表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
4/9

パリジェンヌの流儀と、部屋のゴミ箱

人間、追い詰められると、都合のいい情報ばかりを集めるようになるらしい。

ある日の夜。私はお気に入りのベッドに寝転がりながら、スマホでとある海外コラムを読んでいた。

画面に映し出されていたのは、洗練されたインテリアが並ぶ、おしゃれなパリのアパルトマン。そこには、私の常識を覆すような、驚くべきライフスタイルが紹介されていた。

『フランス人は、部屋にゴミ箱を置かないんですって』

コラムの文章を、私は頭の中でそっと繰り返した。

なんでも、フランスの家庭では、リビングや寝室に小さなゴミ箱を置く習慣がないらしい。ゴミ箱は、キッチンのシンクの下に大きいのがあるだけ。

部屋でゴミが出たら、家族はみんな、わざわざキッチンまで捨てに行くのが当たり前なのだという。

その一文を読んだ瞬間、私の胸に、電撃のような感動が走り抜けた。

「……私と同じだ!」

私は思わず、ベッドの上でガタッと起き上がった。

私の部屋にも今、ゴミ箱が一つもない。正確に言うならば、数ヶ月前にゴミ箱を処分して以来、新しいものを買っていない。

ゴミが出たらどうするのか。もちろん、キッチンの大きなゴミ箱(ただの45リットルのゴミ袋)まで、捨てに行っている。

「そうか、私はだらしなかったわけじゃないんだ。ただ、パリジェンヌのスピリットを持って生きていただけんだわ」

急に自分の生活が、ものすごく高尚で、お洒落なものに思えてきた。

これまでは、部屋にゴミ箱がないせいで、お菓子の包み紙やレシートが一時的に机の上に放置されているのを見るたび、「ああ、また片付けができていない」と自己嫌悪に陥っていた。

けれど、今日からは違う。これは「汚部屋」ではなく、「フランス式ミニマリズム」なのだ。

部屋の美観を損ねないために、あえてゴミ箱を置かないという、洗練されたライフスタイルなのだ。

私はすっかり嬉しくなり、脳内でエッフェル塔をバックに、ボーダーのシャツを着てクロワッサンをかじる自分の姿を妄想した。ライフが一気に大回復していくのを感じる。

しかし、現実はそう甘くはない。次の日の朝。

私は風邪気味だったせいで、ひどい鼻詰まりで目を覚ました。

「うぅ……、ズビッ……」

枕元に置いてあったティッシュ箱から、一枚、また一枚とティッシュを引き抜いては、豪快に鼻をすする。あっという間に、手元には丸まったティッシュの山ができあがった。

ここで、フランス式ルールが牙を向く。

このティッシュを捨てるためには、温かい布団から出て、冷え切った廊下を渡り、遠く離れたキッチンまで歩いていかなければならない。

「……無理」

外はまだ凍えるような冬の朝だ。鼻水を垂らしたパリジェンヌに、そんな過酷な移動は不可能だった。

「あとで、まとめて捨てに行けばいいよね」

私は自分にそう言い訳をすると、丸めたティッシュを、ベッドの横のフローリングへと、ぽいっと放り投げた。

一個目が、床に転がる。続いて二個目、三個目……。

お昼過ぎ、ようやく体調が回復してベッドから這い出した時、私は自分の足元を見て、言葉を失った。

そこにあったのは、洗練されたアパルトマンの景色などでは、断じてなかった。

ただの、「使用済みティッシュが散乱する、紛れもない汚部屋」だった。

本物のフランス人は、ゴミが出たその瞬間に、エレガントにキッチンへ向かうのだろう。ゴミを床にポイポイ投げ捨てるパリジェンヌなど、この世に存在するはずがなかった。

「……やっぱり、私、ただのズボラなだけじゃん」

集められた都合のいい幻想は、一瞬ではじけ飛んだ。私のライフは、昨日よりも深く、綺麗にゼロになった。

私は諦めて、床のティッシュを両手で残さずかき集めた。そして、トボトボと情けない足取りで、キッチンのゴミ袋へと向かう。

すべてを捨て終えたあと、私はケトルでお湯を沸かし、マグカップに濃いめのインスタントコーヒーを淹れた。

フランスっぽさを意識して、ほんの少しだけミルクを注ぐ。

温かいカフェオレをずずっとすすると、苦味と温かさが、冷えた体にじわじわと染み渡っていかった。

「まぁ、形から入るのも悪くないよね」

部屋にはまだゴミ箱はないけれど、コーヒーの美味しさに、心は少しだけ満たされていく。

来週あたり、やっぱりニトリで小さなゴミ箱を買おう。

そう心に誓いながら、私は二口目のコーヒーを口に運んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