6章 3話 恐怖
人を好きになるのが、怖いんじゃないだろうな。
これが、この物語のテーマ。
帰宅すると、オリヴィアは魔界に帰る準備を始めた。
リズとオリヴィアは何も持たずにこっちの世界へやって来た。
だから、生活に必要なものは、こちらで買い揃えた。
最低限のものしかないので、あっという間に終わった。
あまりにあっけなくて、拍子抜けしてしまう。
考えてみれば、二人が来てから二ヶ月ほどしか経っていない。
もっとずっと前から一緒にいたような気がする。
オリヴィアは荷造りを終え、俺に言う。
「いろいろあったが、世話になったな」
「いや、楽しかったよ。元気でな」
「恭平もな」
ふいにオリヴィアが真剣な顔になり、リズが近くにいないことを確認してから、
「お前に話しておきたいことがある」
「なんだよ、改まって」
「リズ様の男性恐怖症には原因があるんだ。そもそも男性恐怖症というのは、心因性の症状のことで、過去のトラウマが原因であることが多い。リズ様がまだ幼いとき、城の敷地内で人間の男と遭遇したことがある。魔界と人間界の境界線は実は結構曖昧で、何かの拍子で人間が魔界に迷い込むことがあるのだ。その男はリズ様に襲いかかった。それまで王城であらゆる危険から隔離されていたリズ様にとって、欲望に忠実となった男の姿は、おそらく怪物にでも見えただろう」
オリヴィアの顔が悲痛で歪んでいる。
「メラニーの言っていることは、間違ってはいない。通過儀礼の件で国王様が糾弾されるのも理解できる。だが私は今でも、無理に男性恐怖症を克服する必要はないと思っている。それでもリズ様が国のためにご自身を犠牲になさるのなら、それを尊重したいという気持ちも変わってはいない」
オリヴィアは俺をしっかりと見据えた。
「お前ならリズ様の背中を押せるはずだ。頼んだぞ」
「分かったよ」
少し安心したように、ため息を吐くオリヴィア。
「そうだ。お前の父上と話をさせてくれないか。世話になったお礼を申し上げたい」
「ちょっと待ってろ」
こいつは何だかんだで、恩義や礼儀を忘れないよな。
親父に電話をかける。今どこにいるかも分からない。
時差の関係もあるし、果たして出るだろうか。間もなく、親父の声が聞こえた。
「おう、どうした」
「今、電話いいか?」
「大丈夫だ。起きたばかりでちょっと眠いけどな」
「どこにいるんだ?」
「ブエノスアイレスのホテルだ」
「ブエノスアイレスって、確かアルゼンチンの首都だよな」
確か、時差は十二時間。
こっちが夕方の七時だから、向こうは朝の七時くらいか。
「先月メキシコからキューバに渡って、今週アルゼンチンに入ったんだ」
随分忙しそうだな。
「居候の子が一人、自分の家に帰るから、その前に礼が言いたいんだってさ」
オリヴィアと代わり、しばらく通話していた。
話し終えると、オリヴィアが俺にスマホを返し、
「父上が、少しお話があるそうだ」
何だろう?
「もしもし、俺だけど」
「あんな良い子を手放さすなんて、お前どうかしてるぞ」
「は?」
「どうせ愛想つかされて、捨てられたんだろ」
とんでもない勘違いをしてるんじゃないだろうな。
「もう切るぞ」
「待て、待て。真面目な話だ。居候ってもう一人いるんだろ?」
「いるよ」
「その子も良い子なのか?」
「うん、まぁな」
「その子とは何かあったのか?」
「何もねぇよ! どこが真面目な話だよ!」
俺は怒鳴ったが、どうやら親父は真剣なようだった。
「好みもあると思うが、女の子と一緒に生活して、何もなかったのか?」
「だから、無かったって。俺はそういうのを軽々しく考えたくないんだよ」
僅かな沈黙の後、親父が言った。
「もしかしてお前、人を好きになるのが怖いんじゃないだろうな」
電話を切り、リズと共にオリヴィアを見送った後も、親父が言ったことは、頭の中に強く響き続けた。




