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葉月 立秋 蛸(後編)

「あの……本当に誰からもお代を頂いてないし、食材も頂いた物で料理しているので……」

 おずおずと僕が言うと、男性は「ですが……」と眉間に皺を寄せた。

 それから僕達を見て、軽く溜息を吐いた。

「……ダメですね、私は。真面目過ぎるとか融通が利かないってよく言われるのは、こういうところなんでしょうか」

 男性は困ったような笑みを浮かべた。


「皆と同じでいたいと思ってるんですけど、皆と同じでいようとすればするほど、自分が皆と違うって突きつけられてる気がして……」

 その気持ちは僕も分かる気がした。

 学校とか集団の中だと人と違うことは誇れることもあるけど、違うことで馴染めないことは罪のように感じる。

「皆って言うが、その皆って誰ね?」

 不意に店長が男性に問い掛けた。

「どうせ思い浮かぶんは自分の周りの数人じゃろ? 十人十色言う言葉を知らんか? 皆も普通もあって無いようなもんじゃが。皆が皆、同じ考え、同じ行動しかせんかったら、世の中こがぁに便利にならんかったはずじゃろ」

 店長のその言葉に男性はハッとしたように顔を上げて、店長を見た。


「ですが……皆と違うってことは気持ち悪いことだと思います。だから、隠して皆と同じでいようって……違うってバレないように……」

 そう言いながら男性の視線は再び下を向き、左手を右手で覆った。

 何を隠してるのか、話が見えない。

 不倫してる、とか?


「……確かにのう。違うってことを受け入れられん人は多いが。協調性いやぁ聞こえはええが、合わんもんを排除して守るんは、わしゃ違うと思うがね」

 店長は男性が何を隠しているのか、気づいてるのか。

「先輩はそんな私を受け入れてくれた唯一の人だったんです。先輩は……『普通』だったんですけどね。私とは真逆で明るくて誰からも好かれるようなタイプで……私との関係もオープンにしたいと言ってくれたんですが……その、私は……周りに知られたくなくて……そういう目で見られるのが怖かったんです」

 先輩って……もしかして、女性じゃなくて男性?

「今日もお墓参りに行くのに、先輩のご両親には職場の『同僚』だと伝えました。でも、先輩のお母さんにはバレてしまいました。先輩はご両親にも私のことを話してなかったようなんですが、母親というのはこういうことに気づいてしまうものなんですかね?」

 苦笑する男性に店長は「女性は鋭いけぇね」と笑った。


「『息子に良い人がいるみたいなんだけど、もしかして……あなた?』って訊かれて、一瞬言葉に詰まりました。なぜ分かってしまったのか……多分、普通の同僚らしくなかったんでしょうね。他の同僚は親しかった人でも葬式に参列しただけでしたし。命日でもなんでもない日に家に訪ねて行くなんて……友達でもないのに変に思われたんでしょうかね」

 ああ、この人が隠していることって、()()()()()()か。

「ご両親は本当に何も知らなかったようで……あれこれ質問攻めに遭いました。そりゃそうですよね。『普通』だった息子が『普通』じゃなかったって知って、それを聞こうにも息子はもういないんですから。でも、温かいご両親でした。先輩のご両親なんだって……私を変な目で見ることもなく、また来てくれと言われました」

「……その、先輩はどうして……?」

「交通事故です。会社帰りにケーキを買おうとして、閉店ギリギリだったので急いでたんです。横断歩道のない場所を無理に渡ろうとして……私の誕生日だったから……」

 そう言って男性は辛そうに身を屈めた。

 自分の誕生日が大切な人の命日になるなんて。

 しかも、自分のために急いで事故に遭ったなんて。

 僕だったらとても耐えられない。


「外食すれば良かった。人の目を気にして、家で祝おうなんて言ったから。私が……隠してばかりで、卑怯だったから罰が当たったんです」

「何も悪いことしとらんのに罰が当たる訳なかろうが」

「じゃあ、それが先輩の運命だったとでも言うんですかっ」

「罰も運命もそがぁなもんは生きとる人間が勝手に言うとるだけじゃ。そうせにゃ、残されたもんは生きてけんけぇ。そうせにゃ、心が潰れてしまうけぇ。心が前を向けるようになるんじゃったら、罰でも運命でも何とでも理由をつけてしまやええ。死んだもんが願うんはな、生きとるもんの幸せじゃけぇ。自分が死んでもちゃんと生きて欲しい。そう思うとるもんよ。自分が死んだせいで、大切な人がいつまでも暗い顔して、死んだように生きとるって知ったら……死んでも死に切れん。そう思わんか?」

