神無月 寒露 無花果(前編)
十月。
天窓から降り注ぐ陽射しも和らいで、季節が変わったのだと感じるようになった。
こんな場所で誕生日を迎えることになるなんて、一月にここに来た時には考えもしなかった。
でも、店長と二人で祝う誕生日は優しくて温かくて、家族と祝っているような気持ちになった。
結局、ケーキは出て来なくて、ご飯をケーキのように丸く模って、その上に鯛のお刺身を載せた。
店長は料理は作れるけど、お菓子はさっぱりらしく、ケーキが焼けりゃあ良かったんじゃが、と心底悔しそうにした。
その翌朝、カウンターにはケーキのレシピ本が置かれていた。
思い返せば、ここに現れるものは食材とレシピ本ばかりで、出来上がったものはどんなにお願いしても出て来ない。
だから、ケーキは出て来ないが、ケーキの材料とレシピは出してくれるのだと理解した。
目分量でもなんとかなる料理と違って、ケーキはきっちり分量通りに作らないと上手くいかない。
店長と二人、四苦八苦しながら作り上げた最初のケーキはただのスポンジケーキだったけど、今まで食べたどんなケーキより美味しく感じた。
そして十月十一日の朝。
カウンターに無花果が大量に盛られた籠が置かれていた。
「無花果……頼んだか?」
店長に問われて僕は首を横に振る。
頼んでもいない食材が置かれるのは決まって十二日の朝だけだった。
それ以外の日に現れるのは、僕達が頼んだ食材だけだった。
「ほいじゃあ……こりゃ、明日の食材かね?」
店長が困惑した表情で無花果を手に取って首を傾げる。
「でも前日に用意されてたことってないよね?」
「わしが一人でおった時もないのう……それにしもこりゃ二人で食べるには多すぎじゃ。ジャムにでもせにゃ消費できんで」
大きな籠に山盛りなので、かなり大量の無花果だ。
甘い独特の香りで満たされた店内で二人、どうやって食べようかと途方に暮れる。
「これがもし明日の食材だったとして……無花果って果物だからデザートにしかならんくない? ご飯は無理じゃない?」
僕が問うと店長も手にしていた無花果を籠に戻して、両腕を組んだ。
「無花果の天ぷらは聞いたことあるが……どう頑張っても食事にゃならんね。確かにこりゃ、どがぁしょうか?」
「無花果のレシピ本を頼んでみる? 今の僕達にはジャムとケーキしか作れんよ? カフェは開けてもランチは無理じゃろ」
「……ちょっと待ってみんさい」
店長は何かを思いついたように二階へ駆け上がって行き、しばらくして戻って来ると、手には使い込まれた分厚い本があった。
「こりゃ、わしがここに来たばっかりの時に貰うたレシピ本なんじゃが……これにもしかしたら無花果もあるかもしれん」
そう言ってカウンターの上に広げた本の索引を指でなぞる。
店長の指先を僕も目で追った。
そして、数ページ捲ったところで店長の指が止まる。
「あった!」
僕が先に声を上げた。
無花果を使った料理のレシピのページを見つけ、店長と二人で笑顔になる。
「無花果とチーズのサラダ、無花果のオープンサンド、無花果の生ハム巻き……意外とご飯になりそうなのがあるね」
僕が料理名を読み上げると、店長は渋い表情になっていた。
「ホンマに美味いんかのう? わしは酢豚のパイナップルとかサラダの中のリンゴとか……ああいうんはあんまり好かんが。これもそがぁなんじゃないんかのう?」
確かに僕もドライカレーの中のレーズンはあまり好きじゃない。
でも、本に載ってる写真は美味しそうに見えた。
「こんなにたくさんあるから試してみる? で、美味しかった料理を明日出す、とか?」
「いや、客より先に食べるんは……多分、駄目じゃ思う」
店長が首を横に振った。
確かに今までは当日の朝、食材が現れていたのもあって、客より先に僕達が食べることはなかった。
でも、今回は前日に食材が現れたのだし、そもそも明日の食材だと決まった訳じゃない。
そう店長にも言ってみたのだけど。
