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33.現れるは怪異


 ――背後からだった。

 後にも先にも、俺のようなただの騎士団平隊員が、こんな怪異と遭遇することはないだろう。

 正面にいたはずの気配が、瞬きのあいだに背後へ回っていた。

 言語を話すということは、害魔獣ではない。

 ……だが、空気中のエーテルがこんなにも揺れているとは、どういうことだ?

 剣の柄を握る手が震える、嫌な汗が背中を伝う、不快な寒気がする。

 ――だが、次の言葉を聞いた瞬間、思考がすとんと止まった。


 「微弱だが、月脈の湯周辺からだ。」


 影が立ち止まる。

 ぱらぱら、と分厚い本の頁がめくられる音がした。

 変わらず燭台の火は、煽られるように激しく動いている。


「……もしかして、すごく面倒なことが起きてるのかい?」


 振り返って影の正体を確認するべきだ。

 そう思うのに、足が床から離れない。

 強大な()()から目を背けないと、正気を失ってしまう。

 そう、本能が警笛を鳴らしているのかもしれない。

 影は首をほんの少し傾げた。

 スラリと伸びた長い足が、灯りの影で視認できた。


「君たちにはわからない、か。」


 低い声、だった。

 何かを静かに諭すような、声色だけが耳元に掠めた。

 影は再び歩みを進めた。

 コツ、コツと足音が遠くなっていく。

 見開いた目が乾いて痛い。

 ほんの数秒のはずなのに、何時間もこのまま固まっていたような感覚だった。

 気配がふっと消え、不快な冷気だけがじんわりと遠のいていく。


「……月脈の湯……、あの癒術温泉か。」


「何だったんだ、あの……人?」


「あれは人だったのか……。

 てっきり害魔獣が何かの類かと思ったぞ……。」


「ああ……でも、声に嫌な気はなかったんだよな。

 とりあえず、本部に戻ってベルンハルト様の所在を伝えよう。」


――――――


「水、汲んできました!!!」


 脱衣室に、フォンスの大きな声が勢いよく響き渡った。

 着替えたばかりの服は、かなり濡れている。

 相当急いで水を汲んだのだろう。


「ああ、ありがとうな、フォンス。」


 フォンスが、満タンの水筒をアーノルドに手渡した。


「アーノルドさん、歩けますか?オレ、背負ってエーテル城まで行きますよ!」


 フォンスがしゃがみ込んだ。

 自分よりも大きなアーノルドを背負い、エーテル城まで歩くのは現実的ではない。

 アーノルドが力無く首を横に振った。


「一応、馬車は呼んだんだが……。

 この通り、全く座標が安定しなくてな。」


 ベルンハルトが、古びたコンパスを差し出した。

 先程と状況は変わらず、ぐるぐると針が不安定に回っていた。


「うわ、何だこりゃ。

 いつもはこんな感じじゃなかったよな……?」


 フォンスが目を丸くした。


「これって、オレがエーテルを流し込んでも何も反応しないんだよな……。

 どういう仕組みなんだろうな。」


「俺も仕組みはよくわからない。

 ……そういえば、カフカさんは広間に居たのか?」


「いや、広間にも入り口付近にも居なかった。

 まだ女湯にいるんじゃないか?」


「俺たちが外に出るのが遅かったら、心配するかもしれない。」


「フォンスのおかげで、だいぶ気分は楽になった。

 肩を貸してくれれば、歩けそうだ。」


 アーノルドが、ゆっくりと立ち上がる。

 呼吸が荒く、どう見ても普通じゃない。


「もちろん、お貸しします。

 無理はしないでください。」


 ベルンハルトが、すかさず肩を貸した。

 アーノルドの筋骨隆々とした身体の重さに、ベルンハルトは少しよろけた。


「オレ、左肩貸します!痛かったら言ってください!」


「二人とも、すまないな……。」


 アーノルドが苦笑いする。

 傷は、痛々しく抉れたままだった。

エレーシャは自分の無力さを呪いながら、後ろから三人の背を見つめていた。

 彼の手には、杖が強く握りしめられていた。

 重い足を引き摺りながら、何とかして脱衣室を出る。

 通りすがりの客に好奇の視線を向けられながら、ようやく広間へ辿り着いた。


「はぁ……、カフカさんは、居ない……のか。」


 ベルンハルトがキョロキョロとあたりを見回した。

 月脈乳を飲む客や、和気藹々と談笑する者。

 湯上がりの客でごった返しており、そこにカフカの姿はなかった。


「どうされましたか?」


 受付にいた番人が、慌てて駆け寄ってくる。


「ああ、少し逆上せてしまって。

