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水無月 芒種 小鰯(前編)

 六月。

 今月も十二日の朝を迎えた。

 外に出ることがないので、季節感は全くない。

 ただ、サンルームの天窓を見上げて、天気だけが分かる。

 今日は少し曇っていた。


 顔を洗い、身支度を整えてから店に入ると、生臭い匂いに思わず顔を(しか)める。

「お、おはようさん。今日は大量じゃけぇ、ちぃっと手伝(てご)うしてや」

 僕の姿に気づいた店長が珍しく台所に招き入れる。

 そこには大きなボウル山盛りに小鰯が入っていた。


「こうも大量じゃと下処理が面倒なんよ」

 そう言って店長は僕に荷物を梱包する時に使う、プラスチック製の硬い紐を渡した。

「小鰯にはPPバンドが一番じゃけぇ」

 PPバンドって言うのか。

 短く切ったPPバンドを二つ折りにして、端をホッチキスで留めてあった。

 

「頭取っとるんはPPバンド(コレ)で内臓を取ってくれるか? 頭が付いとるんは三枚に下ろして」

 そう指示されたけれど。

「どうやって使うん?」

 PPバンドを手に問うと、店長は心底驚いた顔で僕を見た。

「あんた、広島県民じゃろ?」

「そ、そうだけど……」

「えっ? 広島県民じゃったら、料理したことのうても小鰯は(さば)いたことあるじゃろ? 親がしよるの見たことないんか?」


 ご飯は出来上がった後しか見ていない。

 台所から包丁で切る軽快な音、油で揚げる音、焼く音、そして、美味しそうな匂い。

 それはずっと聞いて嗅いで育った。

 でも、見たことはなかった。

 小さい頃は危ないから、と台所には入れて貰えなくて、大きくなったら勉強や遊んでて台所へ行くことはなかった。

 手伝いは出来上がった料理を食卓へ運んだりする程度だった。

 それにここ三年は引きこもっていた。


「まあ、ええわ。よう見とれよ。バンドを頭の切り口のここ、内臓部分に当てて腹身と一緒にこうやって一気に取る。三枚に下ろすんも頭を押さえ取ってこうやって……こうっ!」

 店長は手慣れた様子で綺麗に内臓を取り、三枚に下ろした。

「小鰯は小さいけぇね、包丁よりバンドがええんよ。それに『七度(ななたび)洗えば鯛の味』()うてな、下ごしらえが命なんよ。丁寧にやりゃあ、素材が活きる。料理は小鰯に限らず、下ごしらえが味を決める()うても過言じゃないけぇ。ま、こんだけ手ぇ尽くしても食べるのは一瞬じゃけどね」

