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5.(3)

 涼たちの姿はすでに同じ通りにはない。ホッとしていると「俺さ」と瑠衣が低く言った。


「今日は家に帰ろうと思う」

「うん」


 音羽は頷く。瑠衣はじっと音羽を見つめてから「いや、それだけ?」と不満そうに首を傾げた。


「え?」

「なんで、とか聞かない? 普通」

「あー、そっか。なんで?」


 しかし、瑠衣はやはり不満げに「なんかイラッとする」と舌打ちをした。音羽は苦笑する。


「ごめんって。で、なんで?」


 瑠衣は頭を掻きながら深くため息を吐くと腕を組んだ。


「考えたんだけどさ、やっぱりうちの親が動くのが一番早いと思うんだよな」

「警察に、捜査をやめてくれって言ってもらうの?」

「そう」

「でも、それは今までだって」

「そうなんだけど。でも今まではそんなに強く言ってなかったんだ。俺が見てる限りは」

「そうなの?」


 瑠衣は頷く。


「理亜のために動いてくれてるんだから、強く言えないだろ。普通」

「それは、まあ、そうだよね」


 理亜たち家族の関係性は音羽にはわからない。けれど、決して険悪ではなかったはずだ。

 理亜の両親は理亜の死を心から悲しんでいた。

 音羽の目には、そう見えていたから。


「でも」


 瑠衣は少し目を伏せながら「そこを、今度は強く言ってもらおうと思って」と言った。


「そうすれば、もしかすると捜査も終わるかもしれないだろ?」

「でも、できるの? ちゃんと親と話せる?」


 音羽の問いに、瑠衣は「それは――」と口ごもる。そしてキッと音羽を見上げた。音羽はその強い視線に思わず身を引く。


「え、なに……」

「お前も来い」

「なんで?」


 思わず聞くと、瑠衣は腕を組んで「だって」とふて腐れたように続ける。


「もし俺がちゃんと話をしようとしても、あいつらはきっと話を聞かないから」

「あいつらって、両親のこと?」


 瑠衣は頷く。音羽は眉を寄せる。


「そんなことないでしょ。家族なんだし」

「そんなこと、あるんだよ」


 言いながら瑠衣は諦めたような表情でため息を吐いた。


「あいつら、俺のこと変人扱いしてるからさ」

「なんで?」

「わかるだろ」


 言われて音羽は瑠衣をじっと見つめる。彼女が変人と思われるほど周囲と違うこと。それは、やはり一つしか思い当たらない。


「……女の子らしくないからってこと?」


 音羽の言葉に瑠衣は小さく頷いた。そして顔を俯かせる。


「俺だって、女らしくするのが嫌ってわけじゃないんだけどさ」

「だったらすればいいのに」

「簡単に言うなよ」


 簡単なことではないのだろうか。思っていると、彼女は「俺が守ろうって決めたんだ」とパーカーのポケットに両手を入れながら呟くように言った。


「守る……。もしかして、理亜?」


 瑠衣は顔を上げると微笑みながら頷いた。


「昔の理亜はさ、内気で人見知りがすごくて、いつも俯いてる感じだったんだ。姉ちゃんなのに頼りなくて、弱々しくて……。イジメられたりとかもしてた」

「理亜が?」


 音羽が目を丸くすると瑠衣は笑った。


「そう。信じられないだろ?」


 たしかに信じられない。理亜はイジメられでもしたら何倍にもしてやり返しそうなものである。正々堂々と、真っ正面から。

 音羽が知っている理亜は、そんな性格だ。しかし瑠衣は「そんな感じだったんだよ、昔は」と懐かしそうに言った。


「だから俺が守ってあげなくちゃって思ったんだ。理亜が泣いてるの見るの、嫌だったから。でもそのためには強くなくちゃダメだった。だから俺は、強くなろうって……」


 そうして今の彼女になっていったのだろう。

 きっと、子供ながらにたくさん考えたはずだ。理亜を守るためにはどうしたらいいのか。

 今ならば他にも方法を思いつくかもしれない。けれど、幼い彼女にはこういう方法しか思いつかなかったのだろう。まるでお姫様を守る騎士のように、瑠衣はいつも理亜の隣にいて彼女を守ってきたのかもしれない。誰にも負けないよう、男の子のように振る舞って。

