35.助けてよ、アーノルド!
「水鏡、張れ!!!!!!!!」
突如として、二人の目の前に鮮やかに輝く水膜が張られた。
ふつふつと泡立つ淡い輝きが、濁りきった空気の中でやけに美しく見えた。
床に飛散していた粘液をも巻き込み、激流が目の前を洗い流していく。
足元のおぼつかないフォンスが、よろめきながらもその場に踏みとどまる。
「二人とも、油断しちゃダメだから!!」
鋭い声が背後から飛び、ベルンハルトは勢いよく振り返った。
そこには、肩で息をしながら杖を掲げるエレーシャが立っていた。
「エ、エレーシャさん!?」
「遅くなってごめん。
よく耐えてくれたね。」
「い、いえ、ありがとうございます……!お客さんたちは……?」
「大丈夫。
裏口から避難誘導が終わったから。
嫌な予感がして。戻ってきたんだけど。
……にしても、何このエーテルの気配。」
エレーシャが奇妙な害魔獣を睨む。
フォンスを喰らおうとしていた害魔獣は、今は水膜に跳ね除けられ悶え苦しんでいた。
エーテルの乱れは、先ほどよりもさらに酷くなっていた。
重苦しい空気の中、呼吸するだけで精一杯だ。
「とりあえず……。
今ボクたちだけでどうにかしないといけないみたい。
まだ城の馬車も来ていないみたいだし。」
「ッ、わかりました。」
ベルンハルトは、ばつが悪そうに眉をひそめた。
信号を放ってから、もう随分時間が経っているはずだった。
「とりあえず、あいつが動き出す前に癒術を使う。
なるべく早く終わらせる少し我慢しなよ。」
エレーシャは両手を広げ、それぞれベルンハルトとフォンスへ翳した。
防御魔術発動の際とは違う光が杖を包む。
「う、わかりました…。」
フォンスが観念したように唇を噛み締める。
瞬く間に傷口が泡を立て、無理やり塞がっていく。
「〜〜ッ、やっぱ痛いっすね……。」
「仕方ないよ。
ていうか、この空間やけにエーテルの反応が遅い気がするんだけど。
……気のせいじゃないよね?」
「……はい。
気のせいでは無いと思います。
先ほど、魔術道具にエーテルを込めようとしましたが、手応えがありませんでした。」
「ふーん。
やっぱり、何か変だね。
攻撃は通る?」
「はっきりはわかりません。
ただ、フォンスの攻撃を受けた後はしばらく沈黙していました。」
「ありがとう。
アーノルドもイ……ヘイルもいない以上、ボクたちができることはあまりなさそうだ。」
ふいに、エレーシャの腕がびくりと震えた。
「……まずいね。
防御魔術が破られそう。」
害魔獣が、水膜を跳ね除けてゆっくりと動き出す。
防御魔術の表面には少しずつだが、確かに亀裂が入っていた。
黒い液体が淡い光を呑み込み、今にもこちらへ喰らいつきそうだった。
「どうしますか。」
「うーん、守るのやめる。」
「……はい??」
ベルンハルトとフォンスが顔を見合わせた。
守るのを、やめる。
それは実質、敗北宣言ではないのか。
「うん。
このエーテルの遅れじゃ、守り続けてもすぐに破られる。」
エレーシャがずい、と身を乗り出した。
「――このまま、こいつを城下町の外側に追い出す道を今から作る。」
パァ、と杖が眩く輝き出す。
「ベルンハルト、フォンス。
今からそこの壁をもう少し広げられるよね?」
本気だ。
いつも、柔らかく細められていた目が、すっと温度を失った。
これは敗北宣言なんかじゃない。
敬称を省くほどに、時間が惜しいのだろう。
「できます。」
「もちろんっす!」
「いい返事だね。
あの水膜をトンネル状にして、東門まで繋げる。」
「温泉のエーテルと湯を利用して、一気に門外へと流す。」
「そんなことできるんですか?」
「当たり前。
ボクは偉大なるエーテル種精。
舐めてもらっちゃ困るんだけど?」
「……で、あとは門の結界を一時的に強化する。
それで一旦退くよ。
正直、今のボクたちじゃこれが限界。」
防御壁が徐々に形を変える。
それは、みるみるうちに害魔獣を包み込んでいく。
害魔獣が唸り声を上げ、肉の継ぎ目から更に黒い飛沫が舞う。
だが、先ほどよりも強固な膜が、黒い液体の飛散を許さない。
エレーシャがニヤリと口角を上げた。
「それじゃあ、二人ともよろしく!!」
「っし!いくぞ、ベルンハルト!!!」
フォンスが勢いよく踏み込んだ。
床にへばりついていた粘液は、すでに完全に洗い流されていた。
「フォンス、壁の亀裂を狙え!」
ベルンハルトが剣の鋒を対象に向けた。
反応は鈍い。
それでも、炎は徐々に剣全体を包み込んでいく。
(……エーテルの遅れが軽くなってる?