 ここで休んでから外に出ます。」


 椅子に座っているアーノルドが、ぺこりと頭を下げる。

 先ほどよりかは顔色がましになっているようだ。


「そうでしたか。

 お大事にしてくださいね。」


 緊急性がないと判断したのか、番人が笑顔で受付に戻って行った。


「ねぇ、ベルンハルトくん。

 この馬車って、どれくらいで迎えにくるの?」


 エレーシャが首を傾げる。


「そうですね……、場所にもよりますが、座標が感知されてから三十分ほどですかね。

 ここは結構城から離れているのでそれくらいはかかるはずです。

 ……ただ、この信号が城に伝わっているかどうか……。」


「そっか……。」


 エレーシャは小さく息をついた。

 本来なら、上官の自分がしっかりしないといけないのに、後輩たちに助けられてばかりだ。

 いつもなら生き生きと杖を振り回しながら、どんな傷でも治すのに。

 今のエレーシャは、アーノルドの傷を治すことも、ましてや肩で支えてやることもできない。

 悔しくて、無意識に唇を噛み締める。

 アーノルドの大きな手が、ちっぽけに見える。

 頼り甲斐のある背中がやけに弱々しくて、目頭がじんわりと熱くなる。


 (泣いちゃだめだ、しっかりしろエレーシャ!)


 (帰ったら、即アーノルドの傷の状態を見て、解決方法を考えなきゃ。)


 (ああ、でも、結界の修復もある!

 ああ〜どうしよう、なんでボクだけこんなに仕事が……。)


 エレーシャがぶんぶんと首を振った。


 (でも、やらなきゃ。

 ボクじゃないと、こんなへんてこりんな傷、治せない。)


「待っててね、アーノルド。

 ボクが絶対に、治してあげるから――。」


 涙を堪えながら、アーノルドに向かってそう言った、その瞬間だった。

 ドゴォンッッ!!!!!!!!

 ――壁が、勢いよく弾け飛んだ。

 広間内に破裂音が轟く。

 石片が派手に飛び散り、熱を帯びた風圧が室内を叩きつけた。

 同時に、ガラガラ……と石壁が崩れていく。

 状況を飲み込めない人々が、次々と声をあげて逃げ惑う。


「何!?けほっ、攻撃……?!」


 土煙が舞い、エレーシャが咳き込む。


「ここ、市内だよ!?」


「……オレらが入学してから随分と治安悪くなったんすね?」


 フォンスが、右手の装甲に力を込める。

 煙のせいで、視界が完全に遮断されている。

 エーテルで気配は感じられても、()が襲撃したのかはまだわからない。


「いやいや、こんなのボクも初めてだよ!?」


「フォンス、構えろ。

 絶対に犠牲者を出すな。」


 ベルンハルトが剣の鋒を気配の方向に向ける。

 恐ろしいほどの判断の速さに、エレーシャは息を呑む。


 (こ、これが着任してからたった一週間の子達なの!?)


「ここは室内だ、民間人も大勢いる。

 ()()()だ。」


 緊迫した空気、民間人の悲鳴と、どこかで上がる鳴き声。


「俺も戦える……ッ。」


 ふらりとアーノルドが立ち上がる。

 よろけるアーノルドを、フォンスが咄嗟に支えた。


「無茶っすよ、アーノルドさん!?

 ここはオレたちに任せてください。」


「エレーシャさんは、とりあえずアーノルドさんを守りながら避難誘導をしていただけませんか。」


「ええ、ボ、ボクが!?」


「はい、お願いできますか。」


「う……、わかった。」


 エレーシャが杖を高く掲げた。

 水晶が、煙舞う室内の中で淡く光り輝く。

 誰かを癒す杖が、今は逃げ惑う民間人のための誘導灯となっている。


「皆さん、ここは危険です!!!誘導灯に従って、奥へ!!」


 か細い声を張り上げる。

 自分が今、民間人を誘導しないと、犠牲者が出てしまうかもしれない。


 (月脈の湯は、よく来る。

 地形の把握は大丈夫なはず……!)


 エレーシャが、ちらりとベルンハルト達の方を一瞥する。


(今は、()()に託すしかない……!)


 ベルンハルトの剣先が、土煙の奥をまっすぐ指す。

 悲鳴の中で、何かがゆっくりとこちらへ歩いてきた。

 だが、その周囲のエーテルは、明らかに通常の”害魔獣”のそれではない。

 桁違いのエーテル出力に、フォンスの背筋が震えた。


「――来るぞ!!!!」


 煙の奥で、“それ”が顔を上げた――。

 

ここまで読んで頂き本当にありがとうございます!!

温泉が、緊急防衛戦の現場に!?

水曜19時/日曜11時更新予定ですので、また読みにきて頂けるととっても嬉しいです!

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