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5.(4)

 翌日、起床するとスマホに瑠衣から待ち合わせの時間と場所を指定するメッセージが入っていた。それを確認した音羽はいつものように食堂で朝食を済ませて私服に着替える。そして登校時間が過ぎるのを待ち、窓からこっそりと抜け出した。

 瑠衣が出入りしているのを見ていたので簡単だろうと思ったのだが、思いのほか窓の位置が高くて難しい。やはり瑠衣は運動神経がかなり良いのだろう。

 学生がいない平日の朝。音羽は電車に揺られて待ち合わせの駅に向かった。到着した時刻は指定の時間より少し早い。まだ瑠衣は来ていないだろうと思ったのだが、改札を出た先にはイヤホンをつけてスマホを見ている彼女の姿があった。

 瑠衣は音羽を見つけるとイヤホンを外して「よう、早いな」と手を挙げる。気のせいか、その表情には力がないように見えた。


「なんか、疲れてる?」


 思わず訊ねると、彼女は疲れた顔で笑った。


「まあ、寝てないし」

「え、でも帰ったんでしょ? 家に」

「帰った。で、今日のことを伝えてすぐに出てきた」

「なんで」

「だってあの家、落ち着かないんだもん。ネカフェでダラダラしてたら朝になってたわ」


 瑠衣は肩をすくめる。音羽は苦笑しながら「ネカフェって、中学生でも一泊できるもんなの?」と首を傾げる。


「年齢なんて、どうにでもなるんだよ」

「あー、ダメなやつだ。それ」

「バレなきゃいいの。ほら、さっさと行くぞ」


 瑠衣はスマホをパーカーのポケットに入れると歩き出した。


「ご飯は?」

「コンビニで食べた」

「もっとちゃんとしたもの食べないと大きくなれないよ?」


 すると瑠衣は嫌そうな顔で振り返った。


「ケンカ売ってんのか?」

「ううん。純粋に心配してる」


 真顔で答えると彼女は舌打ちをして前を向いた。


「……余計なお世話だよ」

「今日のお昼はファミレスでちゃんとしたご飯を食べようか。奢るし」


 すると、深いため息が聞こえた。


「ファミレスがちゃんとしたご飯なのかよ」

「少なくともコンビニとかカップ麺とかよりはマシだと思う」


 瑠衣はしばらく考えるように音羽を見つめていたが、やがてフッと微笑んで視線を前方へ戻した。


「ま、奢りなら行ってやらないでもない」

「素直じゃないなぁ」


 そんな会話をしながら辿り着いた瑠衣の家は、閑静な住宅街にある普通の一軒家だった。

 香澄家ほどの豪邸ではないが、とくに小さいというわけでもない。その門の前で立ち止まった瑠衣は神妙な面持ちで家を見上げた。


「お母さんがいるんだよね?」

「ああ。父さんは仕事だから」

「心の準備は?」

「お前の方こそ、大丈夫かよ」


 瑠衣が窺うように音羽を見た。音羽は笑みを浮かべて頷く。

 この門の先へ進んでしまえば後には戻れない。そのことに、きっと瑠衣も気づいている。自分たちがしようとしていることは、殺人の隠蔽工作のようなものであることに。


「間違ってないよな」


 瑠衣はまっすぐに音羽を見つめながら言う。音羽も彼女を見返しながら「わからない」と正直に答えた。


「でも、やるんでしょ?」

「ああ。俺たちが理亜を助けるんだからな」


 瑠衣がニヤリと笑う。音羽も笑って頷き、そして宮守家へ視線を向けた。


「行くぞ」


 瑠衣が門に手をかけるた。そしてゆっくりと開いた門の中へ、音羽は足を踏み入れた。





「ただいま」


 いつもより低い瑠衣の声が玄関に響く。しかし、返事はない。それでも構わず瑠衣が玄関を上がったので音羽もそれに続く。

 瑠衣が入った部屋はリビングだった。

 洋風の家具が揃えられた部屋の隅には、部屋の雰囲気には似合わない仏壇が置かれてある。音羽の視線は自然とそこに置かれた写真に向く。それは葬儀のときに見た理亜の笑顔だった。息を吸い込むと、ほのかに線香の香りがした。


