32.腕の深傷
アーノルドの右腕の傷について、医療部は躍起になって研究を進めていた。
それこそ、騎士団の基本的な就業時間が終わった今も、有志たちが医務室に残り、改善策を探っている最中だった。
――アーノルドは腕の違和感に驚きが隠せなかった。
魔術を使い始めてから十数年が経つが、このような異質な感覚は初めてだったからだ。
右腕の傷は良く見ると深く抉られたような形に変形している。
だが、見た目とは裏腹に全く痛みがないのだ。
ゆっくりと右手の拳を握ると、倦怠感や痛みは消え去っていた。
見れば見るほど、この傷の正体がわからなくなる。
(さっき身体を洗った時にはこんなことになっていなかったのにな。
まさか、湯に入ったからか?)
「ねー。
アーノルド、まだ上がらないの?」
脱衣所の方から、エレーシャの間の抜けた声が聞こえる。
一度思考を切り上げ、声のする方へ歩こうとした。
「ッッ!?」
歩くたび、体内のエーテルが勢いよく巡るような感覚が走る。
襲ってくる眩暈を振り払うように、必死でエレーシャたちの方へ向かう。
ふらり、と大きな身体が揺れる。
(気持ち悪いな……。
湯船に浸かりすぎたか?)
失いそうな意識を必死に保ち、壁を伝い、やっとのことでエーテルの充満する空間から脱出した。
全く魔術を行使していないはずが、右胸の奥――エーテル回路のあるはずの場所が、どくどくと脈打っていた。
「アーノルド、どうしたの!?」
既に服を着終わったエレーシャがアーノルド目掛けて走り込んでくる。
明らかにいつもと違うアーノルドの様子に、エレーシャの顔が真っ青になる。
「ああ……すまん、もしかしたら逆上せたのかもしれない。」
「いやいや、そんなわけなくない!?いつも一時間くらい浸かってるじゃん!?」
「ははは、そうだっけな……。」
「息はできてる?回路は動いてるよね!?」
エレーシャが懸命に右胸に手を当てる。
「大丈夫だ、ちょっと気分が悪くなっただけだから。
……うん、脱衣所を出たら随分気が楽になった。」
「頼むから無理しないで。
ほら、服着て。
一旦落ち着いたら回路の様子を見るから……。」
「ははは、エレーシャは心配性だな。
俺は元気だぞ?」
座り込みながら、何とか渡された衣服を身体に纏う。
「アーノルドさん、どうかされたんですか。」
騒ぎを嗅ぎつけ、着替えを終えたベルンハルトとフォンスが駆け寄ってくる。
「めちゃくちゃ顔色悪いっすよ!?オレ、水汲んできます!!」
フォンスが脱衣所の外に急ぐ。
「お前ら悪いな。
……頑丈だけが取り柄なんだけどな。」
「いや、もしかしたら月脈の湯のエーテルが、あまり今の身体に良くなかったのかな……。
ああ、ボクのせいだ、変な提案をしてしまってごめん。」
エレーシャが涙目になりながら、へたり込む。
「お前が悪いわけじゃない。
ベルンハルトも、悪いな迷惑かけちまって。」
「いえ、気にしないでください。
城の馬車を呼びましょう。
きっとその様子だとここから城まで歩くのは難しいはずです。」
ベルンハルトが、腰につけたポーチから小さな方位磁針を取り出した。
金属でできたそれは、綺麗な黄金色をしていた。
真ん中には大きくエーテル国の紋章が刻まれている。
縁はうっすら色が燻んでおり、古いものだということが一目見てわかった。
「エーテルコンパス?でもそのデザイン初めて見たかも。」
「これで、城の馬車を呼べます。」
ベルンハルトが右手で、それをしっかりと握りしめた。
紋章が淡く輝き、エーテルが充填される。
真ん中に収まっていた針が、少しずつ揺れ始める。
「……?」
いつもと違う針の動きに、ベルンハルトが首を傾げた。
通常、エーテルコンパスは設定された座標を指し続けるものだ。
……だが、エーテルを循環させてもぐるぐると不気味に針が回り続けるだけであった。
――まるで、何かに引き寄せられているように。
「こんなことは初めてです。
恐らく、城の中枢へ信号自体は送れているはずなのですが……。」
「……ていうか、城の馬車を呼べるエーテルコンパスなんてあるんだね。
流石、エチルエーテル家ってところ……。」
エレーシャが小さく息をつく。
(忘れがちだけど、そういえばベルンハルトくんってエーテル貴族の子なんだよね……。
あれで、甘やかされずに育ったんだろうな……。)
エレーシャがゆらゆらと揺れる針を訝しげに見つめる。
「これって、エーテルを感知して座標を相手に送り込むんだよね。
こんなにブレてたら、ちゃんと伝わるのかな……?」
「そのはずなのですが……。