 店長はそう苦笑して、「やってみ」と小鰯を一尾、まな板の上に乗せた。

 店長は簡単そうにやっていた。

 これならできる、と思ったのだけど。


「恐る恐るやらんこう、こう一気に思い切って……そうじゃのうて、もちっとこう……どがぁ()うたらええんかのう?」

 思いの外、僕が不器用だというのもあるけど、店長のように滑らかに捌けず、身がぐちゃぐちゃになってしまった。

 そんな僕の様子を店長はもどかしそうに見ていたが、ついに手が出た。

「貸してみんさいっ」

 僕からPPバンドを奪った店長は再度実演して見せた。

「コツは一気にやるっ。それだけじゃ」

 そして、再び僕にPPバンドを渡し、まな板の上に小鰯を一尾乗せた。

 再度、挑戦してみる。

 思い切って一気に……少し手に力が入ったけど、するりと内臓が取れた感触に思わず笑みが零れる。


「ほいじゃあ、あとこんだけ任せたけぇね。わしは他の仕込みをするけぇ」

 店長はニッと笑んで別の作業に取り掛かった。

 一度できたら失敗することなく、徐々にスピードも上がり、僕は小鰯の内臓を取る作業に没頭した。


 魚の触感も匂いも最初気持ち悪いと思ったが、慣れたら平気だった。

 やってみればなんてことない。

 一度失敗しても投げ出さずにまた挑戦すればできるようになる。

 きっと当たり前のことを僕は店長から初めて教わった気がした。


「お。上手にしたなぁ」

 あと数匹というところで店長が僕の様子を覗いた。

 店長の方は準備を終えたようだ。

「これを数回洗って水気を取ったら終わりじゃ。今日は刺身と唐揚げ、飯は……乗っけ寿司にしようかの」

「定食にするん?」

「いや。最初に()うた気がするが、ここで客に出せるんは一皿だけって決まりがあるんよ。じゃけど、皿の大きさに決まりはないけぇ、一皿にいろいろ盛って出しよる。今のところ昼にしか来んけぇ、昼飯に刺身だけじゃったら満足せんけぇね。ただ、一皿じゃけぇ飯をどがにぃするか、いっつもそこが悩みの種じゃいのう」

 店長は両腕を組んで溜息を吐いた。


「ま、とりあえず、洗おうか」

 店長は腕(まく)りをして一緒に並んで小鰯を洗い始めた。

 その腕のタトゥーはほとんど消えていて、まだ胴体と足の一部にはあると言っていたけど、僕はふと不安になった。

 店長はここに既に一年以上いる。

 タトゥーは増えることもあったと言っていたけど、今のところ順調に消えている。

 この調子でいけば、もしかしたら僕より先にこの店を出られるんじゃ……?

 そうなったら今度は僕が店長に昇格するんだろうか。

 そして、独りぼっちで客を迎えるのだろうか。


「手が止まっとるで。ちゃっちゃとせにゃ、客が来てしまうで」

 店長に言われて、我に返る。

 今は考えるのはよそう。

 頭を切り替えて小鰯を洗う作業に戻るも、不安は消えなかった。


 そうして、あとは小鰯を揚げるだけとなった頃。


 ガタッと戸が少しだけ動いた。

 細く開いた隙間から「す、すみませぇん……」とか細い声がした。

 聞き逃しそうな小さな声。


「開いとるけぇ、どうぞ入って」

 店長が声を掛けると、ゆっくりと戸が開いておずおずと女性が入って来た。


 狭い店内を挙動不審にきょろきょろ見回していたので、「こちらへどうぞ」と席へ促す。

「荷物は隣の席に置いてください。ランチは一種類で、今日は小鰯の料理になります」

 僕がここに来てから客を迎えるのは五人目なので、流れるように説明ができた。


 女性は三十代くらいで、セミロングの髪を一つに束ね、ラフで動きやすそうな服装をしていた。

 仕事という雰囲気ではないし、観光客という感じでもない。

 地元の人だろうか。

 でも、大きな斜め掛けのバッグを持っているところを見ると、やはり観光客なのか。


 いろいろ想像しながらお茶とおしぼりを出す。

「あ、すみません」

 女性は頭を下げながらそう言っておしぼりを受け取り、軽く手を拭いた。

 そして、再びおどおどした様子で落ち着きなく店内を見回した。


「お手洗いじゃったら、二階に……」

 女性の様子に店長が小鰯を揚げながらそう声を掛けると、女性は両手を振った。

「ち、違います。そ、そうじゃなくてぇ……そのぉ……」

「もしかして値段気にしとるんか? それじゃったらお代は頂かんけぇ、安心してええで」

「えっ? た、無料(タダ)なんですかっ?」

「おう。うちは客が満足してくれたらそれでええ。それがお代じゃけぇ」

 店長の言葉に女性は一瞬怪訝な表情になり、次いで不安そうな表情になった。

 きっと変なものが出て来るとか不味い料理が出て来るとか、そんな想像をしたのかもしれない。

 けれど、小鰯が揚がるじゅわっと油が()ぜる音、店内に広がる香りに不安そうな表情も徐々に(ゆる)んで来た。


「お待たせしました。小鰯の刺身、小鰯の唐揚げ。そして、小鰯の乗っけ寿司になります」

 出来上がった一皿を女性の前に置くと、女性は一瞬笑顔を見せたが、すぐに沈んだ表情になった。

 そして、「あのう……お願いがあるんですけど……」と不安そうに店長を上目遣いで見やった。


 この表情、この雰囲気。

 もしかして……小鰯が苦手、とか?


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