43.悪趣味な本
エーテル城の地下には、不気味な扉があるらしい。
フォンスはそれを知っていた。
幼い頃、何度もベルンハルトとその扉について話し合ったからだ。
その扉からは、何百年も前の幽霊が住んでいるとか。
夜中にその扉を見つけると、中に連れ込まれるとか。
そんなくだらない幻想を、楽しそうに笑い合っていた。
(あれは、ちょうど10歳くらいの時だったっけ。)
ヘイル、カフカ、そしてフォンスは、寮からすぐにエーテル城側に歩いてきていた。
確かに、深夜に散歩しても足音ひとつ聞こえないエーテル城が、いつにも増して騒めいていた。
辺りを見回すと、避難誘導に向かう守護部隊や、あまり普段顔を見せない内勤の者たちがこの冷たい廊下を行ったり来たりしていた。
いつもは風の音しか聞こえない中庭も、今日は慌ただしい点呼の音で、静寂とはかけ離れていた。
「……マジでやばそうな雰囲気っすね。」
フォンスはふと口を開いた。
個人的にヘイルに声をかけるのは初めてだった。
あの誰にでも人見知りしないフォンスでも、ヘイルの気配にはほんの少し不気味だなと思うところがあった。
「うん、そうだね。
僕が知っている限り、結界は破られたことがない。」
ヘイルが、声色を変えずに淡々と言い放った。
彼の歩くスピードは一定で、まるで時計の針が規則正しく動いているみたいだった。
細身の黒いズボン、その後ろポケットに差し込まれた懐中時計が、歩くたびにわずかに揺れている。
「ヘイルさん、結構時計とか気にするタイプなんすか?」
フォンスが興味津々で声をかける。
「……どうしてそう思ったんだい?」
「ああ、いや。
ポケットに洒落た懐中時計が入ってるんで……。
もしかして、結構時間に厳しいのかなぁって。」
ヘイルは少し黙る。
先へ先へと進むものだから、表情が全く読めなくて怖い。
本当に底の知れない男だと、フォンスは実感した。
「僕自身、あまり時間という観念に囚われたことはないな。」
「でも、アーノルドに叱られるんだよ。」
「え、ヘイルさんって怒られたりするんすか。」
「一応ね。」
前言撤回。
ほんの少し、お茶目な一面もあるのかも知れないと思った。
得体の知れない男だと思っていた。
けれど、アーノルドに叱られると聞いた瞬間、ほんの少しだけ輪郭が人間に戻った気がした。
生きている人間に、完璧なことはない。
フォンスはよく父親に言われていた。
……もう、随分前に亡くなったが。
もう今では、顔すら思い出せない。
人は、声から忘れていくものだとはよく言ったが。
思考を巡らせているうちに、ヘイルがおもむろに足を止めた。
あまりにも彼の所作が静かだったから、少し反応に遅れてしまった。
「大きな扉……。」
先ほどまで静かに後ろを歩いていたカフカが口を開いた。
「基本的に僕以外はこの扉の中に入ることはない。」
「エレーシャさんたちも入らないんすか?」
「ああ、たまになら来るよ。」
「へぇ、じゃあオレたちは特別ってことっすね。」
「特別?」
ヘイルが首を傾げる。
「ヘイルさんが仲間と思った人しか入れないんでしょ?それじゃあ、オレとカフカちゃんは特別になったのかなって!」
フォンスが笑みを浮かべた。
「……君、面白いこと言うんだね。」
「おお、そうですか?」
「うん、悪くない。」
「……なんすかそれ、褒めてます?」
「さぁ、どうだろう。」
ヘイルが、右手を扉中央の錠に手を翳した。
金具に取り付けられた魔術鉱石が、水色に淡く輝き出す。
うっすらと紋様が浮かび上がり、カチ、と鍵が嵌るような軽快な音が鳴った。
木が軋む音が響き、ゆっくりと地下への道が姿を現した。
「……おお〜。」
カフカが、フォンスの後ろからおずおずと階段を覗く。
「ここの下だ。」
ヘイルはまた、振り向きもせずにコツコツと地下へと続く階段に足を進めた。
「あ、ちょ、待ってくださいよ!」
地下空間は、フォンスが想像していたものよりもはるかに広かった。
いつ崩れるかわからないほど古びた階段を恐る恐る降り、着いた先は、一面本まみれの不気味な場所だった。
壁一面に本棚が敷き詰められており、一生かかっても読み切れないほどの量に、フォンスとカフカは顔を見合わせた。
「すごい、エーテル城の地下にこんなところがあるだなんて……フォンスは知っていたの?」
