47.大魔女の名は轟かない
その言葉を聞いた瞬間、アルルの目の前に浮かんでいたペンが一つ落下した。
カラン、と乾いた音が鳴り、議事録の紙に黒いインクが漏れ出していた。
「魔女革命――ねェ。」
イクナトーンが、長いまつ毛をはためかせ、声の主に睨みを利かせていた。
会議室に静寂が訪れる。
あのジョンでさえこの言葉から目を背けている……ベルンハルトはそう感じた。
魔女革命という言葉を口に出してはいけない。
それは、エーテル国で子ども時代を過ごした者は、全員が通る道だろう。
エチルエーテル貴族であるベルンハルトも、また例外でなかった。
父親には、口を酸っぱくしていつも言われていた。
「大魔女の名前を呼んではいけない、か。」
ベルンハルトは、口に出し終わってようやく気がついた。
自分がその言葉を紡いでいたということに。
「……ベルンハルト。」
ジョンの視線が、ベルンハルトを向く。
その鋭い瞳は幼い頃と全く変わっていなかった。
背中に、嫌な汗が伝う。
「その言葉を口に出すなと――。」
「まぁまぁ、ジョン。
この言葉を口に出しても、あやつらが復活するわけじゃあないだろう。
お前も残滓狩りをしていた頃に随分と毒されてしまったようじゃな。」
「折角じゃ。
ここまで会議が進んだのだから、わしの立てた仮説を聞いてくれんか。」
クレスが、返事を待たずにポツリと話し出した。
会議室の空気がガラリと変わる。
先ほどまでの曖昧で掴みきれない不快感が、一気に厳格な空気に変わった。
「エーテル国立騎士団であれば、大魔女の犯した罪を学んでおるじゃろう。」
「あやつらは、この大陸中で最も恐れられた絶対悪じゃ。」
アルルの目の前でぼんやりと浮かび上がっていただけのペンが、勢いよく紙に向かい始めた。
「今の世代の特撰部隊の話を聞いていると、どうも引っかかるんじゃよ。」
「……というと?」
エレーシャが落ち着いた声で返答した。
クレスは、ちらりとエレーシャに視線を移す。
「エレーシャ、害魔獣の再生速度の定義について教えたことがあるじゃろう。」
「……はい。」
「その害魔獣は、生態としてあまりにも不自然じゃ。
……あまりにも出来すぎている。」
「出来すぎている、とは。」
ジョンが眉を顰める。
「傷の再生速度も、エーテルの循環についても……自然由来の害魔獣と定義するには違和感があるのじゃよ。
生物というよりかは――魔術式で作られたように感じる。」
「まさか、人工的に作られたというわけですか。」
「それはわからない。
ただ……大魔女の作り出した脅威的な魔術式に、似たようなものがある。」
「まさか!大魔女がまだ生きているということですか?」
誰かが声を荒げる。
「ははは、そんなはずはない。
……ピオニア氏、我々――旧・第十九師団は、大魔女の残滓を狩り尽くしたはずです。
まさか、二百年前の魔術式が発動したなんて。」
ジョンが乾いた笑いを漏らした。
「――禁忌魔術。」
場が凍る。
あのイクナトーンも、さっきの調子とは打って変わり、真剣な眼差しをクレスに向けていた。
「禁忌魔術の類であれば、アーノルドの傷の変異にも説明がつく。」
アーノルドの傷。
その言葉を聞いた瞬間、エレーシャの目線が落ちる。
「結界、エーテルの阻害……全て現代の魔術には当てはまらない。
考えたくなかったが、やはり大魔女由来の可能性も視野に入れないといけないじゃろうな。」
――――――
「禁忌魔術、すか?」
「……あまり、大きな声では言えないけど。」
ヘイルがため息をつく。
その表情は、何かに焦っているようにも思えた。
「もしもこの本に書いてあることが、この時代にも蘇ってしまったのであれば。
……エーテルどころか大陸中が混乱に陥るだろうね。」
「え、そ、そうなんですか?」
カフカが驚いて声をあげる。
「そうだよ。
……君が読み上げた言葉が、いかに忌まわしく、非道な存在だったか。」
「本当ですか?」
ヘイルが呆れた眼差しでカフカをじっと見つめた。
その質問の意図が理解できないかのように、彼女の問いを否定する。
「本当だよ。
至って普通に扱われている、エーテル国歴史の一つだ。
君は相当世間知らずな子みたいだね。」
皮肉一つ一つが、カフカの胸に刺さる。
彼は、魔術についてになると恐ろしく厳しい言葉を吐く人のようだ。
カフカは初めて彼と話した時からその言葉の強さを実感していた。
何か、答えを掴む前に否定するように。
まるでカフカを答えから遠ざけるように、切り捨てるような言い草だと思った。
「ここに禁忌魔術に関わる書籍は一冊もないはずだ。」
ヘイルがくるりと踵を返した。
「今から、君たちを深層書庫へと案内する。
中で見たものは、基本的に外に漏らさないようにしてほしい。」
「それ、どこにあるんすか?」
フォンスが首を傾げる。
「この図書館の隣の部屋だよ。
僕も久しぶりに入る。
……禁忌魔術の書籍を探したいんだ。」
ヘイルは振り向きもせずに、図書館の奥へと足を進める。
その足取りに迷いはない。
ただ、冷静に迅速に、魔術の冷酷な研究者然としていた。
二人は、禁忌魔術の答えを得られないまま、ただただヘイルについていくことしかできなかった。
数分歩くと再度古めかしい扉が目に入った。
金属でできた取手には埃が溜まっており、もう何年もそこに誰も足を踏み入れていないということが一目でわかった。
キィ、と軽い音が鳴り響く。
図書館の入り口には重たい鍵がかかっていたのに、ここは薄い木の扉一枚で、鍵もない、無防備さがあった。
古いインクと紙の匂いが、鼻腔をくすぐる。
「鍵はないんすね。
「鍵をかけるより、ここに辿り着ける人間を絞った方が早いからね。」
「なんというか……すごく汚いっすね。」
フォンスの目の前には、足の踏み場のないほどにさまざまな書籍が落ちている床が広がっていた。
高そうな本に、魔術式がひたすらに書かれた紙。
深層書庫、と名のついた割にはあまりにも乱雑な空間だな、とフォンスは思った。
「僕は整理整頓が苦手でね。」
ヘイルがゆっくりと足を進める。
本を踏まないように、器用な足取りをしていた。
「昔、第十九師団に所属した時に、魔女革命に関連した本はほとんどここに仕舞ってしまったからね。」
ヘイルは、迷いなく高い棚へ手を伸ばす。
「……あった。」
そう言って一冊を抜き取った瞬間だった。
ずるり、と棚の奥で何かが滑る音がした。
「え?」
カフカが顔を上げる。
次の瞬間、積み上げられていた分厚い本が、雪崩のように崩れ落ちた。
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