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水無月 芒種 小鰯(後編)

「こちらのお料理……写真に撮らせて頂いても……よ、よろしいでしょうか?」

 女性のお願いは僕の予想に反して、他愛ないものだった。

 それは店長も同じだったようで、一瞬、間が開いた。

「あ、あのっ。ご無理でしたら全然……断って頂いて全然構いませんのでっ」

 女性は慌てた様子で早口に両手を胸の前で振った。

「あ、いや。そりゃ全然好きに撮ってくれて構わんけど」

 店長がそう答えると、女性は動きを止め、安堵したように胸に手を当て「ありがとうございます」と礼を述べた。

 そして、隣の椅子に置いた大きなバッグからカメラを取り出した。

 しかも一眼レフ。

 てっきりスマホで撮るのだと思っていたので、立派なカメラを出されて驚いた。


 女性はカメラを構えると、真剣な表情で料理を撮り始めた。

 その様子は先程までのおどおどした様子は微塵もなく、流れるような動作はプロに見えた。


「カメラはお仕事で……?」

 店長が問うと、女性は「ち、違いますっ」と片手を振って否定した。

「ただの……趣味です。あ、一応仕事でも使ってはいるんですが……」

 再び声が小さくなり、自信なさそうな表情に戻った。

「お仕事は……って訊いてもいいですか?」

 僕が問うと、女性は手に持ったカメラに視線を落とした。

「……熊野筆を作ってます。でも、私は不器用だから、最近は広報の仕事をしてます」

 そう言って女性は顔を上げた。

 その表情は寂しそうな、悔しそうな複雑な表情だった。


「うちは両親共、代々熊野筆を作ってる家で、だから私はサラブレッドみたいなものなんで、小さい頃から期待されてたんです。でも、全然ダメで……下に妹と弟がいるんですけど、二人は両親に似て手先が器用で。だから、私だけ養子なんじゃないかって真剣に悩んだ時期もありました。本当は私が跡を継がないといけないんですけどね。こんなだから……」

 そう言った女性の語尾は消え入るようで、今にも泣きそうな震える声だった。

 俯きかけた女性に店長が「お客さん」と声を掛けた。

「向き不向きは誰にでもある。医者の家に生まれたら医者にならんといけんっちゅう法律はないんじゃけぇ。お客さんも熊野筆の職人の家に生まれたけぇ、なにがなんでも職人にならんといけんこたぁないと思うで。しかも今の時代、そがぁな考えの人は少のうなってきとると思うが?」

「そ、そうですけど……うちは古い考えで……それに私には他にできる仕事はなくて……」

「写真。撮っとる時の表情はプロのもんじゃったで。きっとええ写真が撮れとるんじゃないか? それに広報しとるって()うとったが、広報は会社の顔じゃけぇね。それを任されとるんじゃけぇ、大したもんじゃと思うが?」

「うちは皆パソコン関係が(うと)くて……偶々(たまたま)私がそういったことにちょっと詳しいから、よく分からずに私に任せてるだけなんです。それに他にもちゃんとした広報の担当の方はいるんで。私は本当に職人向きじゃないから、そこそこ詳しいパソコンスキルを活かせる広報でもさせとこうって……それだけの理由なんです」

「ほうかのう?」

 店長は腕を組んで首を傾げたが、女性はカメラを脇に置き、箸を手に取った。

「せっかくのお料理が冷めちゃう。私のどうでもいい話のせいで、すみません。いただきます」

 丁寧に手を合わせてから女性は料理を食べ始めた。


「美味しい……」

 囁くような声に、店長は満足そうに笑んだ。

 僕も思わず笑顔になる。

 が、女性の表情は徐々に曇り始めた。


「あの……お口に合いませんでしたか?」

 何か言いたそうな、けれど口を閉ざす女性に僕は恐る恐る訊いてみた。

「あ、いえ。本当に美味しいです。大丈夫です」

 女性はそう言って静かに食事を続けた。

 が、店長も女性の様子が気になったようで。

「遠慮せんこう、なんかあったら()うてぇね。全然気ぃ遣わんでええけぇ」

 そう促すと、女性は「それじゃあ……」と上目遣いに店長を見た。


「小鰯って夏が旬……ですよね?」

「まあ、そうじゃが、漁の解禁はつい先日じゃったけぇね。この六月から八月頃が旬じゃね」

「そう……なんですか。夏のイメージでした」

「それが気になっとったん?」

「あ……はい、少し。六月なのに夏の食材なのかって思って。ただそれより、そのぉ……こちらは一皿に料理を盛って提供するスタイル……なんですか?」

「そうしとるが……刺身と唐揚げが一緒の皿にあるんはやっぱりいけんかったかいのう?」

「それも……ですが……こちらの乗っけ寿司。四角に成型された酢飯の上に小鰯のお刺身が乗せられて、そこに錦糸卵、刻んだショウガとネギで飾られてますが……女性はまだこれだけでも満足できますが、男性客は満足できないんじゃないでしょうか? 他に汁物や小鉢、茶碗蒸しなどがあった方が良くないですか? 小鰯がメインだとしてもそれだけっていうのは……」

