5章 2話 デート
担がれて連れて来られたのは、寂れた木造二階建てのアパートの前だった。
築年数は俺の年齢どころではなく、今年四十になる親父と同じくらいに見える。
廃墟と言われれば信じてしまうだろう。
正面に経年劣化でところどころ消えかかっているが、ギリギリ読める字で「日影荘」と書かれている。
アパートの一室に入っていく。
室内は六畳ほどの和室だ。
畳に下ろされ、ずっと口を塞いでいたガムテープを剥がされた。
家具は少なく、部屋全体が薄暗い。
日当たりが良くないのだ。
出雲さんが電灯のスイッチを押すが、天井から吊るされている裸の電球は、絶えず明滅していて用をなさない。
柱は傷だらけで、押し入れの襖も補修がかなり目立つ。
不知火が口の欠けた湯呑みを持ってきた。
「はい、どうぞ」
ちゃぶ台が傾いているせいで、お茶の水面が斜めになっている。
不知火から与えられるものを口にしたくないので、飲まずにまじまじと見ていると、
「何も入ってないよ」
不知火がそう言って、同じ急須から淹れたお茶を飲んだ。
恐る恐る湯呑を口に運び、舌先を少しだけ浸す。
味、薄っ!
ほぼ白湯だ。
からかわれたのかと思い不知火を一瞥するが、そういうわけではなさそうだ。
「テレビでも観る?」
不知火がブラウン管のテレビの電源を付けるが、写りが悪い。
というか、ブラウン管なんてまだ存在してたのか。デジアナの変換器でも設置してるのか?
「料理を作ってあるの。持ってくるから待ってて」
それから不知火は台所で鍋を温め直したり、皿に料理を盛り付けたりし始めた。
白湯を啜りながら、ほとんど砂嵐のテレビを見ていると、不知火が料理を持って戻ってきた。
白米、味噌汁、焼き魚、煮物が並べられる。
汁椀いっぱいに入った味噌汁は、傾斜のせいで今にも零れそうだ。
「さぁ、どうぞ」
どうぞ、と言われても。
躊躇する俺に、
「どれだけ疑うのよ。何も入ってないから、安心して食べて」
お茶も味はさておき、毒は盛られていなかったし大丈夫か。
口に入れようとすると、不知火が涎を垂らしながら料理を凝視している。
ぐぅ~とお腹の音が聞こえた。
家もこんな風情だし、もしかしたら食事も満足にしていないんじゃないか?
「私のことは気にせず、いっぱい食べて」
不知火がそう言うので、料理を口に入れようとするが、
「じー……」
「いや、食いづらいわ!」
そんな凝視されたら、さすがに気になる。
気を取り直して、口に入れる。
……うん、まさかとは思ったが、やはり味が薄い。
これは好みの範疇ではない。
最初に出されたお茶もそうだけど、確かに悪いものは入っていないが、必要なものも入っていない。
不知火が言う通り、本当に「何も入っていない」のだ。
「これ、味見したのか?」
「したよ。もしかして、おいしくない?」
「いや、そういうわけじゃないんだけどさ」
決してまずいわけじゃない。
味がないから、おいしいもまずいもないのだ。
「出雲さんも味見しました?」
「ええ、しましたよ」
おいしいでしょ、という風に微笑んでいる。
出雲さんもこの味付けに疑問を抱かないのか?
俺の味覚がおかしいのか?
そもそも、この状況は何なのだろうか、という根本的な疑問が頭をもたげた。
「なぁ不知火。今日は一体なんなんだ?」
不知火が真面目な顔になる。
「私、気づいたの。最近の私、すっかりこっちの世界に馴染んで平和ボケしてた。もちろん、野望を忘れたことはないけど、ぬるま湯に浸かってたわ。今の私は牙を抜かれた狼。私の中の野生がこのままじゃダメだって叫んでる。だから、今日は本当の私を取り戻す。そのための戦いをするの」
それが俺を拉致した理由ってわけか。
不知火は決然とした口調で、
「今日一日で、君をメロメロにさせられなかったら、私は諦めて魔界に帰るわ」
と言い切った。
「さすがに丸一日俺がいなかったら、リズたちが不審に思うだろ」
「南条を魅了で操って、『今日木場と遊ぶ』って君の家に連絡を入れさせるから問題ないわ。男二人でカップル喫茶に行くことになってるから」
「何してくれるんだよ!」
あいつが一番被害被ってるな。俺は嘆息し、
「分かったよ。そこまでの覚悟があるなら、今日一日一緒に行動してやるよ」
本当は気が進まないけど、これで不知火が諦めてくれるなら、やる価値はある。
リズに知らせれば、心配かけるだろうし、ここは俺一人でケリを着けてやる。
「随分素直なのね」
「どうせここから逃してくれないだろ」
「まぁね」
「それに、俺が不知火にドキドキすることはないからな」
「その減らず口を塞いであげるわ」
不知火が不敵に笑い、
「それを食べ終わったら、デートに行きます」
「デートってどこに行くんだよ」
「私が完璧なプランを立ててるから、それ通りに回ってもらうわ」
「俺はこの寝間着のまま出かけなきゃいけないのか?」
寝込みを襲われたから、当然外着じゃない。
「外出用の洋服のご用意があります」
出雲さんが服を取り出した。
何か見たことあるなと思ったら、俺の私物だ。
部屋から持ち出したのだろう。
用意周到とは言いたくないな。
料理を残さず食べ、着替えを済ませると、不知火が言う。
「着替えるから、彩羽と一緒に外で待ってて」
「分かった」
出雲さんは俺の見張りだろう。
待っている間、出雲さんに聞いてみた。
「さっきの料理のことなんですけど、いつもああいう味付けなんですか?」
「普段は私が作ります。姫は恭平様のために料理を覚えて、振る舞われたのですよ」
「出雲さんの味付けを真似たっていうことですか?」
「いえ、独学で勉強されていましたよ。私はあんな薄味にしませんし」
「なんだ。やっぱり出雲さんも分かってたんですか」
やっぱり不知火の味覚がおかしいんだ。
「だったら、そのことを教えてやった方がいいんじゃないですか?」
「あれでいいんですよ」
出雲さんは穏やかに笑った。
あれでいい、ってどういうことだ?
まったく、掴みどころのない人だな。
そうこうしていると、着替えを済ませた不知火が出てきた。
ショートパンツにレギンス、上は大きめのTシャツ。
小さなショルダーバッグを掛けている。
俺の前まで来て、
「そんなに似合ってる?」
「何も言ってねぇよ」
「よくお似合いです。そう思いますよね?」
出雲さんが言い、水を向けてきた。
「まぁ、そうですね。いいんじゃないですか」
不知火は少し頬を上気させ、
「そうでしょう、そうでしょう。よし、早速出発するよ」
「それでは、私は」
出雲さんが立ち去ろうとする。
「あれ、出雲さんは一緒に行かないんですか」
「邪魔者が居ては、デートが盛り上がらないでしょう?」
連れ去られた直後に、出された食事を口にするのは、さすがに無理がある。
風景描写の量は、少ない方が好まれるのだろう。




