EP 12
母からの魔法基礎訓練〜散水ノズルで放つ水魔法。マニュアル化された超効率魔力出力〜
前世で店長をやっていた頃、俺が最も嫌悪していた企業文化の一つに『無計画なOJT』がある。
要するに、「とりあえず現場に放り込んで、先輩の背中を見て仕事を覚えろ」という、マニュアルも論理的思考も放棄した丸投げの指導法だ。
まさか異世界に転生して、三歳児の身でそのOJTを強要されるとは思わなかった。
「いいこと、リアス。魔法というのはね、己の内にある魔力を感じ取り、自然の精霊たちと語り合うことから始まるのよ。さあ、目を閉じて……」
バレンタイン家の広大な裏庭。
泥棒騒ぎ(俺と親方の実力行使によって処理済み)から数日後、ついに母・マリアによる『魔法の基礎訓練』が開始されてしまった。
元A級冒険者にして賢者である母は、気合十分といった様子で俺の前に立ち、真剣な表情で指導を始めている。
「おへその下あたりにある熱い塊……それが魔力よ。それを胸に引き上げて、腕を通して、指先から『パァァッ』と解放するイメージ。お水を出したい時は、『サラサラ〜』って感じを思い浮かべるの。ほら、簡単でしょ?」
(……出たよ。典型的な『天才肌』による、擬音語だらけのフワッとした指導)
俺は内心で深いため息をついた。
『パァァッ』とか『サラサラ〜』とか、長嶋茂雄ライクな感覚的指導で仕事が覚えられるなら、世のマネージャーは苦労しない。新入社員に必要なのは、抽象的なポエムではなく、誰がやっても同じ結果を出せる『SOP(標準作業手順書)』である。
「見ててね。こうやって、魔力を『シュッ』と集めて……【水球】!」
母が指先を弾くと、空中に直径十センチほどの見事な水の球体が浮かび上がった。
ふむ。現象としては非常に興味深い。だが、出力に至るまでのプロセスが完全にブラックボックスだ。
「さあ、リアスもやってごらんなさい。最初は魔力を外に出すだけでも難しいわ。普通の子なら、一滴の水を出すまでに一ヶ月はかかるものなのよ。焦らなくていいからね」
母が優しく微笑む。
なるほど。通常なら一ヶ月かかるタスクか。
俺の目指す究極のホワイトライフにおいて、目立つことは最大のリスクだ。ここで天才的な才能を見せつけてしまえば、「よし、次は中級魔法だ!」「明日は実戦訓練だ!」と、業務が無限に増えていくのは目に見えている。
(ビジネスの鉄則その一。『三日でできる仕事は、三日かけて終わらせる』。早く終わらせても、空いた時間に別の仕事を詰め込まれるだけだからな。ここは適当に失敗して、一ヶ月間ダラダラと訓練を長引かせるのが正解だ)
俺はエッセンシャル思考に基づき、見事な『無能のフリ』を演じることを決意した。
小さな手を前に突き出し、わざとらしい声で叫ぶ。
「あーうー!(えいっ!)」
だが、ここで一つ誤算があった。
俺の身体には、赤ん坊の頃から母に注ぎ込まれ続けた【極大治癒】と、ドラゴンの肉によって培われた、バグレベルの『魔力回路』が備わっていたのだ。
俺が「出ないフリ」をするために、ほんの少しだけ魔力を指先に動かした瞬間。
(……おっと?)
脳内の【ホームセンター】スキルのインベントリと、俺の魔力回路が勝手にリンクし、奇妙な『イメージ(具現化のプロセス)』が構築されてしまったのである。
俺の脳裏に浮かんだのは、精霊との語り合いでも、サラサラとした水の流れでもない。
ホームセンターの園芸コーナーで大量に陳列されている、緑色の『散水ノズル』と『耐圧ホース』の鮮明な映像だった。
(……魔力という名の水道の蛇口をひねる。耐圧ホースを通って、手元の散水ノズルに圧力がかかる。あとは、用途に合わせて『ダイヤル』を回し、レバーを引くだけだ)
俺の意志とは裏腹に、前世で培った「工業製品への圧倒的な信頼と理解」が、魔法の出力を完全にマニュアル化(最適化)してしまったのだ。
俺の脳内で、散水ノズルのダイヤルがカチリと『ジェット』にセットされた。
ビチャァァァァァァッ!!!
