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39.その氷の色を知っている


 まるで、月から一滴の涙が落ちたようだった。

 ほんの小さな薄氷がきらりと輝いたのだ。

 星々の輝きに混ざって、見逃してしまいそうなくらいの小さな欠片だった。

 ベルンハルトは、壁から飛び降りる時に()()を見逃しはしなかった。


 ――パキ。


 耳元に微かに届いた音。

 けれど、春も終わり、初夏が訪れるこの季節に雪が舞うはずがない。

 落ちゆく瓦礫を見ながら、やけに冷静な思考だった。


 ――瞬間、エレーシャ目掛けて降り注ぐ煉瓦が空中で粉々に割れたのだ。

 ぱらぱら……と余韻を残しながら、ゆっくりと地面に門だった破片が地面に落ちていく。


「……え?」


 あまりの一瞬の出来事に、思考が追いつかなかった。

 理解の前に、ベルンハルトとフォンスは地面へと着地した。

 市街地の方からクルトがこちらに向かって来ているのが見えた。


 エレーシャは、その氷の音を知っていた。

 冷徹で、唐突に現れては消える。

 何を考えているのかわからない、不気味な氷の刃。

 それを操る、ひどく不親切な魔術師のことも。


「……ありがと。」


 エレーシャは、地面にへたり込みながら、どこかの誰かに向けて言い放った。

 小さな声は、この場にいる誰にも届いてはいなかった。


「え、エレーシャさん!大丈夫でしたか!?」


 地面に降り立ったばかりのフォンスが、必死にエレーシャに向かう。

 一目見て、どこも怪我はなさそうだった。

 ベルンハルトは安堵した。

 ……フォンスの脇に抱えられたまま。


「あー、うん。

 大丈夫だよ……。」


「今の魔術……なんだったんですか?」


「エレーシャさんがやったんすか!?煉瓦を空中で木っ端微塵にするやつ!!」


 フォンスの目がキラキラと輝く。

 確かに、傍から見たらエレーシャがやったようにしか見えない。

 ……だがきらりと氷の粒が空から落ちてきたのを、ベルンハルトは見逃さなかったのだ。

 興味津々なフォンスの声を聞き、エレーシャは呆れたように視線を向けた。


「ボクじゃないよ。

 不親切などこかの魔術師さんだね。」


「不親切……?親切の間違えじゃ……。」


 フォンスが首を傾げた。


「すごい音が聞こえましたけど……!皆さん大丈夫でしたか!?」


「ああ、お前のおかげでバッチリ生還だぜ。

 最後はナイスアシストだった!」


「いえ、間に合ってよかったです。

 ……最後の音は、この門が壊れる音だったんですね。

 怪我はしていませんか?」


「はは、ボクも後輩に心配されちゃうなんてね……。

 情けない先輩だよ……。」

いあ

 エレーシャが小さく息をついた。

 ふらり、と小さな身体がよろめく。


「エレーシャさん、オレがおんぶするっすよ!!」


「あー、結構結構。

 ボク、野蛮な男にはおんぶされたくないって決めてんの。」


「野蛮……そんな風に思ってたんすか!?」


「あはは、冗談だよ。

 でも確かに、疲れたね……。

 今日は結界の修復は無理そうかな……。」


「エレーシャさん、月脈の湯まで歩けますか。

 馬車に乗せてもらいましょう。」


 ベルンハルトが、エレーシャの肩を支える。


「ん……歩けるよ、ありがとう。」


 疲労困憊の足取りで、崩れたであろう月脈の湯に向かった。

 月明かりが、柔らかく四人を照らす。

 ぼやけた影が、足元から遠くに伸びていた。


 ――――――


 月脈の湯、跡地。

 建物の天井、壁が崩落し、受付の大広間は跡形もなく消え去っていた。

 客の避難誘導が終わり、月脈の湯からほんの少し離れた場所の広場に馬車と二人の影があった。


「……ベルンハルトたち、遅いなぁ。」

 