 子供でも大人でも、今までの自分を変えることは難しいものだ。そんな難しいことを理亜はやってのけた。しかし、瑠衣にはできなかった。

 彼女は中学生になった今でも、理亜を守ろうとしていた幼い頃の自分のまま。そんな彼女のことを両親は理解できなかったのだろう。


「大人は頭が硬いからね」


 音羽の言葉に瑠衣は何も答えなかった。音羽は俯いたままの瑠衣を見つめながら「でも」と続ける。


「だからって、赤の他人のわたしが行ったところで話を聞いてもらえるとは思えないんだけど」

「いや。昨日聞いた話をネタにすれば、うちの親も動くんじゃないかと思う」


 瑠衣は顔を上げると真剣な面持ちで言った。音羽は眉を寄せる。


「そう?」

「そうだよ。だって、うちの親は殺された子供の代わりに理亜と金をもらったんだぞ? ぜったいに後ろめたさみたいなのがあると思うんだ。うちの親、そこまで肝が据わった人間じゃないし」

「そうだったとしても、わたしがその話をするのは変じゃない? なんで知ってるんだって感じだと思うんだけど」

「そんなことないだろ。お前は理亜と同室で仲が良かった。理亜は自分の生い立ちを知って悩んでて、お前に相談もしてた。だけど悩みは解決できず、自殺した。理亜がどこでその話を知ったのかなんてことは、本人がいなけりゃ調べようもないわけだし」


 なるほど、と音羽は納得する。たしかにそう言われると筋が通ってしまう。

 音羽が突然訪ねて理亜の話を持ち出せば、きっと動揺もするだろう。動揺した思考では音羽の話を素直に受け入れるかもしれない。瑠衣の手助けもあるのなら尚更だ。しかし、また理亜の両親に会わなければならないのかと思うと気が重い。脳裏に蘇るのは、理亜の荷物を引き取りに来たときに向けられた、音羽を責めるような目だった。


「――嫌か?」


 ハッと音羽は我に返る。瑠衣が不安そうな表情で音羽のことを見つめていた。


「嫌だったら、まあ、俺だけでなんとかするけど」

「なんとかって……」


 音羽は呟き、そしてフッと微笑んだ。瑠衣だけでなんとかできるのなら、最初からこんな話を音羽に持ちかけたりしないだろう。それでも音羽の気持ちを察して自分でなんとかしようとするあたり、瑠衣の心の強さと優しさを感じる。


「いいよ。やる」


 瞬間、瑠衣は安堵したように「そっか」と笑みを浮かべた。


「じゃ、明日の段取りはしとくからさ。音羽は学校終わってから……。あ、でも門限があるのか。何時だっけ?」

「平日は十九時」

「早くね?」

「そう言われても……」


 音羽は呟きながら考える。門限を破るのは色々と面倒が多そうだ。それならば、いっそのこと昼間に出歩いた方がいい。


「明日、瑠衣ちゃんは学校行くの?」

「え、俺? まあ……。あ、え? 昼に来るつもりか?」

「うん。そっちのが門限破るよりは楽だなぁって」

「へえ」


 瑠衣は珍しいものを見つけたように目を丸くした。


「なに?」

「いや、意外と不真面目な奴だったんだなと思って」

「普段は真面目だけど。学校サボったりとかしたことないし」

「ふうん? ま、いいや。じゃあ、明日の昼な。父さんはいないけど、母さんはいるから。時間とかは後で連絡する」

「わかった」

「じゃ、また明日」


 瑠衣はそう言うと軽く手を振って歩き去って行く。その小さな背中を見送りながら音羽はそっと胸に手を当てた。

 そこに渦巻いているのは、暗くてモヤモヤしたよくわからない気持ち。いや、その正体はわかっている。


 迷いだ。


 この行動が、果たして理亜を本当に助けることになるのかわからない。それでも今は自分たちが正解だと思ったことをやるしかないのだ。

 理亜のために。


 自分にそう言い聞かせながら音羽は瑠衣が人混みに紛れて消えてしまうまで、その姿を見送った。

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