「あ、母さん。連れてきたよ」


 瑠衣の声に振り返ると、廊下から彼女の母親が現れた。記憶にあるよりも痩せたように見える母親は頬がこけ、やつれているようだった。

 彼女は音羽を見ると「瑠衣から聞いています。話があるとか……」と挨拶もなくそう言った。音羽は頷き、そして仏壇へ視線を戻す。

 すでに納骨は済ませたのだろう。そこに骨壺らしきものはない。しかし、埋葬されたのは理亜ではない。香澄美琴だ。

 宮守家の墓に入った彼女はどんな気持ちだろうか。まさか自分が知らない家の墓に入るとは思いもしなかっただろう。いや、きっと自分が死ぬとすら思っていなかったはずだ。

 可哀想だと思う。けれど、音羽は彼女が理亜ではないということを告白する気はまったくなかった。だからせめてその懺悔だけでもしたい。

 そんな身勝手な気持ちから、音羽は「先に手を合わせてもいいですか?」と訊ねていた。瑠衣の母親は無表情に頷く。ちらりと瑠衣を見ると、彼女は複雑そうな表情で理亜の遺影を見つめていた。

 音羽は仏壇の前に正座をして両手を合わす。美琴の、せめてもの成仏を願って。


「……それで、お話というのは?」


 音羽が手を下ろすのを待ってから母親は言った。そしてテーブル横に置かれた一人用のソファに腰を下ろした。音羽は一つ大きく呼吸をすると「単刀直入にお聞きします」と口を開いた。


「理亜さんは自殺したと思いますか?」


 すると母親は表情を強ばらせて「あなた、なんてことを!」と声を荒げた。しかし、音羽は冷静に彼女を見つめながら「わたしはそう思ってます」と続ける。


「理亜さんから聞いたんです。彼女が、本当はこの家の子供じゃないって」

「なにを言ってるの! そんなこと……」


 母親の視線が瑠衣に向けられる。瑠衣は無表情に母親を見返すと「俺も知ってるから」と低い声で言った。


「瑠衣、どうして――」

「理亜さんは本当は香澄家の娘だったんですよね? あなたの本当の娘が生まれたのと、ほとんど同じ時間に生まれた双子の一人」


 母親の視線が音羽に向けられる。音羽は彼女を見つめながらゆっくりと言葉を続けた。


「あなたの娘は病院側のミスで死んだ。だけど病院側はミスを隠したかった。そして理亜さんの本当の母親は香澄医院の院長の愛人。まだ若く、立場的にも双子を育てることができない。そこで双子の一人を、死んでしまった子の代わりに差し出したんですよね。代償として」


 しかし、母親は「どういうことなの、それは」と眉を寄せた。


「どういうって……。え?」


 音羽は思わず瑠衣と目を合わせる。瑠衣も動揺した様子で「だって、理亜がそう言ってたんだ」と言った。


「自分は本当の両親の保身のために売られたんだって」


 母親は口元に手を当てると「あの子、そんなことを――」と呟いた。そして悲しそうに目を伏せる。


「たしかに、わたしたちの長女は生まれてすぐに亡くなってしまった。だけどそれが病院側のミスなのかどうか、わたしたちにはわからなかった」


 言ってから彼女は「いえ」と小さく頭を振った。


「知ろうともしなかったのかもしれない。あのときのことは、正直あまり覚えていなくて。ただひどく取り乱して泣きわめいていたことは覚えてる。夫も一緒になって泣いて落ち込んでいてね。そんなわたしたちに香澄先生は提案してくれたの」

「提案、ですか」


 彼女は頷く。


「双子の一人を引き取ってくれないかって」

「……それで、二つ返事でもらったのか。子供を」


 瑠衣が避難するように言う。母親は瑠衣を見つめ、そして「そうかもしれない」と答えた。


「かもって、なんだよ」

「その提案がされたとき、もうわたしはあの子を抱いていたから。自分の娘として。あの子こそが、わたしたちの娘なんだって。そう心から思ってた、もし先生がその提案をしなかったら、わたしはあの子を誘拐してたかもしれない」


 音羽は眉を寄せる。母親はそんな音羽を見て力なく微笑んだ。


「それほど、わたしたちは子供が欲しかったのよ」

「……死んでしまった子はどうなったんですか?」

「わからない」


 母親は力なく項垂れながら首を左右に振った。


「わからないって……。なんだよ、それ。母さんが産んだのに、わからないわけないだろ!」


 不愉快そうに瑠衣が声を荒げる。しかし、母親は冷静な様子で「たしかにね」と頷いた。


「でも、本当にわからないの。わたしはあの子を見ていないから。難産で、帝王切開だった。あの子がお腹から出てきたとき、わたしは意識を失っていて……。目が覚めたら、もうあの子はいなかった。もしかすると死産だったのかもしれない」

