44.第一会議室にて
エーテル城の夜は、幼い頃から随分と静かだった。
物心がついた時から、昼間は慌ただしく、夜は不気味なほどに静寂であるという印象があった。
それはもちろん、フォンスが城に出入りするようになってからもだった。
勝手に消灯時間を抜け出して、この広大なエーテル城を冒険する。
夜は二人にとって小さな冒険譚を描くには十分な時間だった。
……幼い頃はそうでもしないと、自分にかかる重圧から逃げられなかったのだ。
厳しい父親からの重圧、いずれ騎士団に入隊するべく、過酷な訓練を課されていた。
あの頃、夜だけは昼間のざわめきから逃げられる時間だった。
――でも今日は、深夜になってもこの騒がしさからは逃げられないらしい。
「ベルンハルトちゃんって、士官学校を卒業してからすぐに隊長になったのよねぇ。」
イクナトーンがふと口を開いた。
ベルンハルトよりもかなり大きな身体。
でも、彼の歩幅は思いやりに溢れており、しっかりと小さなエレーシャに合わせられていた。
だから、この広い城内の廊下を三人で足並み揃えて進んでいた。
「……はい、そうです。」
「あら、立派なのねぇ。
うちの隊長もそうなのよ?」
「イクナトーンさんは、確か守護部隊でしたよね……。」
「うん、そうそう。
アタシみたいな野蛮人がいていいところじゃないけどねぇ。
うちの隊の子たちは、今日日勤だったから今城にはいないけど……。」
「ねぇ、イクナトーン。」
イクナトーンの声を遮るように、エレーシャが声を掛ける。
その声は、いつもの軽快なものではなかった。
「会議に、アーノルドはいる?」
「うーん、どうかしら。
さっき医務室に向かってもらったから……わからないわ。
……ていうかあの子、相当無茶してたんじゃない?」
「多分、そうだと思う……。
ボクが傍にいたのに、何にもできなかった。」
「アーノルドちゃんは、そんなこと思ってないわよ。」
エレーシャが目を伏せる。
「そうかな。
もし、これでアーノルドが戦えなくなったら、ボクはなんのために第十九師団で戦っていけばいいのかな。」
「……ふふ、エレーシャちゃんってば、アーノルドちゃんのことが本当に大好きなのね。」
「え?」
「はいはい、こんなしんみりしたお話はやめましょう?アーノルドちゃん、さっき医務室で診てもらったけどピンピンしてるんだから。
すぐに治るとは言い切れないけど、あの子は簡単に折れる子じゃないわ。
きっと、今エーテル城が騒がしいのも、いつかは過ぎ去るものよ。」
「どうせ半年後には、今の話が笑い話になっているの、時間って大体なんでも解決してくれるんだから!」
イクナトーンが笑った。
「……はぁ、アーノルドって周りに変なヤツばっかり集まるんだよねぇ。」
エレーシャが息をついた。
「なぁによ。
アタシはどこも変じゃないわよう?」
(エレーシャさんもイクナトーンさんくらい変な気がするが……。)
ベルンハルトは、喉から出そうな言葉を勢いよく飲み込んだ。
……気づけば、騎士団本部の目の前に来ていた。
エーテル城の約半分。
ここからは、一般人立入禁止区域だ。
執務室や、それぞれの課の中枢がここに存在している。
今から向かうのは、第一会議室。
緊急性の高い事態のみ、ここで話し合いが行われる。
城内で最も広い会議室である。
本部の重い空気は、外にいても伝わってきていた。
普段は、どこにいるのかわからないような魔術師や、監護部隊の人間まで。
それぞれが騎士団の外套を身につけ、各部隊の徽章を胸に輝かせていた。
――ベルンハルトが恐れる、執務室の横。
そこに今から立ち入る会議室があった。
中からはすでに慌ただしい声が聞こえて来ている。
「あの、自分はどこまで話せば良いのでしょうか。」
「ん?そうね、話が振られたらって感じでいいんじゃないかしら。
ベルンハルトちゃんもエレーシャちゃんも、現場で害魔獣と戦った二人だから、質問攻めに合うかもしれないわね。」
「うわ〜サイアク。」
「大丈夫よ。
見たまま、感じたまま話しなさい。」
