31.「え、男なの!?」
湯に反射している満月が、やけに妖しく美しい夜だった。
カフカは、一人でぼんやり過去のことを思い出していた。
――水面に映る自分の姿が、やけに母親と似ていると思った。
寂しさを紛らわすように、カフカはぱしゃりと水面を揺らした。
(そういえば、エレーシャさん遅いなぁ……。
のぼせちゃいそう……。)
カフカが空を見上げながら、ゆっくりと息をついた。
――その瞬間、聞き慣れた叫び声が隣の空間から響き渡った。
「はぁああああああああああ?!」
周りにいる客も、一斉に男湯の壁の方に視線をやる。
(今の声、ベルンハルトにフォンス!?)
カフカの朧げだった思考が、一気に醒める。
――――――
「エレーシャ、こっちこっち!!」
この場で微動だにしていないのは、アーノルドただ一人だった。
ベルンハルトは、男湯に女性がいるというこの異質な状況に完全にフリーズしている。
フォンスは思わず雷魔術を漏らし、飛び上がったかと思うと慌てて目を覆った。
「は!?え、エレーシャさん、ここ男湯なんですけど!?わかってます!?!?うわすみません、オレ見てないっすよ!本当です!!」
フォンスが顔を真っ赤にしながら湯の中でしゃがみ込む。
そしてエレーシャは、二人の反応を見て立ち尽くしていた。
この状況に、なんと言っていいかわからなかったからだ。
アーノルドは首を傾げる。
「なんでそんなに焦ってんだ?エレーシャは男だぞ?」
「――――――――――はい?」
ベルンハルトが素っ頓狂な声で聞き返す。
「……待て。
逆に気づいてなかったのか??」
「いや、この人顔も声もどう考えても女性ですよね??なんか俺夢でも見てるのかな。」
「ははは、夢じゃないぞ。」
「…………ッッ黙って見ていれば、アンタらは〜〜〜〜〜〜……。」
エレーシャの周囲のエーテルが、沸々と泡立つ。
みるみるうちに水の粒子に変わり、暴れている。
「こうなると思ってたから後から一人で入ろうとしてたんだけどぉ!?」
「否定しない、ということは――。」
フォンスが生唾を飲み込む。
エレーシャは、揶揄われると全力で否定しブチギレる。
この二日間一緒に過ごしたことで、彼女――いや、彼の行動原理はなんとなくフォンスにも理解できていた。
「あー、そうだよ。
ボク一応男。
……でも、それだけでボクが一番可愛くてファビュラスなエーテル種精ってことは揺るがないんだから。」
新事実その二。
怒涛の情報量に、二人の頭上にはハテナが浮かび続けていた。
「……その顔、どっちに驚いてんの?」
「あーいや、男って方に驚いている方が大きいですね。
正直、女性じゃなかったという事実に、全部持っていかれました。」
ベルンハルトが早口で捲し立てる。
頭がパンクしているはずなのに、やけに言葉がすらすらと口から出てくる。
「ふん、いいからボクの場所開けて。
アーノルドの隣がいい。」
エレーシャが温泉にゆっくりと足を浸ける。
エーテル種精である彼は、輝く水面にやけに馴染んでいた。
「正直、クルトを見た時も一瞬わからなかったけどさ……。
アイツは声も男だし、なんとなくわかったんだよ。」
フォンスがポツリと呟いた。
「クルトも綺麗な顔つきだもんねぇ。
ボクも最初は女かと思って警戒したよ。」
「ははは、俺も同感だ。
エレーシャを最初に見た時は、ついに天国からお迎えが来たかと思ったんだよ。」
「はぁ、何!?褒めても何にも出てこないよ!?」
エレーシャが顔を真っ赤にしながら頬を膨らませる。
「褒めてるというか……その時に、そう思ったから仕方ないだろ?俺の率直な感想だ。
――その時は、エチルエーテル市の国立騎士団へ志願するために、必死で田舎から出てきたばかりでな。
俺の住んでいた村はエチルエーテルから随分離れていて、持っていた食料ももうほとんど残っていなかった。」
「エチルエーテル市にちょうど差し掛かった時、俺は運悪く害魔獣の群れに遭遇しちまったんだ。」
「そういえば、アーノルドさんってエチルエーテル市出身じゃないんですね。
すごく強いので、士官学校出身かと思っていました。」
「はは、ありがとなベルンハルト。
