「家路」
第4章「家路」
炎。
木造の家々を飲み込む炎。恐怖に叫ぶ人々の声。月明かりを覆い隠す黒い影。
ゼファーは目を開けた。
いつの間にか夜は明けていた。ゼファーはぼんやりと体を起こす。まだ頭が重い。木々の隙間から差し込む朝日が、地面に淡い黄色の筋を落としていた。どこか遠くで鳥の声がする。炎はない。叫び声もない。
ただの、森の中の平凡な朝だった。
見回すと、少し離れた木の根元にユリウスが横たわっていた。手を腹の上に置き、目を閉じ、腹立たしいほど穏やかな顔をしている。
「なあ、おじさん。起きろって。」
ゼファーはにじり寄り、軽く肩を揺すった。
待っている間、ふと朝の光の下でユリウスの髪に目が留まった。
(今さらだけど、この人の髪って純粋な灰色じゃなくて、うっすら緑がかった灰色っぽいな。)
ユリウスがゆっくりと目を開けた。緩慢な動作で体を起こすと、まったく生気のない目でゼファーをまっすぐ見つめる。
「……誰だ?」
ゼファーは固まった。
「……俺だよ。ゼファーだって。」
「ああ。」ユリウスは一度瞬きした。「思い出した。すまない。何があったんだ?」
「昨日の晩、毒キノコ食って気絶したんだよ。」
「ああ、そういうことか。」
ゼファーはしばらくユリウスを見つめた。
「どう見ても毒キノコだったのに、おじさんが食えるって言ったんだろ。気絶で済んだからよかったけど、下手したら死んでたぞ。」
「へへ。」ユリウスは咳払いした。「悪かった。」
ユリウスはそれ以上何も言わず、ただ立ち上がってズボンの埃を払うと、まるでごく普通の眠りから覚めたばかりであるかのように歩き出した。
---
二人は旅を続けた。
松林を抜け、さらさらと流れる小川を渡る。一日半ほど歩いた頃、森は次第に疎らになり、やがて視界が開けた。
目の前に広がるのは見渡す限りの平原だった。青々とした丘陵が波打ちながら、地平線の彼方まで続いている。
「あ、そういえばさ、」平原に足を踏み入れながらゼファーが言った。「イリスとルシウスってどんな人なんだ?」
「うーん。」ユリウスは考え込むように空を見上げた。「そうだな……イリスは誰に対してもすごく優しい女なんだが、俺の前だとなぜか鬼に変わるんだ。しょっちゅう俺を怒鳴り散らして、力ずくで叩いてくる。思い出すだけで怖くなるよ。」
「なんか理由があるんじゃないの? イリスさんがおじさんにそういう態度を取るのって。」
「たぶん俺がだらしなくて、片付けができないからだろうな。大体、あいつが鬼になるのはそういう時ばっかりだ。」
「じゃあルシウスは?」
ユリウスは一瞬言葉を止め、眉をひそめた。
「あいつは気に食わない奴だ。くそ、俺の性格とは正反対でな。少なくとも俺の目にはそう映る。」
「おじさんと正反対ってことは、きっと感じが良くて、穏やかで、きちんとした人なんだろうね?」
「おい待て、俺にはそういう美徳がないってことか?」
「そうだよ。」
ユリウスは力なくため息をつき、まるで天地に自分の無実を訴えるかのように遠くを見つめた。
「まあ、もうすぐ家に着く。会ってみりゃ、坊主にもいろいろわかるさ。」
---
しばらく歩くと、空が徐々に暗くなってきた。西から灰色の雲が押し寄せ、太陽を覆い隠していく。
「雨、降りそうだな。」ゼファーが言った。
「ああ、急いだほうが……」
ユリウスは言葉の途中で立ち止まった。
前方の丘の上に、一人の少女が座っていた。白い布地のシンプルなワンピースを纏っている。肩から足首までを覆うだけの、布切れと言ってもいいほど簡素な作りだった。肩ほどの長さの髪は、無造作でありながらどこか整った様子で頭の半分だけ結い上げられ、残りは自然に頬の輪郭に沿って垂れている。頭頂部は深みのある紫紺色で、毛先に向かうにつれて明るい紫へと変わっていく。ゼファーの位置からは、その顔の半分しか見えなかった。
ユリウスはしばらく黙って見つめていた。
ゼファーが横目で見て、「なあ、あの人は誰だ?」
ユリウスは答えなかった。
やがてユリウスは、急ぐでもなく彼女のほうへと歩き出した。その手の中に小さな氷の結晶が現れ、雨を前にした冷たい空気の中でゆっくりと回転しながら、次第に厚手のコートの形へと組み上がっていく。
「なあ、」ユリウスは優しい声で言った。「こんなに風が強いと、寒いだろう。」
彼はそっとそのコートを彼女の肩にかけた。
少女の動きが止まった。そしてゆっくりと振り返り、彼を見た。
一秒。
二秒。
「ユリウス!」
前触れのない雷のように、鋭い声が響き渡った。
少女は立ち上がり、肩からコートを引き剥がすと、きっぱりと投げ返した。
「氷で作った服なんて二度と渡すなって言ったでしょ! 私を凍え死にさせたいわけ?」