イクナトーンは、コツコツと静かにノックを鳴らした。
「失礼します。
守護部隊第四師団、イクナトーン・ハートブレイク。
緊急会議への出席命令を受け、参りました。」
さっきまでの柔らかな声色が、急にはっきりとしたものに変わる。
第一会議室の扉が、重い音を立てて開かれた。
中にいた者たちの視線が、一斉にこちらへ向く。
長机の端では、アルル・パレイドリアが既に紙を広げていた。
アルルの前では、三本のペンが同時に紙の上を走っている。
発言、時刻、出席者の反応……一言一句を逃さないように、このざわめきに耳を澄ませているのだ。
そのすべてが、恐ろしい速さで記録されていった。
「発言は一人ずつお願いします。
議事録魔術が混線しますので。」
ベルンハルトは、会議室の奥を見る。
上層部の面々、守護部隊の役職者、結界管理課の職員。
そこには、様々な種類の徽章を胸につけた役職者たちが黙って資料に視線を向けていた。
その中に、アーノルドの姿はなかった。
「全員揃ったようだな。」
ベルンハルトが、はっと顔をあげた。
聞き慣れた厳格な声――ジョン・エチルエーテルが一番奥の席で号令をかけたのだ。
「それでは、本件――東門及び結界の大幅な破壊。
そして、エチルエーテル市街地における大幅な通信網の妨害についての緊急会議を始める。
議事録の担当は、エーテル城観光管轄課、パレイドリア氏に務めてもらう。」
神妙な面持ちに、会議室内に緊張が走る。
「現時点で上層部が把握している情報を共有する。
まず、特撰部隊、第二十師団隊長、ベルンハルト・エチルエーテルからの信号が城に届いた。
普段であれば、座標の特定は魔術網によって容易であるが、全く座標の特定に至らなかった。」
ベルンハルトは、外套のポケットにしまいこんだエーテルコンパスをサッと机の上に取り出した。
「その後、夜勤職員が偶然にも月脈の湯から信号が発されているという情報を掴んだ。」
ジョンの声が、わずかに低くなる。
「ただし、その職員は『得体の知れない怪物を見た』と証言しており、著しく混乱していた。
夜勤の継続は不可能と判断し、現在は仮眠室で休息を命じている」
エレーシャが眉を顰める。
コツン、とベルンハルトの腕を小突く。
「……ねぇ、怪物がどうのってヘイルだよね……。」
「……ですよね。」
「あらぁ、ヘイルちゃんが特定したの?相変わらずの魔術精度ねぇ。」
イクナトーンが、どこか嬉しそうに会話に入り込んでくる。
「信号の特定後、癒術を必要としている可能性を受け、医療部の主任であるピオニア氏及び夜勤中だった医療部職員一名を乗せて月脈の湯へと向かった。」
「馬車は特に問題なく東門周辺に到着した、が。
温泉街の中央広場にて、特撰部隊、第十九師団隊長であるアーノルド・ハイドレンジア及び第二十師団隊員の者と遭遇。
また、月脈の湯の利用客もここに大勢集まっていた。」
会議室の空気が徐々に騒がしくなる。
「第二十師団隊員によれば、月脈の湯が害魔獣によって襲撃。
偶然客として居合わせた、第十九師団隊員エレーシャ・プルウィアによって避難誘導が行われたそうだ。
また、その際第二十師団隊長であるベルンハルト・エチルエーテル及び隊員のフォンス・フレッドが交戦していると伝達があった。」
「その後、月脈の湯は壊滅状態に陥り、東門周辺の結界が仮封鎖、崩落により結界の要である東門が完全に機能していない状態になっている。
今は守護部隊、及び手の空いた監護部隊が緊急で東門周辺の警備を固めている。」
ジョンがほんの少し息をついた。
「これより、現場にいたベルンハルト・エチルエーテル、エレーシャ・プルウィア両名に発言を求める。」
不意の名指しに、ベルンハルトの心臓が跳ねる。
「はい。」
エレーシャが、すっと立つ。
それにつられて、ベルンハルトも慌てて立ち上がった。
父の視線が、自分に向いている。
それだけで、子どもの頃に戻ったように喉が詰まった。
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