第55話『大賢者の審問』【陰謀と策謀の王都編⑥】
臨時評議会の余韻がまだ残る数日後。
学園の正門に、荘厳な馬車が停まった。
王都の紋章を掲げたその馬車から降り立ったのは、白い長衣に身を包んだ老賢者。
腰まで伸びた銀髭をたくわえ、杖の先には蒼い宝珠が輝いていた。
――王国魔導院の大賢者、マルセル。
その名は学園の歴史書にも載るほどの重鎮。
教員も生徒もざわつき、廊下に並んで頭を下げる。
「ま、まさか大賢者様が学園に……!」
「カイ先生を試すためだって……本当なの?」
「噂はやっぱり……」
ざわめきは瞬く間に広がった。
◆◇◆
大講堂に教師と生徒が集められた。
壇上に立つマルセルの眼差しは鋭く、しかし濁りのない光を放っていた。
「カイ・クロスという異邦の教師よ。」
杖をつき、静かに言葉を続ける。
「私はそなたを否定するために来たのではない。確かめに来たのだ。そなたの知識が、この王国にとって“刃”となるか、“糧”となるか。」
静まり返る講堂。
カイは背筋を伸ばし、深呼吸して前に出た。
「えらい大層なご挨拶やけど、ワイはただの教師やで。黒板が相手なら本気出せるけどな。」
会場にかすかな笑いが生まれる。
ルーティアが「ふふっ」と小さく笑みをこぼした。
マルセルは杖を軽く振った。
床に巨大な魔法陣が浮かび上がる。
複雑に絡み合う線と記号。
普通の魔導師なら解読するだけで数日はかかるような構造だった。
「これは“王国守護の結界”を簡略化したものだ。」
大賢者の声は静かに響く。
「だが欠陥がある。このまま発動すれば、内から崩壊し、術者を呑み込む。――その欠陥を、見抜いてみせよ。」
観客席がざわめいた。
「そんなの、普通の教師にできるわけが……」
「大賢者様の試練だぞ……」
カイは魔法陣を見下ろした。
額に汗ひとつかかず、ただチョークを持つような仕草で空中に指を動かす。
(ほうほう。ここは一次式。ここで二次関数。……せやけど、この交点。計算がずれてるな。)
(なるほど。エネルギーの流入と流出のバランスが崩れる。ここで自乗の符号を間違えてるんや。)
数秒の沈黙。
カイは軽く口笛を吹き、肩をすくめた。
「答えは単純や。ここや。」
指先で一点を示す。
光がそこに集まり、魔法陣全体がびりっと震えた。
「この項がマイナスになっとるから、エネルギーが反転して内側に呑み込むんや。符号をプラスに直して、バランスを取り直せばええ。」
さらさらと指で式を描く。
その途端、複雑な魔法陣が滑らかに形を整え、安定した光を放った。
静寂。
やがて、大講堂がどよめきに包まれた。
「た、たった数秒で……」
「ありえない! あれは王国最難関の結界式だぞ!」
「カイ先生……本当に教師なのか……?」
ルーティアは目を丸くし、すぐに両手を叩いて大きな拍手を送った。
「さすが、私の旦那様ですわ!」
「旦那様言うなー! まだ婚姻届出してへんわ!」
カイのツッコミに、生徒たちの笑い声が重なる。
マルセルは長い髭を撫で、静かに言った。
「……恐ろしい男よ。」
だがその声に敵意はなく、むしろ感嘆と安堵が混ざっていた。
「君は、刃ではなく糧になるやもしれん。だがその力を欲する者もまた多い。気を付けることだ。」
杖を軽く突くと、魔法陣は霧のように消えた。
試練を終えた後。
講堂を出たカイは、額に手を当てて苦笑した。
「ふぅ……算数の補講より気ぃ使ったわ。」
「最高でしたわ、カイ。」
ルーティアが隣で誇らしげに言う。
「ワイはただ、符号直しただけやのに……」
「だからこそ、皆が驚いているのです。あなたの普通は、他の人の奇跡なのですから。」
その言葉に、カイは少しだけ照れくさそうに頬をかいた。




