第56話『誘拐計画』【陰謀と策謀の王都編⑦】
夏の熱気もようやく和らいだ夕暮れ。
学園の石畳を染める光は朱に近く、寮へ戻る生徒たちの影を長く引き延ばしていた。
その裏手。
古い倉庫の陰に、仮面をつけた男たちが集まっていた。
先日の襲撃で失敗した一味。
今度は人数を倍に増やし、十人近くが集っている。
「“異邦人”を討てなかったのは痛手だが……」
「公爵令嬢を攫えば、交渉材料になる。」
「ルーティア=ロゼリア。彼女を囚えれば、カイ・クロスは動けまい。」
低い囁きは、夜の冷気に混じって漂った。
◆◇◆
その頃。
ルーティアは学園の中庭を歩いていた。
放課後の光に蒼い瞳を細め、ふと足を止める。
「……匂うわね。」
次の瞬間、木々の間から十人の仮面の男たちが飛び出した。
短剣と魔法を構え、取り囲む。
「ルーティア=ロゼリア! 静かに来てもらおう!」
「動けば傷を負うぞ!」
だがルーティアの表情は、まるで退屈そうだった。
「ふふ……随分な人数を連れてきたものね。け・れ・ど」
彼女は細剣を抜いた。
光が刃に反射し、夕焼けと混じって赤い輝きを放つ。
「あなたたちごときでは、私を止められませんわ!」
次の瞬間。
ルーティアの剣が閃き、二人の仮面の男が吹き飛んだ。
地面に転がる剣と、焦げた外套。
「なっ……速すぎる!」
「これが公爵令嬢の力……!」
さらに三人が同時に魔法を放つ。
炎と雷と氷の矢が、嵐のように襲いかかる。
「邪魔。」
ルーティアが片手を翳すと、炎が炎を呑み込み、雷は空に散り、氷は溶けて水滴になった。
彼女の瞳は冷酷に光っていた。
「あなたたちが剣を向けてきたのです。ならば、自分の仲間の返り血を浴びる覚悟はできているのでしょう?」
仮面の男たちが後ずさる。
しかしルーティアの足は止まらない。
剣先が彼らの喉元を次々に突き、寸前で止まる。
止めを刺すこともできた。
だが彼女は容赦なくさらに魔力を練り上げていた。
「それもあなたたちが撒いた種だから、仕方ないわね。」
蒼い炎が彼女の周囲を渦巻き始める。
それは“究極炎魔法”。
触れたものすべてを灰に変える、禁忌に近い炎。
仮面の男たちは蒼白になり、逃げることもできずに立ち尽くした。
――その瞬間。
「待て!」
声と同時に、ルーティアの周囲に透明な光の壁が広がった。
まるで見えない球体の中に全員が閉じ込められたかのように、炎の奔流が押し止められる。
ルーティアの背後に立つのは、カイだった。
片手を掲げ、淡々と数式を紡ぐ。
「絶対防御。……ワイの生徒や領民でもない奴らやけど、焼き尽くすんはちょっとな。」
「カイ……!」
ルーティアが振り返る。
その瞳に怒りと戸惑いが入り混じっていた。
「こいつらはあなたを狙ったのよ! 容赦する必要なんて――」
「ある。容赦するんは、ワイが教師やからや。」
カイの声は静かだった。
炎は見えない防御壁に吸い込まれ、やがて霧のように消えていく。
仮面の男たちは膝をつき、震えながらも生き残ったことに安堵していた。
そして、互いに視線を交わす。
「俺たちは……今、助けられたのか?」
「敵であるはずの“カイ・クロス”に……」
「我らの命令は……本当に正しいのか……?」
疑念が芽生え、炎よりも強く彼らの胸を灼いた。
「行け。」
カイが短く言った。
「今度は宿題忘れんなよ。次は答え合わせをさせてもらうで。」
仮面の男たちは混乱しつつも、煙幕を放って姿を消した。
残されたのは焦げ跡と、熱の残滓だけだった。
ルーティアは剣を握り締めたまま、肩で息をしていた。
瞳にはまだ怒りの炎が残っている。
「……なぜ止めたの。あの人たちは、確かに私を狙ったのよ。」
「せやな。」
カイは微笑を浮かべた。
「けどな。ワイは人を育てる仕事してんねん。敵やろうが、学びの余地がある奴は、まだ燃やしたらあかん。」
ルーティアはしばし黙り込み、やがて小さく息を吐いた。
「……本当に、あなたはずるいわね。」
そして、彼の腕にぴたりと絡みついた。
「でも、そんなあなたが――やっぱり好き。」
夕焼けの空に、二人の影が長く重なった。




