第94話『禁呪リバイア―』
治療院の部屋は静かだった。
昼の光が窓から差し込み、包帯で覆われたカイの左腕を白く照らしている。
その寝顔は穏やかで、普段の軽口からは想像できないほど無防備に見えた。
ベッドの横に座るリリシアは、じっとその腕を見つめていた。
失われた手首から先。
そこにあるはずだった指も掌も、もうどこにも存在しない。
(私のせい……)
胸の奥が重く沈んでいく。
自分が砦に囚われなければ、彼はこんな怪我を負わなかった。
自分があの場で力を暴走させなければ、彼は守るために絶対防御を張り続けなくてもよかった。
そして何より――。
(リバイア―なら、本来なら治せたはず……。それなのに……どうして……?)
あの禁呪は、壊れたものを「戻りたがる力」に沿って修復する術。
骨も筋も、完全に消滅していなければ編み直せる。
それなのに、カイの手は手首から先を戻せなかった。
(やっぱり……人間界にいるせい?)
魔界で使えば、禁呪は本来の威力を発揮する。
けれどここは違う。
世界の理そのものが異なる。
だから完全には効かなかったのかもしれない。
リリシアは唇を強く噛んだ。
どう償えばいいのか分からない。
ただ謝って済むことではない。
彼の指先が、もう戻らない事実は消えないのだから。
ベッドの横に置かれた机の上、魔伝書鳩の小さな影がじっとこちらを見ていた。
光の羽を持つその鳥は、リリシアの心の揺れを感じ取っているかのように羽を揺らす。
「……相談しなきゃ」
彼女はそっと羊皮紙を取り出し、ペンを走らせた。
『パパ。聞いてほしいことがあります。
カイは私を守るために禁呪を受けて、左手を失いました。
私は“リバイア―”で治療を試みましたが、手首から先は戻せませんでした。
本来ならあの術で治せたはずなのに……。
やはり、この世界の理では十分な力を発揮できないのかもしれません。』
文字を書く指先が震える。
涙が紙に落ち、文字の一部を滲ませた。
『……もし魔界であれば、彼の腕を取り戻せるのではないでしょうか。
この事件が終わったら、彼を魔界に連れて行きたい。
パパ、私はどうすればいいでしょう。』
書き終えると、リリシアは深く息を吸い込んだ。
震える手で紙を折りたたみ、魔伝書鳩の翼に挟む。
「お願い……届けて」
鳩は小さく首を傾げ、光の粒を散らしながら羽ばたいた。
窓の外へ飛び立ち、朝の空に吸い込まれていく。
再び一人になった部屋で、リリシアはカイの寝顔を見つめた。
彼はまだ静かに眠っている。
その顔は相変わらず穏やかで、まるで痛みなど存在しないかのように。
「……あなたを守れなかった。
でも、今度こそ……絶対に」
リリシアは小さく呟き、そっとその額に手をかざした。
心の奥で決意を固める。
(カイを魔界へ――。必ず治す。そのために、私が動く。)




