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私の人生、囲碁よろしく! ―50歳、乳がんサバイバーが囲碁で人生を取り戻すまで―  作者: 春野ひつじ
私の人生、囲碁よろしく!

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5/11

囲碁初心者、地区大会を目指す?

「囲碁の大会、出てみたら?」


アロハシャツの人にそう言われて、私は少し本気にしてしまった。



大会?

初心者の私でも出られるの?



だが翌週、原田さんは苦笑しながら言った。


「うーん。三崎さん、石がすぐ死んじゃうからねぇ。まだ難しいかな。」



また出た。


囲碁独特の、妙に物騒な言葉。



石が“死ぬ”とか、“殺される”とか。

最初に聞いた時は、少しぎょっとした。



がんになってから、“死ぬ”という言葉に敏感になっていたからだ。

でも囲碁の世界では、それが普通らしい。



「この石、もう死んでるねぇ」



なんて、みんな天気の話みたいにサラッと言う。



実際、私はよく石を殺される。


逃げているつもりなのに、気づけば囲まれているのだ。



「来月、地区大会があるんだよ」



原田さんは碁盤を見ながら続けた。



「川を挟んだ別地区との対抗戦。初級、中級、上級に分かれて打つんだけどね」


「へぇ……」


「まあ、生き死にが分かるようになれば、出られるかなぁ」



私は少し黙った。

そして、おそるおそる聞く。


「あの……出場できるかどうかって、いつ決まるんですか?」


「二週間後かな。そこでメンバー決めるから」



原田さんはニヤッと笑った。


「あと二週間、頑張ってみる?」



返事につまる。


私は思わず、碁盤を見つめた。



その時だった。


少し離れた席で、見慣れない男性が碁を打っているのに気づいた。


私と同じくらいの年齢だろうか。



工場の作業着姿で、盤面をにらみながら、


「あー失敗した……」


「うわ、これ困ったなぁ……」



と、ずっとブツブツつぶやいている。



「あれ? あの方、初めてですよね?」


私が聞くと、原田さんはちらっとそっちを見た。



「ああ、唐沢さんね。半年くらい前に入った人。仕事忙しくて、普段はなかなか来られないらしいよ」


「へぇ」


「でも大会に出たいんだって。ここ最近は、わりと顔出してるみたい」




サークルには三十人くらい所属しているらしい。


けれど、普段来るのは十人くらい。



大会が近づくと、


いつもは見かけない人まで急に熱心に通い始めるのだという。



唐沢さんは盤をにらんだまま、


「うわぁ……そこかぁ……」


と小さくつぶやいた。



その直後だった。



ドサッ。



鈍い音がした。




見ると、唐沢さんが畳に崩れるように倒れこんでいた。


「あ……ちょっと気持ち悪……」


声が途中で途切れる。



「唐沢さん!?」


「大丈夫!?」


「ちょっと水!」



サークルの空気が一気に波立った。



顔色は真っ青だった。



「救急車呼ぶか?」


「いや……少し休めば……」




とりあえず座布団を枕代わりにして寝かせ、水を飲ませながら様子を見る。


しばらくして、唐沢さんはゆっくり目を開けた。




「す、すみません……寝てなくて……」




聞けば、三日連続の夜勤明けだったらしい。


今朝仕事が終わり、そのあと用事を済ませ、そのまま寝ずに囲碁サークルへ来たのだという。




「いやいや、それじゃ倒れるよ!」


「若くても無理しちゃダメだよ~」


周りから次々声が飛ぶ。




すると唐沢さんは、照れくさそうに頭をかいた。




「今度の大会で、勝ちたくて。練習しなきゃって思って」


「でも、ちょっと熱入り過ぎじゃないかぁ?」


そう言われると、唐沢さんは困ったように笑った。


「いや~……実は、息子に頑張ってるとこ見せたいんですよね」


「思春期なんです。最近、全然しゃべってくれなくて」




波が引くみたいに、みんなの声が消えた。




唐沢さんは、窓の外を見ながら続けた。


「だから囲碁大会に出て、自分が頑張ってる姿見せたら、何か変わるかなぁって」



――ここにもいた。



私みたいな人が。



子どもとの距離に悩みながら、何か突破口を探している人が。



私は、唐沢さんの背中をぼんやり見つめた。


「……でも今日は帰って寝ます!」



唐沢さんは申し訳なさそうに頭を下げた。


「お騒がせしました!」



そう言って、ふらつきながら帰っていく。



その背中を見送りながら、私は思った。


みんな、それぞれ事情を抱えているんだな、と。




自分だけが、暗い井戸の底に取り残されているわけじゃない。




もしかしたら、いつも優しい原田さんも。


穏やかな“ひふみん”みたいな山川さんも。




みんな、どこかに小さなヒビを抱えながら。


心に棘を刺したまま。




それでも笑っているのかもしれない。


だからここへ来て、石を置くのかもしれない。




私は、碁盤に並ぶ白と黒の石を見つめた。




「原田さん」




「ん?」




「私、大会に出てみたいです」




自分でも驚くくらい、はっきりした声だった。




「あと二週間、生き死にが分かるように頑張ってみたいです」




すると原田さんは、ニヤッと笑った。


「じゃあ、特訓だね」




私は碁笥ごけから黒石をひとつ取り上げた。


指先に、ひんやりとした感触が伝わる。




まだ、生き方も、生き残り方も、よく分からない。


でも――。


とりあえず、次の一手を置くしかないのだ。

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