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「啓悟くん、バスで帰るの?」
「うん。まぁ、まだちょっと来るまでに時間あるけどね」
その時、啓悟は、一輝がさっきまでバイクを押していたことを思い出した。じっとそのバイクが停まっている方を見ていると、一輝も同じ方を見た。
「あ、あれ。俺の」
「バイク乘るんだ」
「うん。姉ちゃんの彼氏にお古をもらって」
「へぇ。いいな。彼氏いい人過ぎる」
そのバイクのハンドルにはヘルメットがぶら下がっていた。
そして、よく見るとそれは原付じゃなかった。高校生で乗っている人はあまり見かけない大きさのバイクだった。
「あれ、でかくない?」
「ちょっとね。中型だから」
「そうなん?! かっこよ! いいなぁ。俺も乗りたいわ」
「いいよ!」
やった! と、その場のノリで言いかけたが、啓悟はその言葉を飲み込んだ。
これは、何の『いいよ』なのだろうか。よく分からず、黙っているうちに、「待ってて」と言って一輝は駐輪場へ走って行ってしまった。少しすると、バイクを押しながらこちらに戻ってきた。
「後ろ乗りなよ! バス待つの暑いし、送ってくよ!」
啓悟はノリで安直に答えないで良かったと思った。原付で二人乗りをして補導されている人を見聞きしたことがあるからだ。しかし同時に、バイクに乗ってみたいという気持ちがむくむくと湧いてくる。啓悟の中で、興味と戸惑いが混ざり合っていた。
「今の時間は走ると気持ちいいんだ! あ、全然その、無理にとは言わないけど……」
「乗りたい……けど……」
興味はある。というか、興味しかない。しかし、一輝は二人乗りのことを何とも思っていないようだった。だからこそ、啓悟は補導されるリスクをびびっていると思われるのが、なんだか嫌だった。けれども、ダメなものはダメだろうという気持ちもあり、はっきりと答えられずにいた。
「二人乗りって、俺ら、色んな意味で……死なん?」
啓悟の発言に、一輝は一瞬きょとんとしてから、吹き出した。
そして、どういうこと?! と、言って笑いながら、なにかを取り出した。
一輝の財布から出されたそれは免許証だった。
緑色の線を瀬戸は指差したが、啓悟はその意味がよく分からなかった。
「俺ね、去年の春に免許取ったんだ。みて! ここに、免許取ってから一年以上経つと、後ろに人を乗せてもいいって書いてる! それに、このバイクは中型で二人乗りが出来る排気量のバイクだから、後ろに人乗せられるようになってるんだ。だから、社会的には死なないはず!」
一輝は免許の次はスマホの画面を開き、免許に関するサイトを見せたり、バイクの排気量に関するサイトを見せながら、熱心に説明していた。それを聞いているうちに、啓悟もこの二人乗りは本当に合法そうだと、納得し始めた。
一輝は一通り説明して、
「……ってことだから、安全運転で行きますので、送って行ってもいい?」
「うん。乗る!」
「やった!」
一輝はバイクのスタンドを払い、バイクの方向を転換させ、またガチャンと何かを足で出した。最初に何かぶつかったと思ったのは、この音だったらしい。
一輝はシートを開けて、ヘルメットを取り出した。そしてそれを持ちながら、ハンドルにかけられていたヘルメットをかぶり、器用に片手でバックルを留めた。
「家、どっち方面?」
一輝は啓悟にヘルメットを差し出して尋ねた。
「橋田町の方」
「おっけ」
初めて手に持ったヘルメットは思ったより重かった。啓悟がヘルメットをかぶり、バックルを留めるのにも少し手間取った。その時、一輝が徐に啓悟の顔に手を伸ばし、顎をくいっと上げた。そして顔を近づけ、下から覗き込むようにして、啓悟の首元で指を動かした。すると、カチャっと鳴った。
「できたよ」
「あ、ありがと」
啓悟は普段誰かからあまり世話を焼かれることはないため、なんだかこの距離感に慣れておらず、されるがままになっていた。
一輝はそんな啓悟の様子を特に気にすることなく、着々と準備を進め、バイクに跨った。
「後ろ、乗って良いよ」と言われ、啓悟は鞄を背負った。そしてシートの後方へ跨った。
思っていたより、前との距離が近かった。エンジンはまだかかっていないのに、背中越しに一輝の体温が少し伝わってきたような気がした。
その時、ハンドルを握っていた一輝が急に振り返った。
「その、後ろのバーか、俺の肩か、持ちやすいところを持ってて」
「うん」
「あと足だけ気を付けてね。マフラー熱いから、当たると火傷しちゃう」
「えっ、どうしてたらいい?」
「ここに足乗せとけば大丈夫」
指を指しながら啓悟に手足を置いておく位置を説明し、一輝はまた前を向いた。啓悟はシートの後ろのバーを持ち、ステップへ足を置いた。すると、膝が一輝の脇腹に当たった。
「え、足なっが」
一輝は振り返り、自分の脇腹と啓悟の顔を見比べる。
「啓悟くん、身長いくつ?」
「182くらい」
「うわ、負けた。俺181」
「1センチじゃん」
「いや、その1センチはでかい」
一輝は笑いながらまた前を向いた。そして周りを確認し、エンジンをかけた。
「大丈夫?」
「うん」
「じゃ、出すね」
一輝が足をスタンドで払い、エンジンの振動が大きくなった次の瞬間、体がぐっと後ろへ持っていかれた。
「うおっ」
啓悟は思わず声が漏れた。
「はは。最初後ろに持っていかれそうになるよね」
「ちょっとびっくりした」
一輝は車道へ出るタイミングを伺っていた。まだ走り出したわけでもないのに、啓悟は既に落っこちそうな気がして、後ろのバーを握り直した。
バスを待っている間は車が一台も走っていなかったのに、今は目の前を何台もの車が流れていく。それが途切れた一瞬を見計らって、一輝がアクセルを開けた。排気音が鳴り響くと同時に、目の前の景色が一気に動き始めた。ぬるい夕方の風が首元を抜けた。制服のシャツが体に張りつき、耳元では風を切る音がぼうぼうと鳴り、体はエンジンの振動が伝わってくる。
思っていたより速い。そして車との距離が近い。時折道路の凹凸が揺れに変わり、体全体が弾む。一輝の運転に身を任せながらも、無意識に肩へ力が入る。そんな相反する感覚を受け止めながら、怖さと気持ち良さを同時に味わっていた。前を見ると、風にあおられた一輝の白いシャツが大きくはためいている。ヘルメットの下から覗く少し明るい色の髪が、振動に合わせて揺れていた。
「大丈夫?」
赤信号で止まった時、一輝は振り返った。
「大丈夫!」
アイドリングのエンジン音にかき消されないように、啓悟は答えた。すると、一輝はニッと笑って前を向いた。
青信号になり、バイクはまた走り出した。海沿いの道がゆるく弧を描くと、バイクもそれに合わせて静かに傾いた。横を見ると視界いっぱいに、青から橙へ溶けていく海が広がった。沈みかけた太陽が海面に光を引き、その上を風が細かく揺らしている。空も水平線から見上げるほど青さを取り戻して、深い色合いになっていく。そんな空の中に、一つだけピンク色の雲が浮かんでいた。