 言いにくそうにしつつも、急に饒舌になった女性に店長は一瞬唖然とし、それから痛いところを突かれた、とばかりに顔を歪めた。


「あ。す、すみませんっ。無料で提供してくださっているのに、こんな失礼なこと……すみません」

 女性は頭をテーブルに打ち付けるのではないかと思うほど、その場で何度も頭を下げた。

「い、いや。ホンマのことじゃけぇ。全然構わんし、それに謝ることじゃないけぇ。頭上げんさい」

「い、いえっ。本当に失礼なことを……広報の仕事を始めてから、ついそういった目線で何でも見てしまって……」

 女性は本当にすまなさそうに俯いた。

 でも、女性が言ったことは実は僕も少し思っていたことだった。


 店長が作る毎日のご飯は一皿とか使う食材の制限がないので、食卓にはいろんなものが並ぶ。

 皿もおかずごとに分けて盛られるし、いろんな食材を組み合わせて作られる。

 だけど、ここに来る客に出す料理は基本的に三品を一皿に盛っていた。

 三品の中にはご飯も含まれる。

 だから、正直寂しく見える。

 それでも僕がここに来てから見て来た客達は、店長が出す一皿に満足して店を後にした。

 美味しかったのと、お代が要らなかったのも影響していただろう。

 それに店を訪れて心が軽くなったことが、客が満足した大きな理由だと思う。

 料理でお腹がというより、心が満たされたんだと思う。


 でも、冷静にここのランチを分析すれば、美味しいけど物足りない、という結果になる。

 店長もそれは自覚していたようだ。


「流石じゃのう。お客さんはやっぱり広報に向いとると思うで。実はわしはプロの料理人じゃないんよ。それらしく振る舞って繕っとったんを見事に見破られたのう」

 苦笑する店長に女性は少し驚いた様子で店長を見た。

「プロじゃないって……本当ですか? こんなに美味しい料理、素人じゃ作れませんよ」

「その小鰯はな、七度洗えば鯛の味()うけぇ、これも七回洗ったんで。小鰯に限ったことじゃないが、料理は下ごしらえが大事じゃけぇね。丁寧にやりゃあ、素人が作っても美味(うも)うなるもんよ」

「確かに……そうかもしれません。筆を作る工程って七十三あるんですが」

「そんなにあるんかっ?」

「え、ええ。あ、書道に使う筆の場合ですが、大きく分けても十二はあります。選毛と言って、まず毛を選ぶ作業があって、火のし……簡単に言うとくせ毛を直すのにアイロンをかける作業、それから毛を揃えて悪い毛を抜き取ったり……筆先を作るまでにたくさんの工程があって、それら全てが手作業なんです。特に熊野筆は切り揃えたりしないので……あ、毛先の話です。お尻の部分は(はさみ)で切るんですけど。下仕事と呼ばれるたくさんの工程が筆の美しさを決めると言っても過言ではありません。そこはなんだか……料理と似てますね」

「ほうじゃのう。小鰯も小さくて弱い魚じゃが、立派な鯛の味になるかならんかは下ごしらえをちゃんとやったかどうかじゃ。それに自分が弱いと知っとるけぇ、常に群れで行動して身を守っとる。人は一人で生きとるんじゃないけぇ、できんことはできんでええ。できる人にやってもらやぁええんじゃけぇ。代わりに自分ができることをやったらええ。さっきも言うたが、お客さんも筆作るんが苦手なんじゃったら、得意な写真とその見る目を活かして広報を頑張ったらええ。向いとる思うで。この皿の指摘、的確すぎて返す言葉もないわ」