「なあイリス、」ユリウスは冷静にコートを拾い上げた。「一年ぶりに会って、開口一番それかよ。」
「一年?」イリスは腕を組んだ。声の温度は少しも下がらない。「だったらいっそ一万年くらい帰ってこなきゃよかったのに。そのほうがみんな楽よ。」
「おいおい、そんなこと言うなよ。」ユリウスは両手を挙げた。その顔は、説得力のない哀れっぽさを装っていた。「傷つくだろ。」
イリスの視線がユリウスの後ろへと移った。そこには、罵る側と耐える側のやり取りをじっと眺めているゼファーの姿があった。
「ねえ、あの子は誰?」イリスが言った。
「ああ、最近拾った弟子だ。こいつを鍛えて強い……」
ユリウスが最後まで言い終わらないうちに。
イリスの姿がその場から消えた。
次の瞬間、ゼファーの目の前に現れていた。
「あら、この子ったらすごく可愛い。」イリスは首を傾げ、微笑んだ。「ねえぼうや、名前は?」
ゼファーはこの急な展開についていけず、一瞬固まった。
「え……ゼファーです。」ゼファーは呆然とした。
「ゼファー?」イリスは繰り返した。声がふっと和らぐ。「いい名前ね。ご飯はもう食べた?」
「いえ、まだです。」
「そう? じゃあ一緒においで。おうちに着いたら、お姉さんがご飯作ってあげる。」
イリスはゼファーの手を引いて丘を下っていく。ユリウスは一人、丘の上に取り残された。風が雨の匂いを運び始めていた。
ゼファーはなすすべもなく、彼女に手を引かれていった。
---
家が見えてきた。
ゼファーは足を止めた。
自分が何を期待していたのか、ゼファー自身にもわからなかった。目の前に立つ建物は、何と呼べばいいのか見当もつかない代物だった。中央には円柱形の石造りの塔がそびえ、赤みがかった橙色の尖り屋根が灰色の空へと突き出している。塔を取り囲むように、切妻屋根の木造家屋がいくつも連なっていた。高さもまちまちで、最初から統一された計画などなかったことは一目瞭然だ。一階部分は粗削りの石造りで、砦の土台のごとく頑丈に組まれている。上階には古い木組みの梁がむき出しになり、縦横に走る木材が壁の外にそのまま覗いていた。大きな石造りの煙突が二本そびえ、片方からは細い煙が立ち上っている。周囲には小さな庭がいくつも点在し、オレンジやレモン、トマト、それに何本かのリンゴの木が植えられていた。
「この家、何人住んでるんだ?」近づきながらゼファーが尋ねた。
「この一年は二人だったけど、今日からは四人ね。」イリスが答えた。
「この広さなら、十人住んでも余裕だと思うけど。」
後ろでは、たった今見捨てられたばかりのユリウスが、しょんぼりとした様子でついてきていた。
---
家の中は、温かく心地よい香りに満ちていた。
その香りは、ゼファーにこれまでで最も安全な場所にいるのだという感覚を抱かせた。
「何が食べたい? 作ってあげる。」イリスはゼファーを台所へと連れていった。「お姉さん、料理は得意なのよ。」
ゼファーはしばらく考えた。「なんか、しょっぱいものが食べたい。」
「わかった。じゃあここに座って、スープができるの待ってて。」
「はい。」ゼファーは、少し照れくさそうな声で答えた。
待っている間、彼は辺りを見回した。手前の居間には、六人掛けの長いテーブルが置かれている。右手には二階へと続く階段。左手にはほとんど何もなく、簡素な装飾品がいくつかと、暖炉、それにどこかの部屋へ続く扉があるだけだった。
「懐かしのわが家よ、ただいま戻ったぞ!」ユリウスは扉をくぐりながら、興奮した声で言った。「この温もり、この感じ、この匂い……久しぶりだが、何も変わってないな。」
彼は台所のほうへと歩いていった。
「おお、何を作ってるんだ? 久しぶりだな、お前の料理を食うのは。」
イリスがユリウスをちらりと見た。
「食べる前に、お風呂に入ってその汚い服を着替えたら?」
「わかった。」
ユリウスは嬉しそうな顔で二階へと上がっていった。長い休みの後に実家へ帰ってきた子供のように、あちこちを見回しながら。
---
しばらくして、ユリウスが階下に降りてきた。
淡いクリーム色のシャツを身に纏い、高めのスタンドカラーはきっちりとボタンで留められている。同じ生地の布を肩から斜めに掛けた合わせが、上品なアクセントを加えていた。腰には繊細な浮き彫り模様の入った黒い太ベルトを締め、その下には土色のゆったりしたズボン。髭を剃り落とした顔には、精悍で自由な雰囲気が漂い、先ほどまでとはまるで別人のようだった。
「え、おじさん?」ゼファーは少し驚いた様子で言った。何度か瞬きをする。
(さっきまでのだらしないおじさんと、本当に同一人物か……?)
