番外編③:『夜這いと結界と、令嬢の誇り』
あの強制的にルーティアの屋敷に連れていかれた夏のことだった。
夜。
月の光が白絹のように公爵家の庭を照らしていた。
涼やかな風が廊下を抜け、障子をゆらりと揺らす。
静まり返った屋敷の中で、ただひとり、緊張に満ちた少女が廊下を忍んでいた。
「……このルーティア・フォン・ヴァレンシュタイン。今宵こそは……!」
顔を真っ赤に染め、しかし誇り高く胸を張っているその姿は、
まるで“自ら敵地に乗り込む騎士”のようであった。
とはいえ、鎧も剣もなし。
彼女が纏うのは、涼しげな夜具のまま、薄い羽織一枚。
――目的は、ただひとつ。
「カイの部屋に、入る。」
◆◇◆
夏休みの間、カイはルーティアの実家である公爵邸に滞在していた。
離れの一室に案内され、教師として、そして“仮”の許婚としても、賓客扱いであった。
が。
「……あの男、寝る時に結界張るのよ!」
ルーティアは廊下の柱の影に身を潜めながら、悔しそうに唇を噛んだ。
一度や二度ではない。
初日の夜に「夜風に当たりに来たのよ」とか言い訳を用意しつつ襖を開けようとしたが――
バチィィィッ!!
という見事な魔法警戒結界に阻まれ、勢いよく弾かれて尻もち。
翌朝の食卓でカイはあくまで無表情で、
「なーんか、夜中にタヌキでも来たんかな。結界がえらいビリビリしてたわ」
と、煽ってきた。
以来、ルーティアは毎晩、慎重かつ大胆に侵入を試みては撃沈していたのだ。
◆◇◆
(今日は……方法を変えるわ)
ルーティアは、密かに準備していた“対・結界突破作戦”を開始する。
――護衛の魔術師に頼んで用意した、微弱な位相ずらしの小型マント。
――兄に借りた古代魔術書にあった「結界に波長を合わせてすり抜ける」理論。
(ふふ……勝ったわね)
意気揚々と襖に手を伸ばした――
バチィィィッ!!!
「きゃんッ!?」
マントがビリビリと音を立てて崩壊。
またも綺麗に弾かれて、廊下に尻もちをついた。
「うぐぅぅぅぅ……ッ!」
この日、屋敷の猫たちは「またタヌキか」と思っていたらしい。
◆◇◆
後日――
「旦那様っっ!」
朝の食卓で、ルーティアはぷるぷる震えながら、テーブルをバンッと叩いた。
「何回張ってるんですの!? 何重にも!」
カイは平然と朝のパンを千切りながら、
「一重やで?」
「嘘つきっ! 三重あったわ!」
「いや、朝になって解いた後に“余韻”で残ってるだけやって。
それにルーティアさん、夜中に何回もタヌキなって来とるけど、ケガせんように注意してな?」
「タヌキ言うなぁぁぁあああああ!!」
顔面真っ赤のルーティア。
カイは冷たい紅茶を飲みながら笑みを浮かべる。
「まぁ、ワイが部屋に誰も入れへんようにしてんのは、別に防犯やなしに……」
「……?」
「自分を抑える自信がないからやで?」
「ッ――!?!?」
カイの不意打ちの一言に、ルーティアは口を半開きにしたまま硬直。
紅茶のカップを手にしたまま、顔面が湯気立つほど真っ赤に染まった。
「ふ、ふ、ふざけてますの!? そ、そそそそれなら入れてくだされば……!」
「せやから、それが“自信ない”っちゅう話や」
「わ、わたくし、ぜ、ぜんぜん覚悟は……し……して……っ」
その後のルーティアは何を言ってるか自分でも分からなかったらしい。
護衛団のメリル曰く:
「あれはもう“熱暴走”の一種ですわね。あったかい紅茶より湯気出てましたもん」
とのこと。
◆◇◆
結局、夏休みの間にルーティアがカイの結界を破れた日は一日たりとも無かった。
が――
(……でも、あれはあれで)
ある晩、自室で星を見上げながら、ルーティアは少しだけ微笑んでいた。
(……あの人の手の中に、入れる日が来たら……きっと、結界なんて無くても)
と、思ってしまったのは、まだ誰にも言えない秘密だった。