「えっ」
「あ」
俺の指先から、消防車の放水(あるいは業務用高圧洗浄機)と見紛うばかりの、極太で超高圧の『水流』が一直線に発射された。
水流は庭の芝生を抉り飛ばし、数十メートル先の強固な石塀に激突して、ドゴォォン! と凄まじい轟音を立てた。
静寂が訪れる。
石塀には、見事なクレーターが穿たれていた。
「…………え?」
母・マリアが、目を真ん丸に見開いて硬直している。
(や、やっちまった……! 無能のフリをするつもりが、完全に工業規格の出力をキメてしまった……!)
俺は冷や汗を流しながら、必死にリカバー(言い訳)を試みた。
だが、一度最適化されてしまった俺の魔法回路は、非常に融通が利くようになっていた。俺の脳内の手が、無意識に散水ノズルのダイヤルを『ジェット』から『ミスト(霧)』へとカチリと回してしまう。
シュウゥゥゥゥ……。
先ほどの破壊的な水流が嘘のようにピタリと止み、今度は指先から、極めて微細で心地よい『霧状の水分』が広範囲に散布され始めた。
園芸用のミストモード。真夏のホームセンターの店頭でよく稼働している、あの涼しいやつである。
ふんわりとしたミストが、庭の植え込みの葉を優しく濡らしていく。
「り、リアス……!?」
母が震える声で俺の名前を呼んだ。
その顔は、驚愕を超えて、完全に『狂喜』の色に染まっていた。
「し、信じられない……! ただ魔力を放出しただけでなく、発動中に術式のアルゴリズム(出力形態)を自在に書き換えたというの!? しかも、この無駄のない完璧な魔力制御……! まるで、精密な魔導機械みたいに安定しているわ!」
(違うんだ母ちゃん! 俺はただ、脳内で『タカギの散水ノズル』のレバーを握ったり離したりしてるだけなんだ!)
「天才よ……っ! ゴルディ! ゴルディィィィッ!!」
母は俺をガバッと抱きしめると、屋敷の中に向かって絶叫した。
「リアスは歴史に名を残す天才よ! わずか一瞬で、水魔法の基礎はおろか、応用(形態変化)までマスターしてしまったわ!」
ドタドタドタッ!
廊下を走る足音がして、父・ゴルディが鼻息を荒くして裏庭に飛び出してきた。
「なんだと!? ガハハハ! やはり俺の息子だ! 神童リアス・バレンタインの伝説が、また一つ増えたな!」
「ええ! このぶんだと、炎も風もすぐにマスターできるはずよ! よーしリアス、ママと一緒に全属性の完全制覇を目指しましょうね!」
(終わった……)
俺は、母の豊満な胸に抱きしめられながら、絶望の淵に沈んでいた。
ビジネスにおいて、「できる奴(優秀な社員)」であることがバレてしまった時の末路。それは『圧倒的な業務量の増加(過労死への片道切符)』である。
一ヶ月かけてダラダラやるはずだった基礎訓練が、たった数秒で終わってしまった。これでは、明日からさらに高度で危険な魔法訓練を組まれてしまう。
「待てよ、マリア」
そこで、父・ゴルディが腕を組みながらニヤリと笑った。
「魔法の才能が完璧なら、まずはそっちを急ぐ必要はないんじゃないか?」
(おっ? 親父、ナイスだ。そうだ、ここは一度有給休暇を挟んで……)
「男たるもの、まずは己の肉体一つで敵をねじ伏せる『武』の力が必要だ。よし、魔法の基礎ができたなら、明日からは街で一番厳しいと評判の『剣術道場』に叩き込んでやる! 俺の息子なら、剣の腕も一級品に違いないからな!」
「まぁ! それもそうね。魔法剣士なんて素敵だわ!」
(……なんでそうなるんだよぉぉぉ!!)
俺の希望は、無残にも打ち砕かれた。
魔法の手間が省けた分、そのまま物理(剣術)のカリキュラムが前倒しで詰め込まれてしまったのだ。これがブラック企業の恐ろしいところである。空いたスケジュールは、自動的に別のタスクで埋められる。
「あーうー……(異世界の労基署、マジで仕事してくれ……)」
俺の三歳児らしい舌足らずな抗議は、熱狂する両親の親バカフィルターによって「やる気に満ち溢れた雄叫び」として都合よく変換されてしまった。
こうして、俺の【ホームセンター】の概念を用いた超効率・マニュアル化魔法は、俺自身の首を絞める結果となり、翌日から過酷な「剣術道場」への入門を余儀なくされるのだった。