「いや、地下空間に幽霊が出るみたいな怖い話は聞いたことがあったんだが。
図書館があっただなんてな……。」
「え、そうなんだ。
てっきりフォンスのことだから、知ってると思ってたよ。」
「オレがエーテル城に住んでいたのは、ほんの数年だからな。」
「楽しくおしゃべりしているところ悪いけど、害魔獣についての文献を手当たり次第探してくれないか。」
「……ゲ、この中から探すんすか。」
「ああ、いや、害魔獣についての本棚があるはずだ。
……その中から、君の思い当たる本を探してきて欲しい。」
「了解っす。」
ヘイルが奥の本棚を指差した。
確かに、そこの棚には『害魔獣関連』と見出しが作られていた。
この空間は縦にも奥にも広く、害魔獣の棚にたどり着くまでに、かなり距離があった。
城の面積の半分くらいはあるんじゃないか、とフォンスが息をつく。
「じゃあ、僕は中央の机を使う。
わからないことがあれば声をかけてくれ。」
「ヘイルさんは本を探さないんすか?」
「今聞いた特徴を、まずは術式として書き出す。
黒い粘液、肉片の接合、エーテル阻害、結界への干渉……。
現象を分解しないことには、どの文献を当たるべきかも決められないからね。
ヘイルはくるりと踵を返した。
「……本当に自由な人だね。」
「本当にな……。」
フォンスは、身長の何倍もあるような大きな棚を見て、少したじろいだ。
「上から探さねぇといけなさそうだな……。」
「あ、梯子あるよ!」
カフカが、そばにあった梯子を指差す。
階段と同じで、いつ壊れるかわからないような古さだった。
触るとギィ、と木が擦れて不快な音を響かせていた。
「うっわ、これ使っても大丈夫なやつか?」
「わかんない……登ったら壊れちゃいそうだね。」
「まぁ、最悪オレは落ちてもどうにか魔術で受け身を取れるからな。
カフカちゃんは下の方を探してくれるか?」
フォンスが梯子に手をかける。
「うん、大丈夫?落ちないように気をつけてね!」
フォンスが落ちないように慎重に上へと登っていく。
その様子を、カフカが不安そうに見つめていた。
「……意外といけそうだわ。」
「よかった!」
頭上の元気そうなフォンスの声に、カフカは安堵した。
下の段だけでも、かなりの数の本があった。
カフカは、害魔獣についてそこまで知識がある訳ではなかった。
だが、ここで役に立たなかったらどこで役に立つのかと自問自答したときに、せめて図書館での本探しくらいはできるだろうと思い至ったのだった。
ベルンハルトはもちろん、クルトは医務室でしっかりと自分の役目を果たしているし、フォンスだって、戦いながら害魔獣について観察している。
それなのに、自分はなにもできていない。
役に立とうとしても、自分が魔術に無縁なことがずっと足枷になって付き纏う。
(お母さんは、あんなに立派な人だったのに。)
ふと母親の顔が浮かぶ。
自分の顔が、年々母に似てきていることは知っている。
漆黒の絹のような長い髪も、緋色に輝く目も、母と瓜二つなのに。
どうして、魔術が使えないのだろうか。
ふと、顔を上げた。
自分の目線の高さの部分に、一つだけ乱雑に棚に詰め込まれている本があることに気づいた。
他の本は綺麗に陳列されているのに、それだけはまるで無理矢理に押し込まれたようになっている。
手に取ると、想像以上の重さに思わず腕が沈む。
表紙は綺麗に彩られており、高そうな本だな、と直感で悟った。
「……だ、い、ま、じょ、の……。」
無意識に口に出す。
この文字を読むのは、何年ぶりだろうか。
懐かしい、母親の柔らかい声を思い出す。
――中央の机でペンを走らせていたヘイルの手が、ぴたりと止まった。
紙の上で、黒いインクが小さく滲んでいく。
古紙に書き詰められた魔術式に綻びが生じた。
次の瞬間、音もなくカフカの背後に気配が立った。
「随分と悪趣味なんだね、君。」
背後から、低く冷たい声が聞こえた。
ここまで読んで頂き本当にありがとうございます!!
3人がついに禁じられた図書館に…!
水曜19時/日曜11時更新予定ですので、また読みにきて頂けるととっても嬉しいです!
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