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バスを降りた瞬間、防波堤の向こうから潮の香りを含んだ風が吹いた。
啓悟は強い日差しに目を細めた。暑いことに変わりはない。アスファルトは溶けそうな程だ。それでも、あの照り返しの強い学校の前の道よりは幾分気持ちの良い空気がここでは流れていた。
啓悟が防波堤の階段を上ると、陽を受けて白く光る浜と青い海が目に飛び込んだ。
極彩浜の海開きはすでに行われている。しかし、夏休み前のためだろうか、パラソルが少ない浜は、白さばかりが目立っていた。石英の砂つぶが集まってできた浜は、夏休みに入れば、一気に色づく。赤や黄色のパラソル。テント。浮き輪。人の声。この白い浜は、徐々にその名前の通り極彩色へ変わっていく。その内側で青く波打つ海を湛える。近くで見ると海面に光が無数に転がって上がっているようだ。この鮮烈さは夏を増すごとに盛っていく。
啓悟は浜沿いにある歩道を歩き始めた。防波堤の上には、ロッカーや海の家、そして海の前なのに温泉プールがある。啓悟はちらっと中を覗いたが、もちろん誰も入っていなかった。
この辺りの海は、海底から温泉が湧いている。そのため、冬になると海面から白い湯気が立つ。
昔の人は、それを地獄の入り口だと思っていたらしい。だからここは元々「獄祭浜」と呼ばれていた。しかし、あまり縁起の良い名前ではないため、観光用に「極彩浜」と漢字だけ変えたらしい。
海沿いの道を歩いていくと、浜の端に古い土産物屋が見えてくる。
その脇の細い道を抜けると、海辺に昔から生えている橘の木が枝を広げ、その先を隠している。啓悟はその木の間を抜け、白い砂岩が積み重なった小さな岩場に足を踏み入れた。
幾層にも段になった岩場はすぐ側にまで波が届いている。ここは遠浅ではないため泳ぐような場所じゃない。だから、夏でもこの辺りだけは少し静かだった。
啓悟は、岩場の端に一つだけ置かれた色褪せたコカ・コーラのベンチに腰かけた。
橘の葉が陽射しを細かく砕き、木漏れ日が赤いベンチをまだらに照らしている。普段なら木陰は涼しい。それでも今日は座面に熱が残っていた。
啓悟はアイスの紙を剥がした。ここに来る途中に自販機で買ったソーダ味のアイスは、少し風があるせいか、すぐに溶け始めた。指先を伝った水色の雫を舐めながら、啓悟はただ海を眺めた。
地元の人間は、海なんてわざわざ見に来ない。だから啓悟は、昔からこの場所が好きだった。初めてここを見つけたのは小学生の冬だった。通りからこの場所を隠している橘に黄色い小さなミカンがたくさん生っていた。それをいくつか取っているうちに、ここへたどり着いたのだ。一人ベンチに座り、そのミカンを食べたことは今でも覚えている。死ぬほど酸っぱかったからだ。その時のことを考えると、今でも耳の下が急激に収縮し、味が続く間は力が抜けずに痛みが続いたあの感覚が蘇ってくる。
梅雨入り前には白い花が咲き、木陰いっぱいに甘い香りが漂う。そんな良い時期もあるのだが、七月を過ぎた今、花はもう落ち、艶のある葉だけが、夏の陽射しを受けて濃く光っている。
木陰でぼーっとしていると、時折、潮風に混じって、浜の防災無線から乾いた音が聞こえてくる。夏らしいトレンドの曲かと思えば、啓悟が生まれる前に流行ったラブソングだった。曲が終わると、今度はゴスペルのような音楽が流れる。誰の趣味なのかは知らないが、この場をどんな雰囲気にしたいのかよく意図が掴めない。そんな違和感の中、合間で時々流れる「ゴミは持ち帰りましょう」という場内放送が、妙に現実的だった。
波が寄せる音。風が木の葉を揺らす音。浜の向こうで車が走る音。潮風はそれらを重ねて運んでくる。啓悟は目元に掛かる前髪をかき上げた。少しきしんだような感触に、
『海水と潮風にあてないよう気をつけて』
と、ブリーチした髪にパーマをかけた日に美容師が言っていたことを思い出した。
前髪の毛先を少し掴み、ウェーブのかかった髪を目の前まで引っ張ってみた。
……まあ、いいか。
ここで生まれた時点で、気をつけようがない。
夕方の手前に差し掛かり、影が少しずれて陽が顔に時々かかる。啓悟は少し横にずれて、座り直した。その時、かかとに何かが触れた。ごとり、と重たい音がして、ベンチの下を覗き込んだ。そこには一本の透明な瓶が転がっていた。啓悟はそれを拾い、ベンチの脇へ立てておいた。
青く澄んでいた空が、少しずつ色をやわらげていき、真昼の強い陽射しは黄色みを帯び始めて、陽に少し染まった海は深い緑へと変わり始めていた。
浜の方から薄っすらと『アメージング・グレイス』が聴こえてくる。風が少し強くなり、時々波の音に溶けてしまう。頬を撫でる潮風も、ここへ来た時よりは熱を失っている。
橘の木陰はゆっくりとベンチを這い、程なくして消えてしまった。
夕日が眩しくなってきた。啓悟は立ち上がり、大きく伸びをした。そして橘の木々を抜け、自販機横のゴミ箱へアイスの棒を放り込んだ。
来た道を戻りながら、啓悟はスマホにイヤホンを差し込んだ。耳を塞ぐと、波の音は消え、さっきまで海だったものが、ただの景色になる。ケーブルが歩くたび腕を軽く叩いた。