俺はヴァスコミューから、特撰部隊になりたくてエチルエーテルへ来たんだ。」
特撰部隊になるために、わざわざ騎士団に志願すること。
それがどれほど命知らずな行為か、ベルンハルトには痛いほどわかっていた。
アーノルドほどの実力がなくとも、特撰部隊には誰だって入ることができる。
ビラを配ってようやく、規定人数の四人がぎりぎり集まる。
それほど民間への印象はあまり良くない。
――死と隣り合わせ。
国立騎士団の使い捨ての命の駒。
裏ではこう言われているのだ。
「わざわざエチルエーテル市に……、監護部隊ではダメだったんですか」
アーノルドが頭を掻いた。
「……もしかしたら、家業のことを考えたら監護部隊でも良かったかもしれないな。
でも、その当時の俺はなりたかったんだよ、特撰部隊に!!」
「ボクと出会った時も、ずっとこんな感じで理想ばっかり語るようなやつだったんだよね。
エチルエーテル市に行って特撰部隊に入りたい、ってさ。
もちろん、その若さで命を捨てに行くものだとは散々説得したけどね。」
「あん時からエレーシャは心配性だったなぁ。」
「心配性って……。
ボクがあの時アンタを見つけて回復してなかったら死んでたでしょ!?」
エレーシャがアーノルドの顔目掛けて湯をかける。
「ははは、そういえばそうだったな。
その節は本当に感謝してる、ありがとうな。」
「ふん、アーノルドは何歳になっても無鉄砲なところは変わらないね。」
「それ……褒めてるのか?」
「さぁ、どうだろうね。」
エレーシャは、空を見上げる。
満月だけでなく、今日は無数の星々もいつもより輝きを増して見えた。
「……ボクは、アーノルドがいなければ永遠にあの地獄から逃げられてなかったから。」
ポツリ、誰にも聞こえないような声で。
その声を掻き消すように、壁の向こう側から聞き慣れた声が落ちてきた。
「ねぇ〜〜!!エレーシャさん来ないよ〜!!呼びに行った方がいいかなぁ〜!?」
「あ。」
「そういえば。」
ベルンハルトとフォンスが顔を見合わせた。
この衝撃の事実を、優雅に一人で温泉に入っているカフカは知る由がないのだ。
下界に存在が出ることを極端に嫌うエレーシャは、無言で抑えきれない怒りを拳で表現していた。
「……あの小娘……ッッッ。」
「まぁまぁ、落ち着いてください。
カフカさんは何も事情を知らないので……。」
「そ、そうっすよ!!カフカちゃんは何の悪気もないんで!」
「ボ、ボクが男ってことはアイツには言わないでよね!?あとクルトにも!!」
「は、はい……。」
エレーシャの声に気圧され、二人は形になりきらない返事をする。
その声は、ひっきりなしに湧いてくる湯気と水音に混ざって消えていった。
「そろそろ上がろうぜ。
月脈乳、久しぶりに飲みてぇんだよなぁ。」
フォンスが軽い足取りで湯から上がる。
水滴と一緒に、微かな光がまとわりつく。
動くたびに、淡い粒子がほんの少し揺れる。
「んー、確かに身体が軽くなった気がする。」
「そりゃ、エーテルが溶け出した湯だからねぇ。
傷にはバッチリ効くに決まってるじゃん。
エーテル種精ってすごいんだよ!?これからは、いつも以上に敬ってよね。」
「ボクも月脈乳飲みたいな〜。
経費で落ちるかな。」
フォンスを追いかけて、エレーシャ、ベルンハルトがゆっくりと脱衣所の方に向かう。
男湯に平然と佇んでいるエレーシャの姿は、やはり異質だなとアーノルドが笑う。
「さて、俺ものぼせる前に上がるか。」
ザバァ、と湯が外に逃げていく。
立ち上がった瞬間、ある違和感が頭によぎる。
「……ん?」
アーノルドが右腕を準備体操をするかのようにゆっくり回す。
先程まで確かにあった痛みが、妙に軽い。
――いや、軽いというより。
何かが内側で流れている、妙な感覚だった。
ここまで読んで頂き本当にありがとうございます!!
エレーシャの性別が発覚しましたね…。
水曜19時/日曜11時更新予定ですので、また読みにきて頂けるととっても嬉しいです!
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