粘液が洗い流されたからか?)
「おう!気をつけろよ!!」
「ああ。」
右手の魔術道具がバチバチ……と激しい音を立てる。
今にも爆ぜそうな雷が、フォンスの腕を纏った。
先ほどの心許ない出力とはまるで違う。
迸る雷光が、眩しく広間を照らした。
フォンスはためらいもなく、害魔獣近くの壁へ飛び込む。
「でりゃあああああああッッ!!!」
大きく振り上げた拳が、壁へ突き刺さる。
遅れて、衝撃が広間を揺らした。
雷が炸裂し、壁に大きな亀裂が走る。
轟音が、害魔獣を更に苦しめる。
「グ、ル…………グジュ、ジュル――」
先ほどの唸り声とは違った。
声に湿り気を帯びている。
水膜の中では、今にも破裂しそうなほど黒い液体が膨れ上がっていた。
「ッ、クソ、やっぱり弱まっちまうのかよ!?」
フォンスが床に着地する。
「大丈夫だ、今度は絶対に決める――――――ッ!!」
ベルンハルトも、フォンスに続いて壁へ飛び込んだ。
先ほどの炎が勢いを増し、壁に大きく振りかざす――。
炎が、崩れかかった壁に迸る。
ベルンハルトは、食いしばり、必死にエーテルを流し込もうとする。
(後少し、後少しだ……ッ!!)
握りしめた剣が、やけに熱い。
火傷しそうなくらい、熱を帯びていた。
手のひらに爪が食い込む。
こんなに剣を握り締めたのは、いつぶりだろうか。
アーノルドとの模擬戦とは比べものにならない。
ここで壁を破り切らなければ、全滅する。
ベルンハルトは直感で悟った。
「後少し、お願い!!」
エレーシャの声が、熱に浮かされた頭へ飛び込んでくる。
ベルンハルトは、踏み込んだ足にさらに力を込める。
炎の出力が、一段と跳ね上がった。
いつもと違って、するりと身体をすり抜けていくエーテルを必死に掴もうとする。
指先に全神経を集中させて。
腕、足、脳、心臓。
肝心なエーテル回路は無いが、自分がこの壁を破らねば、と。
「……崩れろ……ッ」
「崩れろォォォォォォッ!!」
――――ガラガラガラガラ!!!
その瞬間、大きな音を立てて壁が崩れ落ちていく。
「ッ!!!!!」
壁が吹き飛び、瓦礫の破片が一斉に散らばった。
大穴は空いた。
だが、同時に天井が崩れ始めていた。
「わわわわわわッ!!嘘でしょ!?」
エレーシャが杖を握りしめる。
建物の崩落は想定外だったのか、素っ頓狂な声を出す。
目の前には反動で膝をつくベルンハルトに、吹っ飛ばされたフォンス。
エレーシャのエーテル回路は、得体の知れない害魔獣を閉じ込めることで精一杯だ。
このままでは、天井に潰されて全滅する。
瞬時に、思考がその結論を弾き出した。
(どどどど、ど〜しよう!?この化け物を外に逃すことしか考えてなかったよ〜!?)
(このまま水を天井に流す!?
でも、そんなことをしたら害魔獣が出てくる……!)
(どうしよう、考えて、ゆっくり考えて、あ〜ゆっくり考える暇なんてないよ!?)
瞬きほどの間に、思考が目まぐるしく回転する。
杖を持つ手が震える。
手汗が噴き出し、集中が欠けていく。
エーテルが揺らぎ出す。
ギリギリのところで押し留められていた害魔獣も、水膜を突き破ろうと粘液を吐き出し続けている。
――命が尽きる瞬間、すべての事象がゆっくりになる。
そんな話を、どこかで聞いたことがある。
エレーシャは涙目になりながら、無意識に今まで自分に起きたことを思い出していた。
(……ボクの人生、苦しいことばっかりだったな――。)
ふと、その言葉だけが頭に過った。
思考が宙に浮いて、戻ってこない。
杖を握る手に、石片が落ちる。
痛い。
痛覚が悲鳴をあげる。
ガラガラガラガラ……!!!!!!!!
砂煙が上がり、天井が迫る。
「あ、ああ、どうしよう、どうしよう……!!」
「ッ、助けてよ、アーノルドぉ!!!!!!」
エレーシャの喉から、悲痛な叫びが搾り出された――。
ここまで読んで頂き本当にありがとうございます!!
絶対絶対、エレーシャ達はどうなってしまうのか…?
水曜19時/日曜11時更新予定ですので、また読みにきて頂けるととっても嬉しいです!
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