 苦笑する店長に女性は「す、すみません」と小さくなった。


 女性のそんな姿に自分が重なって見えた。

 僕も自分に自信がない。

 初めから自信がなかった訳じゃない。

 ここまで卑屈になってしまうのは、何度もそういう経験をして学習したからだ。

 自分はダメなんだ、と。

 だからか、店長の女性に向けた言葉が僕にも刺さった。


 エプロンの端を握り締め、僕は思い切って女性に声を掛けた。

「あ、あの……さっき撮られた料理の写真、見せて貰ってもいいですか?」

「え、あ、はい。た、大したものじゃ……全然ないですけど」

 そう言って女性はカメラを操作して見せてくれた。

 画面を覗き込むと、とても美味しそうな一皿が美しく映し出されていた。

 アングルを変えて数枚程あったが、どれもこの一皿の良さが引き出されている。

 ただの趣味だと女性は言ったが、プロの写真家が撮ったと言われても信じる。

 上手ですね、というのも(はばか)られるような写真だった。

「凄い……」

 語彙力のなさを露呈するだけの感想しか出ない。


「どれ、わしにも見してみんさい」

 店長がカウンターから覗き込むと、女性が席を立ち上がって見やすいようにカメラの画面を向ける。

「おお。こりゃ……プロのカメラマンみたいな写真じゃのう。わしが作ったとは思えんな。プロの料理人が作ったみたいじゃ」

 店長の言葉に女性は照れた様子で俯いた。

「そのプロの目でこの皿の改善案を()うてくれんか? どがぁしたらええじゃろか?」

「……わ、私なんかが偉そうに言えたもんじゃないですが」

「ええけぇ。忌憚(きたん)ない意見が聞きたいんよ」

「単純に量を増やす、というのも手だと思います。品数が少なくても満足感は得られます。あと、熱いものと冷たいものを分けるのに皿の上に豆皿を置くとか……」

 立て板に水とはまさにこのこと、という見本のように、女性の口からは次々と改善案が出て来て、店長が思わず「ちょっと待ちんさい、メモするけぇ」と紙とペンを取り出す事態になった。


 話すうちに次から次へと案が湧いて出るように、女性の表情も明るく目を輝かせ、自信を取り戻していくように見えた。

 一皮剥けたような姿に僕もなんだか嬉しくなった。


「ええこと聞かしてもろたけぇ、次からは工夫してみるわ。やっぱりお客さんはプロじゃねぇ」

 一通り聞き終えた店長が感心した様子で言うと、女性は照れた様子で片手を振った。

「わ、私なんて……でも、なんだかスッキリしました。広報の仕事……仕方なくやってましたが、頑張ってみようと思います」

 晴れやかな笑顔を見せる女性に店長も僕も笑顔になった。


「あっ、すみません。すっかり長居してしまって……」

 ふと我に返ったように女性は慌てて立ち上がった。

「見ての通り他に客はおらんし、うちは昼の営業だけじゃけぇ。ゆっくりしてもろうて構わんよ」

 店長が笑むと女性は改めて店内を見回した。

「こんなに良いお店なのに、人が来ないなんて……それに無料って……ボランティアの一環か何か……ですか?」

 怪訝な表情で問う女性に店長は困った笑みを浮かべた。

「まあ……ボランティアみたいなもんかのう?」

 そう言って視線を僕に向けた。

 女性の視線もつられて僕へ向くので、僕は「ええ、まあ」とよく分からない返事をして頷いておいた。


「あ、そうだ」

 ふと何かを思いついた様子の女性はバッグの中をごそごそと探し、小さな長方形の箱を取り出した。

「うちの新作の筆です。妹と弟の合作なんですけど……小筆です。最近はメイクブラシに力入れてるんですけど、書道の筆が熊野筆の原点なんで。才能があると言ってもまだまだ職人としてはヒヨッコなので、まだまだなんですけど。でも、良い出来なので、私が広報としてこれを広めたいと思います。なので……この筆が有名になるのを見守っててください。たくさん筆があるので、この筆が有名になった時、すぐに気づけるように……これを見本に置いて行きますね」

「分かった。どんなに優れた物でも誰も知らんと意味ないけぇね。期待しとるよ」

 店長の言葉に女性は「はいっ」と力強く頷いて、店を後にした。


 店の戸が閉まると、店長は僕の肩をぽん、と叩いた。


「片付けようかの」

 タトゥーの話をせず、淡々と日常に戻ろうとする店長に僕はちょっとだけ期待して、二階に駆け上がった。

 鏡の前に立った僕は。

「……消えて……ない」

 首を触って確かめるが、薄くもなってなかった。

 何も言わなかったのは僕への優しさだったのか、と落胆する。


「昼飯にするでっ」

 一階から店長が声を張り上げる。

 足取り重くカウンターに座ると、そこに置かれた皿に思わず笑みが零れる。

 先程の女性に指摘されたことを早速実践していたからだ。

 量を多くして、豆皿に刺身が乗っていて。

 盛り付けも工夫されていた。


 そして、箱から取り出された小筆には『巳岡(みおか)』と彫られていた。


「どっかに飾っとこう思うんじゃが、どこがええかのう?」

 店長に問われ、僕が店内を見回すと、不意に天井から紙が降って来た。


『この筆でこの紙に書け』


 紙にはそれだけが書かれていた。

 そして、いつの間にかカウンターの端に書道セットが現れていた。


「何を?」

 僕は当然の疑問を口にした。

 紙には『書け』としかない。

 何を書いたらいいのか。

「必需品なのか願いなのか分からんが……飾るなっちゅうことかもしれんな」

「ああ。飾らずに使えってこと?」

「ま、深く考えずにまずは昼飯を食おうや」

 店長に促され、両手を合わせた。


 久し振りに神様の言葉を聞いた気がする。

 正確には『見た』だけど。


「いただきます」


 静かな店内に僕の声が響いた。


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