皐月 立夏 アスパラガス(後編)
「お待たせしました。アスパラのクリームパスタです」
店長が出来上がった一皿を出すと、龍泉さんは笑顔を見せた。
「これ、具じゃなくて麺がアスパラですね」
「アスパラもメインになるじゃろ?」
店長はそう言ってドヤ顔をした。
龍泉さんも「そうですね」と唸った。
僕もその一皿に思わず見入った。
アスパラをピーラーで麺状にし、それをクリームソースで和えている。
具にはベーコン、玉ねぎ、キャベツが入っていた。
さらにパスタの上にはアスパラを丸々一本に豚肉を巻いて焼いたものが二本、乗せられていた。
「アスパラってこんな食べ方もあるんですね」
「アスパラは何にでも合うけぇの。それに頭と根元、真ん中で食感も変わるけぇ、それも楽しんでみてぇや」
「はい。では、いただきます」
龍泉さんは手を合わせてから、箸を手に取った。
「美味しいです。パスタと違って食感が面白いですね。アスパラのイメージが変わりました」
龍泉さんは本当に美味しそうにアスパラを頬張った。
それを店長は満足そうに見つめた。
美味しく食事を楽しんでくれるのは嬉しいけれど。
この店を訪れる客は心に何かしら抱えている人ばかりだった。
龍泉さんは今までの客とは違って、悩みも何もないように見える。
今日だって観光列車で休日を謳歌しているようだし。
そう見えたのだけど。
「ごちそうさまでした」
特に何も話さず、龍泉さんは食事を終えてしまった。
が、ちらと腕時計を見て、龍泉さんは店長を見た。
「まだあと三十分あるんで、この辺で何かお土産買って帰ろうと思うんですが、オススメはありますか?」
「わしは昔っから大福や練り物が好きなんじゃが、最近は他にもいろんなもんが出とるけぇ、駅前の店で店員さんに聞くんが一番ええ思うで。あっこにはいろんなもんが集まっとるし」
「確かに、そうですね。車内販売でもいろいろ見たんですが……何が一番いいのか、決められなくて。こんな斬新でオシャレなランチを作られる方なら何かご存じかと……」
龍泉さんの表情はさっきまでの笑顔は消え、暗く沈んだ。
食事前に一瞬見せた、疲れた表情に戻った気がした。
それから龍泉さんは軽く溜息を吐いて、心に抱えているものを語り始めた。
「先程も少しお話しましたが、琴は女性社会で母方が代々奏者の家系なんです。父は婿養子で。代々と言ってもうちは歴史が浅くて、私でまだ五代目です。流派も幾つかあるんですが、主な流派は二つあって、そのうちの一つから派生した分派に属してます。初代はその元の流派だったんですけどね。そういう家なんで、私が生まれた時、母は少しがっかりしたそうです。父は喜んでくれたそうなんですが。私の下に妹が生まれたらその子を琴奏者にと考えていたそうなんですが、その後は子供ができなくて……小学校に上がる頃に琴を始めました。当時は周りに女性しかいなくて、その中に男は私一人だったんで、凄く嫌で何度も止めたいって言ってたんです」
「そりゃ小学生なら友達と外走り回って遊びたい時期じゃしなぁ」
「そうなんです。ゲームも禁止で、とにかく学校から帰ったら琴の時間で遊ぶ時間もないから友達はいませんでした」
「芸事の世界は厳しい言うが、子供にはキツイのう」
店長の言葉に龍泉さんは自分の手に視線を落とした。
「毎日手に肉刺ができて……本当に辛い日々でしたが、でも琴を弾いてる間はそれでも少し楽しかったんです。練習すればした分だけ、ちゃんとできるようになるんで。弾けなかった曲が弾けるようになる楽しさ、他の人が弾けない曲が弾けるようになった時の優越感。そんなことが積み重なって、嫌々やっていたはずの琴がいつの間にか好きになっていました」
龍泉さんの言葉で今朝の店長の言葉を思い出す。
『どんな時も諦めたらそこで終わりじゃが、諦めんかったらなんとかなるもんよ。何もせんこうおったら何も変わらんけぇね』
龍泉さんは諦めずに続けたからこそ、今の立派な姿がある。
できなかったことも、やってきたからこそ、できるようになった。
「ただ……できるようになって好きになったらそこで終わりじゃなかったんですよね。琴に限らず、演奏家は弾けるようになることがゴールじゃないんです。表現する者なので、その曲に込められたメッセージをどう表現するか。同じ曲でも演奏する人が変われば違って聴こえるんですよ。だから、弾けるようになることは、ようやくスタートラインに立てたというだけなんです。常に上を目指して精進し続けなければならない。終わりはないんです。例え拍手喝采を浴びても、それがゴールではない。単なる通過点なんです。それを母から知らされた時、私はまだ中学生でした。褒められると思ってたのに、それどころかもっと頑張れって叱咤されるんですから。子供心にショックでしたね。賞を取っても母から褒められたことは、大人になった今でも一度もないです」
常に上を目指すことを強いられる。
龍泉さんの疲れた表情はそこから来ているのか。