こんなに針が安定しないのは初めて見ました。
そもそも、これはエチルエーテル内でしか使えないので……。」
「そっか、結界の中でのみ使える魔術道具なら、妨害もないはず……。」
「俺なら、別に大丈夫だぞ。
ほら、歩け……る……。」
アーノルドが、よろけながらも立ちあがろうとする……が。
月脈の湯へ入る前とは打って変わって、足取りがひどく重い。
「ああ、ほら。
無理しちゃダメって言ったじゃん。
とりあえず、お迎えを待とうよ。
最悪、ボク頑張って城まで行ってくる。」
「そうなれば、俺とフォンスが城の方まで呼びにいくので安心してください。
今は返事を待ちましょう。」
ベルンハルトが、エーテル城の方角を指差した。
……その期待を裏切るように、針は無慈悲にもひっきりなしに動き続けていた――。
――――――
――エーテル城、騎士団本部。
「ベルンハルト様から、迎車信号が発されました!」
騎士団本部に常駐する魔術師が、鋭く声を張り上げた。
ベルンハルトが士官学校から戻ってきて以来、初めての事態だった。
「……そうか。」
ジョンがわずかに目を細める。
騎士団本部では、医療部と同じくアーノルドの腕についての会議が続いている最中のことだった。
「……まだルペリのコンパスを使っているのか、あいつは。」
「どこからの信号ですか!?」
「座標、特定……できません!?」
一気に不穏な空気が広がり、騒めきが膨れ上がる。
この場に残っているのは、氷龍種、炎龍種の異常事態に対応するため集められた、騎士団付きの魔術師たち。
——エーテルのプロフェッショナルである彼らでさえ、感知できない。
事態は、想定以上に深刻であった。
「一刻も早く、まだ城に残っている魔術師を集めて感知しなければ……。」
探知を担当している魔術師が、眉を顰めなが言った。
「ベルンハルトは、くだらないことで馬車を呼ぶような男ではない。
一刻も早く、信号の座標を特定してくれ。」
ジョンが短く告げた。
命令を聞き、また更に現場が慌ただしく動き始めた。
――――――
「結界課、医務課、武器課…そうだ、ルース主任は今どこにいる?」
「魔術道具のプロに感知を手伝ってもらおう。」
「医務課の主任は今ここには居ない……副主任は?」
「寮にいるんじゃないか?」
夜も更ける頃、騎士団本部以外の場所にも緊張が走っていた。
座標がいつも通り簡単に探れないことに加えて、ベルンハルトが馬車を呼んだということ。
隊員は今、この事態を解決できる魔術師を血眼になって探していた。
「クソ……。」
「どうした?」
「いや、特撰部隊の寮にエレーシャさんを呼びに行ったが、不在だった。
というか、寮には誰もいなかった。」
「本当か?……相当まずいんじゃないか?」
「ああ、そうだな……。
もう昼勤の魔術師は残っていない……。
常駐している者もいない。」
「団長は恐らく、市内をがむしゃらに探せと言ってくるんじゃないか?」
「ああ、そうだろうな。
でももう、それしか術はなさそうだな……。」
騎士団隊員たちが、鬼気迫る勢いで捲し立てていた。
――その瞬間、廊下の空気が不気味なほど冷え込んでいることに気づいた。
みるみるうちに壁に結露が滲み出し、燭台に灯る炎がゆらゆらと揺れる。
コツ、コツ、と聞き覚えのない革靴の音が廊下に響く。
……まるで、この世の者とは思えない気配だった。
「何だ、急に冷えるな……。」
「というか、何だこの気配は。
まさか、害魔獣が侵入したとかいうんじゃないだろうな。」
エーテル城に害魔獣が侵入する、それは即ち大規模な防衛戦が始まるということだ。
エーテル国の中枢であるエチルエーテル市が陥落する、それはこの国の終焉と言っても過言ではない。
その為、特撰部隊は表には出ない秘密兵器とされているのだ。
「おいおい、嘘だろ?特撰部隊は?」
隊員が咄嗟に、鞘から魔道具である剣を抜いた。
冷えたエーテルを一身に受け、寒気が止まらない。
もう一方の隊員も、同じように剣を構えた。
「いなかったっつってんだろ!どうなってんだよ、最近のエーテルは!!」
――黒い影が、ゆらりと見えた気がした。
ほんの一瞬だったが、目の端にその姿が映った、そんな気がした。
「もしかして、この気味悪い信号の在処を探しているのかい?」
ここまで読んで頂き本当にありがとうございます!!
だんだん、不穏になってきましたね。
水曜19時/日曜11時更新予定ですので、また読みにきて頂けるととっても嬉しいです!
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