「おじさん……人が変わった?」
「どうだ、俺のイケメンぶりを見たか? 言っただろ、俺が本気を出せば……」
「ブサイク。」イリスが言いながら、スープの入った皿を二つテーブルに置いた。
「おい、そんな言い方しないでくれよ、傷つくだろ。」
「傷つけばいいじゃない。」イリスは皮肉っぽく言った。
「なんでそんな冷たいんだよ。」
「ほら、食べて。」イリスはゼファーの前に皿を置いた。「これがぼうやの分ね。たくさん食べて早く大きくなるのよ。」
「はい。」ゼファーは答えた。
(うまい……こんなに美味しいもの、生まれて初めて食べた。)ゼファーは思った。
その満足そうな表情を見て、イリスも嬉しそうにした。
「それであんたは、」イリスがユリウスのほうを向いた。「食べ終わったら、また一万年くらい放浪の旅にでも出たら?」
ユリウスは腰を下ろし、テーブルに残っていたスープを食べ始めた。
ゼファーはうつむいてスープを口に運びながら、こみ上げる笑みを皿の中に隠そうとした。
しばらくして、ユリウスがスプーンを置いた。
「そういえばルシウスはどこだ? さっき部屋をノックしてみたが、誰もいなかったぞ。」
「今頃、学院にいるんじゃない?」イリスはスープを口に運びながら答えた。
「学院でルシウスは何してるんだ?」
「今のルシウスはね、魔法学院の講師になったのよ。」
「講師、か。」ユリウスは繰り返した。「つまり今のあいつは、学院の人間ってわけか。」
「そうよ。」
「ねえゼファー、あなた今いくつ?」イリスが尋ねた。
「十五です。」
「十五、か。」イリスはしばらく彼を見つめた。「その歳にしては、ちょっと小柄ね。よし、今日からお姉さんがあなたを育てるから。」
ゼファーは呆気に取られた。
「その……そこまでしてもらわなくても……」
「ユリウスについてきた時点で、あなたはもう私たちの身内よ。これからはこの家族の一員になるの。」
ゼファーはどう答えればいいのかわからなかった。
食事の後、イリスはゼファーを連れて家の中を案内して回った。
一階は共有スペースで、居間、台所、食卓、それに小さな読書コーナーがある。二階は皆の居住スペースだ。階段のそばに向かい合った二つの部屋があり、右がユリウス、左がルシウスの部屋。その隣がイリスの部屋だった。
イリスはさらにゼファーを三階へと連れていった。ここには空き部屋が三つあり、扉は閉ざされ、空気はどこか冷たく、人の出入りも少ないようだった。
「なんでこんなに空き部屋があるんだ?」ゼファーが尋ねた。
「最初は三人が住めればいい、こぢんまりした家にするつもりだったんだけど、ユリウスがどうしても大きい家を建てるって聞かなくて。」
「ここに空き部屋が三つあるの。どの部屋がいい?」
ゼファーはしばらく辺りを見回し、一番近くにある部屋を指さした。
「多分、この部屋にします。」
中には作業机とベッドがあるだけで、ほとんど何もなかった。小さな窓からは草原が見渡せた。
「わかった。じゃあ明日、家具を買いに連れていってあげる。」
「あ、いえ、大丈夫です。このままで十分ですから。」
「十分なわけないでしょう。」イリスはそっと彼の頭を撫でた。「はい、今日はもう休みなさい。」
「はい。」ゼファーは、どう断ればいいのかわからないまま答えた。
---
イリスが一階に降りると、ユリウスが居間で待っていた。腕を組み、やけに真剣な顔をしている。
「さっきから、私に何か言いたいことがありそうね。」イリスが真面目な顔で言った。
「なあイリス、大事な話がある。」
ちょうどその時、窓の外で稲妻が空を切り裂いた。玄関の扉が開く。戸口に人影が立ち、その稲光がユリウスの深刻そうな顔を照らし出した。
