EP 11
賢者の家を舐めるな〜悪質クレーマーへの炎のデコピンと完璧な証拠隠滅〜
「……おい親方。深夜の割増料金(残業代)だ。仕事の時間だぞ」
俺(リアス・バレンタイン、三歳)が指先を鳴らした瞬間。
真っ暗だった二階の廊下が、目を開けていられないほどの眩い光と、爆発的な熱量に包み込まれた。
「オウオウ。こんな丑三つ時に呼び出しとは、社長も人使いが荒いねぇ」
空間が歪み、紅蓮の炎の中からぬらりと現れたのは、頭にねじり鉢巻(白いタオル)を巻き、腹巻きに紫色のニッカポッカ姿という、完璧な寝巻き(兼・作業着)スタイルの大男――炎の魔神、イフリートである。
「な、なんだてめぇ!? どこから湧いて出やがった!」
圧倒的な熱気とプレッシャーに、闘気を纏ってイキり立っていた盗賊のリーダー『牙のザッカル』が、顔を引き攣らせて一歩後退した。
「親方、悪いが緊急対応だ」
俺は冷静に業務指示を出した。
「あそこにいる悪質な不法侵入者が、俺の安眠を妨害した挙句、武力による実力行使に出てきた。手っ取り早く『排除』してくれ。ただし、廊下や壁に一切の延焼は認メない。現状復帰費用がかさんだら、親方のギャラから天引きするからな」
「ゲハハハ! 舐めんなよ社長。俺を誰だと思ってやがる。ミリ単位の火力調整なんて、一流の職人(魔神)にとっちゃ朝飯前よ」
イフリートは首をゴキゴキと鳴らしながら、ザッカルの前に立ちはだかった。
身長二メートル超の筋肉ダルマから発せられる熱気は、廊下の空気を陽炎のように歪ませている。
「ふ、ふざけんな! デカい図体してハッタリかましやがって!」
恐怖を誤魔化すように、ザッカルが狂ったように吠えた。
「俺の闘気は鋼鉄をも砕く! 炎の魔術師だろうが何だろうが、接近戦なら俺の――」
ザッカルが、渾身の力を込めた短剣をイフリートの胸元に向けて突き出した。
闘気が刃に収束し、恐るべき貫通力を生み出している。
「――おせぇ」
チリッ。
イフリートが、面倒くさそうに右手の親指と中指を弾いた。
ただそれだけだった。
『炎のデコピン』。
イフリートの指先から放たれた極小かつ極大の熱エネルギーが、ザッカルの額にジャストミートした。
「が、はっ……!?」
パァァァン!! という乾いた破裂音と共に、ザッカルの全身を覆っていた強固な闘気のシールドが、まるで安いガラス細工のように粉々に砕け散った。
そのままザッカルの身体は、見えないハンマーで殴られたかのように後方へと弾き飛び、廊下の突き当たりの壁に激突して、白目を剥いて崩れ落ちた。
もちろん、壁に焦げ跡一つ残さない完璧な火力コントロールである。
「……オウ、終わりだぜ社長。手応えがねぇな。これなら基本給の金貨十枚だけで十分だぜ」
「助かったよ、親方。本当にいい仕事をしてくれる。明日の昼間にでも、改めてギャラを支払うよ」
「オウよ! じゃあ俺ぁ、もう一眠りさせてもらうぜ!」
ポンッという軽い音と共に、イフリートは炎となって元の世界へと帰還していった。
これで最大の脅威は去った。
だが、俺の『店長としての業務』はこれで終わりではない。最も重要なプロセス、すなわち『証拠隠滅(事後処理)』が残っている。
(このままじゃ、俺が強力な罠を仕掛けたことや、召喚術を使ったことが両親や警察(憲兵)にバレてしまう。徹底的なリスクヘッジが必要だ)
俺は脳内の【ホームセンター】の管理システムにアクセスし、『返品(送還)』のコマンドを実行した。
「対象:シリコンスプレーの成分、両面テープ、ステンレス画鋲一万個、および高圧洗浄機の水」
俺の意志に呼応し、床に散らばっていた無数の画鋲や、ベタベタのテープ、滑る原因となったシリコン、そして水浸しの床が、光の粒子となってスキルのインベントリへと吸い込まれていく。
わずか十秒足らずで、バレンタイン家の二階の廊下は、チリ一つないピカピカの木張りの床へと元通りになった。
残されたのは、ボロボロになって気絶している四人の盗賊たちだけである。
「よし、完璧なオペレーションだ」
俺が満足げに頷いた直後。
屋敷の外から、けたたましい足音と怒声が響いてきた。
「バレンタイン邸の異常魔力反応を確認! 突入しろ!」
「泥棒だ! ザッカル盗賊団の気配がするぞ!」
どうやら、親方が発した一瞬のすさまじい魔力が、ルナハン市街のパトロールをしていた憲兵隊の魔力感知器に引っかかったらしい。
ドカドカと武装した憲兵たちが屋敷に踏み込んでくる。
同時に、隣の寝室のドアが勢いよく開いた。
「何事!? ……って、泥棒!?」
さすがの睡眠香の効果も切れたのか、母・マリアが寝巻き姿のまま飛び出してきた。その手にはすでに、凶悪な極大魔法の術式が展開されている。
「お、お母様! こちらです!」
駆け上がってきた憲兵隊の隊長が、廊下に転がる四人の盗賊を発見し、息を呑んだ。
「こ、これは……凶悪な賞金首、牙のザッカル! なぜこいつらが、ボロボロになって気絶しているんだ!?」
その声に反応したのか、壁際で白目を剥いていたザッカルが、うめき声を上げながら意識を取り戻した。
「う、あ……あぁ……っ!」