 カフカは広場の噴水の縁に座り、膝の上で指を握りしめていた。

 横には、アーノルドが静かに腰を下ろしている。


「そうだな……。」


「アーノルドさん、傷の痛みは大丈夫なんですか?」


「ああ、今んところはな。

 ……ただ。」


「ただ?」


「第十九師団の隊長である俺が、あいつらに加勢できなかった。

 それが申し訳なくてな。」


 アーノルドが目を伏せる。

 昼間、あんなに縦横無尽にフィールドを駆け巡り派手な戦術を見せてくれた人が、こんなにも力無く項垂れているなんて。

 カフカは信じられなかった。

 馬車が到着し、もう数十分は経っていた。


「……俺、エレーシャたちを探しに行ってくるよ。」


「い、いや無茶しちゃダメですよ!医療部の方に要安静って言われたじゃないですか!」


「……まぁ、それはそうだけど。」


 馬車の中から、低い女性の声がした。

 それは、長い年月を感じる貫禄があった。


「アーノルド。

 安静にしろと言ったじゃろ。」


「……クレス主任……。」


アーノルドが馬車の方に踵を返す。


「エレーシャちゃんは、そんな柔な子じゃないってあんたが一番知っとるじゃろ。」


「それは、そうですが……。

 でも、自分の後輩も得体の知れないやつと戦っていて。」


「今お前が行ったとしても、どうにもできないじゃろ。」


「アーノルド。

 これ以上言うなら、馬車の中で拘束魔術を使ってやるぞ。

 わしも、大事な可能性を潰しとうない。」


 アーノルドが歯噛みする。

 自分自身もわかっていたのだ。

 今、自分のエーテルが感じたことのない違和感を覚えていることを。

 そして、空気中の()()()()()()()()()()ことも。」


「お前の身体……想像以上に危ない状態だと言える。

 仮にお前が行ったとしても……最悪足手まといじゃよ。」


「……はい。」

 

 カフカは、どう声をかけていいのかわからなかった。

 きっと、この人はすごく仲間思いなのだろう。

 だからこそ、戦いに行った四人を誰よりも案じているのだ。


「あの、アーノルドさん。」


「どうした?」


 アーノルドは力無く顔を上げた。


「私は、ベルンハルト達のこと、信じて待つことしかできなくて。」


「……でも、アーノルドさんは、すごく強いから。

 “自分が行けばよかった”って、思ってしまうんですよね。」


「……そうだな。

 エレーシャが単独で任務に向かうことはこれまで一度もなかったからな。」


「アーノルドさんって、すごくエレーシャさんのことを想ってるんですね。」


「それは、もちろんそうだな。

 エレーシャもだが、ベルンハルト達のことも案じている。」


「……俺が昼間に無茶しなければこんな事態になってはいなかったはずだ。」


「えっと……私がいうのも変ですが……。

 た、たまには力を抜きませんかっ!?」


「……え?」


「あーえっと。

 アーノルドさん、初めて見た時からずっと身体に力が入ってるなって!

 ……うう、生意気なこと言ってすみません……。」


「……そうなのか?」


「え、あ、はい……。

 当たってるかわかんないんですけど。

 アーノルドさん、初めて見た時から、ずっと身体に力が入ってるみたいで。

 会議の時も、模擬戦の時も、すっごく隊長が似合うなって思ったんです。

 でも……隊長でいようとして、ずっと気を張ってるみたいにも見えました」


 カフカがたどたどしく言った。


「……君は、本当によく見ているんだな。」


「そ、そうですかね?」


「そう言われて、確かにそう思ったよ。

 ……俺は、多分ずっとこの国も特撰部隊も守らなきゃって気張ってた。」


「ヘイルも、エレーシャも強い。

 俺が守らなきゃいけない相手だと思っていたが……守られていたのは、俺だったのかもしれないな」


 アーノルドは少し息をつく。


「……凄く素敵だと、思いますよ!!」


 月明かりの下、太陽みたいなカフカの笑顔が噴水の水面に揺れていた。


「そうか?」


「はい!」


 カフカが空を見上げる。


「ベルンハルトが指示して、フォンスが突っ込んで。

 クルトは何も言わずに支援してくれて。

 ……でも、私は信じて三人を待つことしかできなくて。」


 悲しげな声色だった。

 長い睫毛が、冷たい夜風に揺られている。


「だから、せめて待っている時は全力で信じようと思ってて!ゴーレムと初めて戦った時も、炎龍種と戦った時も。」


「えへへ、早く私も魔術が使えるようにならないかな。」


「……ありがとう、カフカちゃん。」


「あー、いや!なんか何を言おうとしたかわからなくなっちゃいました、すみません。」


「……でも、私はベルンハルトも、クルトも、フォンスも信じてます。」


「そうだな、俺もエレーシャを信じる。」


 アーノルドの強張っていた顔が、ふっと緩む。

 ……どこかから、足音が聞こえた。

 ゆっくりと、鈍い、重たい足音だ。


「……ん?」


「おーい!」


 坂の向こうから、聞き慣れた声が響く。


「フォンスの声だ!!」


 カフカが嬉しそうに目を輝かせる。

 信じて待ち続けた、仲間の声だった。

 すっと立ち上がり、声の方向へと勢いよく駆け出した――。

ここまで読んで頂き本当にありがとうございます!!

ついに得体の知れない害魔獣との戦いが決着…?

水曜19時/日曜11時更新予定ですので、また読みにきて頂けるととっても嬉しいです!

よろしければブックマークや評価などいただけると本当に励みになります!

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