「いやー、今回の旅で金を使い果たしちゃってさ……来月分、前借りさせてもらえないかな?」
「はぁ。」イリスがため息をついた。「もっと深刻な話かと思った。」
「その顔をさせるほどの用件とは、一体何かと思ったが。」戸口から声がした。
「ルシウス。」イリスが振り向いた。「帰ってきたの? 今日はどういう風の吹き回し?」
戸口に立っていた人物が中へ入り、コートについた雨粒を払った。栗色の濡れた髪が額に張りつき、緑の瞳が静かにユリウスをまっすぐ見つめている。
「今日は厄介なものが帰ってくる、そんな予感がしていてな。」ルシウスが言った。「だから私も、その厄介なものに会いに戻ってきた。」
「おい、誰が厄介だって? この気に食わない奴が。」ユリウスが言った。
「あら、今日のルシウスは皮肉も言えるのね。」イリスが言った。「さ、ルシウス、早く着替えてきなさい。びしょ濡れじゃない。」
---
しばらくして、ルシウスが二階から降りてきた。いつもの黒い服に着替え、髪はまだ少し湿っていたが、ある程度は整えられている。頬にはうっすらとそばかすが散り、緑の瞳は、あらかじめ心の準備を終えた者特有の落ち着きでユリウスを見つめていた。
「久しぶりに話すな。」ユリウスが言った。「一年ぶりにもなるか。」
「たった一年なのに、まるで千年ぶりみたいな言い方だな。」ルシウスは向かいの椅子に腰を下ろした。
ユリウスは少し黙り込んだ。
「この一年の旅の間、俺は細胞の再生を止めていた。」いつもより低い声で彼は言った。「止めてから、時間の感じ方がはっきりと変わったんだ。この一年は、以前の感覚でいえば本当に一万年くらいに感じられる。」
沈黙。
「は?」ルシウスとイリスの声が重なった。
「本当だ。三年前から再生を抑え始めて、この一年は完全に止めている。」
ルシウスはしばらくの間、無言でユリウスを見つめていた。
「私たちのような者にとって、再生とは生まれながらに深く刻み込まれた本能のようなものだ。お前はそれに逆らって生きてきたことになる。」
「だから一年でこんなに老けたのね。」イリスが小さく呟いた。
「この一年で、時間が流れていく感覚をはっきりと感じた。」ユリウスは暖炉の炎を見つめた。「不思議な感覚だったよ。一歩一歩、一呼吸ごとに、自分が今までにないほど死に近づいているのがわかるんだ。」
しばらく、誰も何も言わなかった。
「だから、まるで一万年ぶりに会ったみたいな態度だったのね。」イリスが言った。
「お前たちは今も無意識に再生を使い続けているんだろう?」
「そうだ。」ルシウスが頷いた。「もはや本能のようなものだからな。」
ユリウスはしばらくの間、また炎を見つめていた。
「別に、お前たちにも本能を捨てろと言いたいわけじゃない。」彼は言った。「ただ……そう思っただけだ。そんなふうに存在し続けて、俺たちは一体何のために生きているんだろうな、と。」
暖炉の炎がぱちりと爆ぜた。
外では、雨がまだ降り続いていた。
誰も答えなかった。
三階では、ゼファーがベッドの端に横たわり、天井を見上げていた。
雨音が瓦を打ち、木の枝を打ち、濡れた地面を打つ音が絶え間なく響いていた。階下からは暖炉の炎がぱちぱちと爆ぜる音と、誰かが低く話す声が、言葉にならないまま上ってくる。
村が燃えたあの夜以来、初めてのことだった。彼には部屋があった。ベッドがあった。岩陰でも木の梢でもない、頭上を覆う屋根があった。
この感覚を何と呼べばいいのか、彼にはわからなかった。
けれど、それは空っぽではなかった。