「……たしか、死産だったら出生届は出さない」


 音羽はどこかで見た情報を思い出して呟く。母親は頷いた。


「だから、わたしにとっては理亜が、あの子こそが本当の娘なの。難しい手続きとかは全部先生がやってくれてね。ちゃんと弁護士さんを通して手続きをしてたから、違法なことなんてなかったはず。理亜のことは、先生たちの保身の為なんかじゃなかったのよ」

「でも、金もらったって聞いたぞ?」

「そんなことまで……」


 母親は小さく息を吐くと頷いた。


「たしかに、理亜の養育費として頂いたわね」

「慰謝料じゃなくて? 口止め料とか」

「そんなわけないでしょう。先生たちは、理亜にも双子の姉と同じくらいの教育を受けさせてあげたいんだって言って。最初は断ってたんだけど、どうしてもと言うから。でも、その一回だけよ。それ以降の申し出は断ってきた。だってあの子は、うちの子なんだから」


 彼女は微笑みながら理亜の遺影に視線を向けた。


「だけど、そう……。あの子、そんなに悩んでたのね。お母さん、全然気づいてあげられなかった」


 呟く母親の瞳から涙がこぼれ落ちる。瑠衣は、そんな母親から顔を背けながら「気づいたところで、事実は変わんねえだろ」と低い声で言った。


「母さんの良いように言ってたけどさ、結局は理亜を身代わりにしたってことだ。本当は香澄家で生きていくはずだった理亜の人生を奪ったんだ」

「それは――」


 母親は何かを言いかけ、しかし言葉を呑み込むようにして涙を流す。


「……泣いてんじゃねえよ」


 感情を押し殺したような理亜の声。音羽は彼女を見つめ、そして母親に視線を移すと「理亜が自殺したことも、変わらない事実です」と静かに言った。母親の目が音羽に向けられる。


「……警察、まだ動いてることは知ってますか?」

「ええ」

「それ、もう止めてもらったほうがいいと思うんです」


 音羽が言うと、母親は「どうして?」とぼんやりと呟いた。悲しそうに涙を流しながら。

 音羽は自分の胸に手をあてる。胸のどこかがズキズキと痛んで苦しい。

 この母親は理亜のことをちゃんと愛していた。本当の子供として愛情を注ぎ、育ててきたのだ。決して悪い人間ではない。

 音羽はギュッと自分の手を握りしめた。


「もう、理亜のことをそっとしておいてあげたいから」


 瑠衣が反応を窺うようにじっと母親を見つめている。しばらくの間、母親は音羽の言葉の意味を考えるように理亜の遺影を見つめ、やがて「そうね」と小さく頷いた。


「理亜も、もうゆっくり眠りたいでしょうね」


 そして彼女は音羽へ視線を向けて力なく微笑む。


「理亜にも、こんなに想ってくれる友達がいたのね」

「音羽はいい奴だよ」


 瑠衣が優しい口調で言った。


「そう……。崎山さん、ごめんなさいね」


 その言葉に音羽は彼女から視線を逸らして「いえ」と俯く。

 その謝罪が何に対するものなのかわからなかった。ただ、早くこの場から立ち去りたい。こんなにも打ちのめされている母親を騙していることが耐えがたかった。


「それじゃ、これで」

「俺も行く」

「瑠衣」


 部屋から出ようとした瑠衣を母親が呼び止める。


「そろそろ戻っておいで? 顔色も良くないし、ちょっと痩せたでしょう。ご飯、ちゃんと食べてるの?」

「……ここにいても外にいても、食べるものは一緒だろ」

「お母さん、ちゃんと作るから。頑張るから」

「いいよ、頑張らなくて」


 瑠衣の言葉に母親は目を見開く。瑠衣は母親を見つめると、わずかに微笑んだ。


「今は、休んでてもいいと思うからさ」


 それを聞いて音羽は納得した。彼女が家を出たのは、彼女なりに家族のことを考えてのことだったのだろう。

 きっと、瑠衣がいれば母親は頑張ろうとしてしまうから。まだ悲しみが癒えていないのに。


「俺、音羽のとこにいるから。ご飯もちゃんと食べてるし、学校も行ってる。大丈夫だから」


 彼女は言いながら音羽を見た。音羽は微笑みながら頷く。母親は「そう」と頷くと、音羽に向かって深く頭を下げた。

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