悩みなんてないように見えたのに、人の心は見た目では分からない。
「他人に褒められるんより、親に褒められるんが子供には一番嬉しいけぇの。じゃが、親もなぁ……多分、そういう芸事の世界は厳しさを教えるためにも、獅子は我が子を千尋の谷に落とすじゃないが、心を鬼にせんといかんのじゃろなぁ。じゃけぇ、親も内心、辛い思いをしてきとると思うで」
店長は両腕を組んで、親の心境を語った。
店長にも子供がいるんだろうか。
確かに小学生くらいの子供がいてもおかしくない。
最初に「誰も心配しない」と言っていたから、僕は勝手に店長は独身だと思っていた。
「私の母は親というより……師匠という感じで、普通の親子とは違うんです。礼節を重んじて、家でもお互い敬語ですし。父とは普通に親子っぽい関係なんですけどね。父は母のどこが良くて結婚したのかなって、時々思います」
龍泉さんは苦笑してみせたが、店長は笑みを見せた。
「そのアスパラと一緒よ。根元の部分は硬いけぇ、捨てるもんもおるが、厚い皮を剥いてやりゃあ、その下には瑞々しくて甘いとこがある。お父さんはお母さんのそういうところを知っとってんじゃないか?」
「そう……なんでしょうか」
「上を目指すんもええが……わしは演奏家じゃないけぇ、勝手なアレじゃけど。わしは料理を作るんは食べてくれるもんのことを考えて、その人が喜んでくれるよう心を込めて作りよる。その人に合わせて食材を選び、下ごしらえしてな。作りよる間も、食べてくれる顔を見るんもわしは好きじゃ。じゃが、自分だけが食べるために作るんは、ちぃとたいぎぃの」
「確かにそうですね。私も思い返せば母の喜ぶ顔が見たくて、母に聴かせるために琴を頑張っていたのかもしれません。常に上だけを見て来ましたが……もっと他にも目を向けなくてはいけなかったのかもしれませんね」
「ほうじゃね。上だけがこの世界のすべてじゃないけぇ。それに上ばっかり見とったら、首が痛うなるだけじゃ」
店長の言葉に笑った龍泉さんはふと腕時計に目をやって、慌てて立ち上がった。
「お。もう時間かね?」
「ええ。えっと、お会計を……」
「うちはお代は誰からも頂いとらんけぇ、いらんよ」
「えっ? そんな訳には……」
「ホンマにええけぇ。それより急がにゃ、電車に遅れるで」
「でも……」
龍泉さんは困惑した表情で僕を見た。
本当に? と視線が問いかけていたので、「お代は大丈夫です」と頷く。
「じゃあ……お言葉に甘えて……ごちそうさまでした。良かったらこれを」
そう言って龍泉さんは財布から名刺を二枚出して、カウンターに置いた。
「食事代の代わりと言ってはなんですが、お二人にはぜひ私の琴を聴いて頂きたくて。どのコンサートでもこちらに連絡頂ければチケットを贈りますので」
「コンサートのチケットと食事代じゃ全然釣り合いが取れんが」
「そうですね。こちらのお食事代の方が価値がありますから」
龍泉さんはそう笑って、再度会釈をし、店を出て行った。
「なかなか消えんどころか、薄くもならんのう」
店長が僕の首を見て腕を組んだ。
店長は今回も順調にタトゥーが少し消えたようだ。
「店長。客の名前に干支が入っとるん、気づいた? 一年は十二カ月で干支も十二支じゃけぇ……」
「それじゃったら、十二月に最後の客を迎えたら出られるって考えとるんか?」
「僕の首の、全然消えないのはそういうことなんかと思って……」
「わしの刺青は一年経っても全部消えとらんが。それに今ンところは来た客が皆、満足して帰っとるが、あんたみたいに食べんかったり、満足せんかったら増えるんで? あんたの場合は満足しても消えとらんけぇ、満足せんかったらどうなるんか分からんけぇね。希望を持つのはええが、期待しすぎるんも違った時のショックがでかいで」
店長は僕の背をぽんぽん、と叩いてカウンターへ促した。
「とりあえず、この名刺は持っとき。いつかこっから出た時、聴きに行かにゃあいけんけぇね」
そう言って店長は二枚とも僕に渡した。
「一枚は店長のじゃ……?」
「わしは……コンサートやなんぞは申し訳ないが、あんまり好かんけぇ」
店長はそう言ったが、僕には言い訳のように感じた。
「そういえば、店長って結婚しとるん?」
ふと疑問を口にしてみた。
「しとるよ。娘もおったよ」
「それならやっぱり心配されてるんじゃ……?」
「一緒に暮らしとらんけぇね。心配はされとらんよ」
店長はそう寂しそうに笑んだ。
「わしらも飯にしょうや。アスパラでパスタは初めて作ったが、ええ出来じゃろ?」
店長がそう話題を変えたので、僕はそれ以上深く訊けなかった。
ただ、「娘もおったよ」と過去形だったのが気になった。
アスパラ・パスタはパスタにはないシャキシャキした食感が面白く、それでいて茎の硬さを感じさせない。
クリームソースともよく絡み、ベーコンの塩味が効いてとても美味しかった。
「上ばっかり見とったら、首が痛うなるだけじゃ」
店長の言葉をアスパラと一緒に噛み締めた。