「そう……かもしれませんけど……先輩にはよく笑えと言われました。いつも不機嫌そうに見えると言われてて……だから、私が笑うと嬉しそうでした」

「ほうじゃろ。ご両親にもお客さんの口から伝えたんじゃろ。隠しとることを自分の口で伝えたんじゃ。先輩も喜んどるんじゃないか?」

 店長の言葉に男性は静かに涙を流して、頷きながら眼鏡を外して手で涙を拭った。


「すみません……醜態を晒しました」

 少しして落ち着きを取り戻した男性は、眼鏡を掛けながら恥ずかしそうにそう言った。

「あの、ご馳走様でした。お言葉に甘えさせて貰っても……」

「おう。そういうのはええけぇ、ええけぇ」

 店長は片手を振ってニッと口角を上げた。


 男性は恐縮した様子で何度も頭を下げ、店の戸に手を掛けた。

「あ、あのっ」

 思わず呼び止めてしまった。

 振り返った男性に僕は言葉に詰まる。

「ミヨシと言います。地名の三次ではなくて、未に吉と書いて未吉です」

 男性はそう名乗って、再度頭を下げて店を出て行った。


「なんで……名前を聞きたかったって分かったのかな?」

 閉まった戸を前に店長に問う。

「さあねぇ? そりゃわしにも分からんが……昼飯にする前にちょっとええか?」

 珍しく神妙な表情で店長が椅子を指さした。

 カウンターに並んで座る。


「……明日は迎え火を焚く日じゃけぇね。あんたには話とかんといけん思うとったんじゃが、なんとなく言い出せんかっての」

 店長はそう前置きをして、僕を真っ直ぐに見据えた。

「最初はあんたももしかして、思うて。わしと同じじゃけど、気づいとらんのかと思うたら、言い出せんかったんじゃが……どうやらわしとは違うようじゃけぇ」

「違うって……何が? 何のこと?」

 店長も何か隠し事がある。

 それは前から感じてた。

 人間じゃないのかもって、思うくらい。

 でも、店長の答えは僕の予想は外れてた。


「わしはな……実はもうこの世の人じゃないんじゃ」

 店長の言葉をすぐには理解できなかった。


「今年の一月に一周忌を迎えたけぇ、来年は三回忌じゃ。釣りをしよって、うっかり海に流されてしまっての。多分、わしの体は海の底じゃけぇ、墓は空じゃろうなぁ」

 前に『一周年』と不思議な言い回しをしたのは、『一周忌』と言いかけたのを取り繕った結果だったのか。


 その時、カサッと音がして天井から再び紙が舞い落ちて来た。


『十三日から十六日、一時帰宅せよ』


 そう書かれていた。

「出られる……?」

 突然の神様からの許可をすぐには理解できなかった。

「盆じゃけぇね。迎え火を焚いてもらえりゃ、帰れる。じゃが……あんたは多分出られん思うで」

「なんで?」

「死んどらんじゃろ?」

 店長の言葉に急に不安になった。

 もしかして、気づいてないだけで僕は既に死んでるんじゃ……?

 だからこの店に辿り着けて、こうして出られなくなった。

 店に来た客達も皆、実は死んでてここで未練とかそういったものを浄化して成仏した、とか?


「店を出たら……成仏するって……こと?」

「どうじゃろか。わしもまだ出られんけぇ分からんが……あんたも客も死んどらん思うで?」

「自分で気づいてないだけなんじゃ……? ここに来る途中で死んでたとか。そもそもここに来たのも死んだから来たとか。だって、僕がいなくなったのにニュースになってないっておかしいじゃん。もし行方不明ってことになってたら、ここに来た客の誰か一人くらい僕を見て、行方不明の人だって驚かれたはずじゃんっ。そうなってないってことは、僕が死んでて、普通に家族が葬式したから……誰も僕を探してないって、探す必要がないってことじゃんっ」

 不安が堰を切ったように口から滑り出るのを止められなかった。


 店長も思い返せば同じことを言っていた。

「……心配されんけぇね」

 あの時のあの言葉は家族は店長が既に死んでることを知ってたから。

 死んだ人の心配はしない。


「しっかりせぇっ」

 店長が急に大きな声を出したので、僕は驚いてその場に固まった。

「まだ死んだって決まった訳じゃないじゃろ。ニュースになっとらんのも、別におかしいことじゃない。小さい子供じゃったらすぐにニュースになるじゃろうが、あんたは大きいが。事件性がないとニュースにならんのかもしれんが」

「でも……」

「分からんことで悩んどっても答えは出んのじゃけぇ。それより、できることして、前を向かにゃ。下向いとったら何も見えんようになるで」

 店長の言葉は正しい。

 そう思う。

 でも、自分が死んでいるのかもという不安はすぐには消えなかった。


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