ザッカルは焦点の定まらない目で周囲を見渡し、すぐそばで三歳児特有の「無垢なポーズ(あざとい上目遣い)」をキメている俺の姿を捉えた瞬間、ヒィィィッ! と凄まじい悲鳴を上げた。
「ば、化け物だ! 悪魔だぁぁっ!」
ザッカルは憲兵の足にすがりつき、涙と鼻水を流しながら絶叫し始めた。
「あ、あの三歳のガキがやったんだ! ヌルヌルの床にして、無数の針の山に俺たちを落として、見たこともない水鉄砲で吹き飛ばしやがったんだ! しかも、最後には炎のオッサンを喚び出して、デコピン一発で俺の闘気を……!」
ザッカルの悲痛な訴えに、廊下は一瞬、しんとした静寂に包まれた。
「……はぁ?」
憲兵隊長が、冷ややかな、虫けらを見るような目でザッカルを見下ろした。
「貴様、言い逃れにもほどがあるぞ。三歳の子供が、画鋲の罠や水鉄砲で、闘気を操る賞金首を倒しただと? しかも炎のオッサンだと? 寝言は牢屋で言え!」
「ほ、本当なんだ! 信じてくれ! あのガキの目は、長年、人をこき使ってきた冷酷な管理職の目だったんだよぉぉ!」
ザッカルの(前世を正確に言い当てた)的確なツッコミは、誰の耳にも届かなかった。
「ええい、黙れ下郎!」
憲兵隊長がザッカルの首根っこを掴んで怒鳴りつける。
「相手を誰だと思っている! ここは元A級冒険者にして賢者たる、マリア様の御屋敷だぞ! 貴様らのような小悪党、マリア様が無意識に展開していた『防衛結界』か何かで返り討ちに遭ったに決まっているだろうが!」
「……えっ?」
その言葉に、一番驚いていたのは他ならぬマリア本人だった。
「わ、私……? 無意識の防衛結界……? いや、私は普通に熟睡して……」
マリアが戸惑いながら呟くが、憲兵隊長は感涙にむせび泣きながら敬礼した。
「さすがはマリア様! 睡眠香を嗅がされながらも、愛するご子息(リアス様)を守るため、無意識下で自動迎撃魔法を発動させておられたのですね! しかも、屋敷を一切傷つけることなく敵を無力化するとは……まさに神業! 伝説の賢者の力、恐れ入りました!」
「あっ……いや、その……」
マリアはチラリと俺の方を見た。
俺は三歳児の愛くるしい笑顔で首を傾げ、「あーうー?(お母さん、しゅごい!)」と拍手をして見せた。
「……そ、そうね! ふふっ、私の可愛いリアスに手を出そうなんて百万年早いわよ! 無意識のうちに、私の『炎の精霊』が発動しちゃったみたいね!」
(乗っかった!? 母ちゃん、自分の手柄にしやがった!)
親バカにして元一流冒険者のプライドが、憲兵のヨイショに見事にハマってしまったらしい。
「連行しろ! マリア様にこれ以上ご迷惑をおかけするな!」
「ひぃぃぃ! 違う、俺は嘘なんて言ってねええぇぇ!」
泣き叫ぶザッカルたちは、手際よく憲兵たちに拘束され、屋敷の外へと引きずり出されていった。
こうして、俺の完璧な証拠隠滅と、憲兵隊の凄まじい思い込み(コメディ)によって、俺が実力行使に出たという事実は完全に闇に葬られたのである。
俺の、三歳児としての「無力で守られるべき存在」というホワイトなポジションは、無事に守り抜かれたのだ。
(ふふっ……計画通り。これでまた、平和な日常が戻ってくる)
俺は心の中で勝利のガッツポーズを決め、温かいベッドへと戻っていった。
――しかし。
ビジネスにおいて、一つのトラブルを「属人的な力(今回はマリアの勘違い)」で解決した場合、組織は必ず『次なるリスクへの備え』を強化しようとするものである。
翌朝。
王都から慌てて帰還した父・ゴルディと、母・マリアが、リビングで深刻な顔をして向かい合っていた。
「……無意識の防衛結界で撃退したとはいえ、一歩間違えればリアスが危なかったんだな」
「ええ。今回たまたま私の魔法が発動したから良かったけれど……もし私が不在の時だったらと思うと、ゾッとするわ」
両親の視線の先には、太陽芋のペーストを美味しそうに頬張っている俺がいる。
「ゴルディ。やはり、リアス自身にも『自分の身を守る術』を教え込まねばならないわ。あの子には、伝説の召喚スキルもあるのだし」
「そうだな。よし、決めたぞ。魔法の基礎はお前が教えろ。そして物理的な戦闘技術(剣術)は、街で一番厳しい道場に通わせる!」
「ええ、最高の英才教育を施しましょう!」
(……ブフッ!?)
俺は口に含んだ太陽芋ペーストを吹き出しそうになった。
(おい待て! なんでそうなる!? 泥棒は撃退したじゃないか! これ以上の労働(訓練)は労基法違反だぞ!)
俺の悲鳴は、両親の燃え上がるような親心にかき消された。
究極のホワイトライフを目指す元店長の前に立ち塞がったのは、魔王軍でも盗賊でもなく、「我が子を最強に育て上げたい」という両親の規格外の愛情であった。
かくして俺は、六歳でルナミス学園に進学するまでの三年間を、魔法と物理の『地獄のOJT』に費やす羽目になるのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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