「前日に用意されたんは、時間のかかる料理をせぇってことじゃあ思う。漬け込むとか何か手間暇かかるもんをせんといけん気がする」
そう言って店長は無花果を見つめていたが、ふと僕を振り返って、「その前に朝飯を食わんといけんね」と朝食の準備を始めた。
そして、いつもよりパパッと朝食を食べ終えた僕達は、再び無花果の山を前に考え込んだ。
「とりあえずジャムを作っとこうか。ご飯よりパンがええじゃろうけぇ、ジャム塗って……」
「それだと朝食っぽくない? パンならレシピ本に載ってたオープンサンドにする方がボリューム出てランチっぽくない?」
「ほうじゃのう。食パンよりサンドイッチの方が昼飯にはええね。なら、無花果ソースを作るか? 肉にかけてもええし」
「でも、それだと無花果より肉がメインになるんじゃない?」
「確かにのう……ほいじゃあ、煮込むより冷やす方か? ゼリーとかもあったろ?」
僕達がああでもない、こうでもないと話していると、上から紙がひらりひらりと落ちて来た。
『明日は不在につき』
紙にはそれだけ書かれていた。
それを見て、僕達は顔を見合わせて笑った。
「なんじゃあ。それだけの理由で今日食材が出て来ただけかいっ」
店長がツッコミを入れる。
が、僕は『不在』という言葉に驚いていた。
「神様も出かけるんだ?」
そう呟くと、店長がニヤリと笑った。
「今月は神無月じゃけぇ、神様がおらん……ん? でもありゃ、まだ先じゃなかったかいの?」
神無月。
聞いたことある。
確か全国の神様が出雲に集まるから出雲だけ神在月になる、あれか。
「十月のことを神無月言うが、実際は旧暦でやるけぇ、来月じゃった気がするで。それも丸々来月とかじゃのうて、数日とかその程度の期間じゃけぇ。じゃが、去年もわしはこの時期ここにおったが、神さんが不在じゃったことはなかった思うがのう?」
店長はそう言って首を捻った。
「確か神無月でも留守番をする神様がいるんじゃなかったっけ……?」
前にそんな話をテレビだったか何かで見た気がする。
「恵比寿さんじゃね。えびす講のお祭りは恵比寿さんを慰めるために始まったもんじゃけぇね」
えびす講は広島市内で毎年十一月に行われるお祭りだ。
商売繁盛を願って熊手の先に七宝を飾った縁起物『こまざらえ』を買い求める人々で賑わいを見せる。
だが、いろんな屋台がたくさん出て周辺の店がセールをするので、商売をしていない人もそれらを目当てに行く。
僕も夏の『とうかさん』とこの秋のえびす講は引きこもりになるまでは、小さい頃は家族と、小学生からは友達と毎年欠かさず行っていた。
『とうかさん』は漢字で書くと『稲荷』でこちらも広島市内で六月の初めにあるお祭りだ。
日本で一番早い浴衣初めでもあったけど、僕は浴衣を着て行ったことはない。
今年は『とうかさん』のこと、すっかり忘れてた。
「じゃあ、ここの神様は恵比寿様?」
「さあなぁ? 何の神さんなんか、考えたことなかったわ。じゃが、違うと思うで」
「なんで?」
「多分な、わしは今、ここで裁判を受けとるんじゃと思う」
「裁判? なんで?」
「四十九日とか一周忌の意味知っとるか?」
問われて僕は首を横に振った。
そういうお葬式の『しきたり』という認識でしかない。意味までは気にしたことはなかった。
「死んだら七日ごとに裁判を受けて、四十九日目に行先が決まるんじゃと。一周忌はな、遺族が追善供養を行うことで、故人が仏の国へ無事に旅立てるようにするんと、あと区切りをつけて日常に戻るためにあるんよ。三回忌や七回忌も同じようなもんじゃね」
「そういえば、何回忌まであるん?」
「普通は七回忌まではしっかりやるが、そっから先はやらん人もおるね。まあ……三十三回忌が弔い上げになるかのう? それ以降もやっての人はおってじゃが……そうなるとご先祖様じゃ言うても顔も知らんような人のをやるようになるけぇね。その辺は宗派によっても変わるらしいけぇ。一般的にゃ三十三回忌でご先祖様の仲間入りじゃ」
