なんでよ!」
「お前、監視魔だもん」
すると涼は深くため息を吐いて「実家が近いのよ」と言った。
「実家? ほんとか?」
「だから、なんでウソつく必要があるの。向こうの横断歩道を渡った先にあるの。家、今は誰もいないから空気の入れ換えに来たんだけど、喉渇いちゃったからコンビニに行こうとしてたところ」
でも、と音羽は首を傾げる。
「下村さんって理亜と同じ中学だよね? 地元ってここじゃないんじゃ……?」
「ああ、中学までは祖父母のところにいたから」
「そうなの?」
「うん。うち、親が海外赴任してるから。義務教育の間は祖父母のところにお世話になってたの。実家も祖父母が管理してくれてて、だけど二人とも高齢だからあまり甘えられないと思って、高校はこっちを選んだの。家の掃除とかなら、わたし一人でもなんとかできるから」
「へえ……」
そう声を漏らしたのは瑠衣だった。彼女は意外そうな表情で涼を見ると「お前、わりとしっかりしてんのな」と言う。
「なに目線の言葉なの? それ」
涼は嫌そうに顔をしかめると「それで?」と腕を組んで理亜へ顔を向けた。
「宮守さん、あなた本物なの?」
しかし理亜は答えず不思議そうな顔で「瑠衣のこと知ってんの?」と言った。
「え? ああ、うん。昨日、崎山さんの部屋にいるところを見つけたから」
「ふうん……」
理亜が呆れたような表情で瑠衣を見やる。瑠衣は肩をすくめた。
「学校にはバレてないから平気だって」
「いや、ていうか、そんなことはどうでもいいのよ。ねえ、宮守さん。あなた本当に本人なの?」
はぐらかされたと思ったのだろう。涼がグイッと理亜の肩を掴んだ。しかし、理亜は彼女から顔を逸らしたまま俯いてしまう。
「……崎山さんの様子がおかしかった原因って、あなただったのね」
それでも理亜は答えない。涼は理亜の肩から手を離さないまま「わたし、知ってるからね」と強い口調で続けた。
「あなたとそっくりな、香澄美琴っていう子のこと」
その瞬間、理亜がパッと顔を上げた。そして彼女の手を払いのけると「音羽?」と鋭い視線を音羽へ向けてきた。
「勘違いしないで」
涼が再び理亜の肩を掴む。そしてグイッと自分の方へと理亜を振り向かせた。
「わたしが勝手に調べたの。まあ、崎山さんに香澄美琴っていう名前の子を知らないかって聞かれたことがきっかけだったけど」
理亜は眉間に皺を寄せて涼を睨んでいたが、その視線をゆっくりと音羽へと移した。音羽は「ごめん」と謝る。
それしかできない。まだ事情を知らなかったときのことだ。それでもきっと、理亜は音羽以外には知られたくなかったのだろう。たとえ香澄美琴という名前だけであっても。
「……ったく」
理亜はため息交じりに呟くとキャップのツバに手をやって顔を俯かせる。
すぐ近くを観光客らしき女性二人組が通り過ぎて行った。二人が離れるのを待ってから、涼は「話してくれない?」と静かに口を開く。
「どうしてあなたが生きてるのか。どういう状況なのか」
理亜は俯いたまま「ここじゃ嫌だ」と息を吐くように言う。
「人がいないところがいい」
涼は理亜の肩から手を離すと周囲を見渡した。音羽も同じように視線を周囲に向ける。
さっきよりも少し人の数が増えた気がする。ちょうど飼い犬の散歩コースにでもなっているのだろう。犬を連れた者が多い。音羽たちのような女子高生が、この時間に集まっているのは珍しいのかもしれない。時々こちらへ視線を向ける者もいるようだった。
「わかった」
涼は頷くと一歩先へと足を進める。
「わたしの家ならいいでしょ? 誰もいないから」
その言葉に理亜は微かに頷く。そして無言のまま、涼の後ろに続いて歩き出した。