そんな意味があったんだ、と思うのと同時に、目の前の店長は今その裁判中で、裁判の方法は閻魔様の前じゃなくて、食堂なんだ、と不思議だった。
そこになぜか僕がいる、ということも。
「あれ? ってことはここの神様は閻魔様?」
「閻魔様は四十九日の時じゃね。しかも五番目じゃ」
「ん? 五番って他にもいるの?」
「死んだら七日ごとに七回行われるんじゃが、七回とも違う人じゃけぇ」
「そうなんだ? 閻魔様だけかと思っとった」
「そのイメージが強いけぇね。じゃが、わしは誰ともまだ会うとらんね」
「えっ? どゆこと?」
「今の話は全部、生前本やなんかで読んだ話じゃけぇ。ただわしが勝手にこれは死後の裁判の一環なんかのうって思っただけじゃ」
「なぁんだ……」
結局、ここにいる神様のことも死んだ後のことも分からないままだ。
それに店長が死んでるって言うのも店長が言ってるだけで、本当かどうか分からない。
やっぱり店長は生きてて、お盆に店を出られたのも神様の気まぐれとかなのかも。
でも、ここが『普通』じゃないのも神様と思しき存在がいるのも事実だ。
だから、店長の言った裁判の話をなんとなく信じてしまった。
「死んだら……どうなるの?」
「わしは神さんの恩情でこがぁな店で試されとる。じゃけど、死んだら皆がわしと同じようなことになるとは限らんじゃろ。じゃけぇ、その質問にゃ、ちゃんと答えられんわ」
店長は少し寂しそうに言った。
そして、迎えた十二日の朝。
店の中はいつもと違って、神様が不在のせいか少し肌寒かった。
昨日から献立を考えて仕込みもある程度していたので、食材を見て何を作るか決める時間も不要で、落ち着いた朝を迎えることができた。
心にも時間的にも余裕があるせいか、いつもよりちょっとだけ朝食もゆっくり食べることができた。
今日の献立はいつもより気合が入っている。
和食ではなく洋食で、慣れないことに挑戦するので、少し緊張する。
今日のメニューにはケーキも入っているが、甘いデザートではない。
ケーク・サレというフランス発祥の甘くないパウンドケーキにする予定だ。
これをご飯の代わりに出す。
レシピ本で見つけて、これを作ろうと二人で決めた。
ピザもあったけど、作り方を読んでいるうちに早々に諦めた。
まずは一番時間がかかるこのケーク・サレに取り掛かる。
しめじと舞茸を刻んだものとベーコンを一緒にバターと塩コショウで炒め、ケーキの生地に混ぜ合わせる。
それをパウンドケーキの型に流し入れ、オーブンで四十分から五十分焼く。
その間にサラダとメイン料理を作る。
店長がメイン、僕はサラダの準備をする。
一人で一品任されたのは初めてだ。
煮たり焼いたりする工程はないけど、包丁を使う。
「そういえば、無花果って花が無い果物って書くよね? 花がないの?」
「花はあるよ。外に咲かんこう、内側に咲くんよ」
「内側って、どういうこと?」
「無花果切ってみんさい。中にある赤いブツブツが花よ」
「えっ? これが?」
「見えんけぇね。昔の人は花が咲かんのに実が成るって不思議じゃったろうね」
内側に咲く花。
確かにそれは不思議だ。
無花果の由来を知ったところで、店の戸がカラカラと音を立てて開いた。
僕と店長が同時に顔を上げる。
「いらっしゃい」
店長の声に続いて、僕も「いらっしゃいませ」と言いながら手を洗って盆を手に取る。
入って来たのは女性だった。
丁寧に結われた髪と背筋の伸びた立ち姿が大企業の受付を連想させた。
それでいて服装はパーカーにジーンズというスポーティーなものだった。
ゆっくりと店内を見回す彼女に席を勧め、お茶とおしぼりを出す。
「うちはランチメニューが一つしかないので。今日は無花果料理になりますが、大丈夫ですか?」
僕の言葉に女性は一瞬、何か引っかかった様子を見せたが、「大丈夫です」と言って席に座った。
無花果と聞いてデザートを思い浮かべた?
女性の一瞬の表情が気になりながらも、僕はサラダのソース作りの作業に戻った。




