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第265話  次元を越える道

 ビリビリ、と。

 空間が、いや、次元そのものが悲鳴を上げていた。


「……なんだよ、これ」


 見上げた先には、反転した重力の暗い空。そこへ、純白の光の矢が突き刺さり続けてる。エリシアの祈りだ。ゴリゴリと耳障りな音を立てながら、分厚い壁を穿ち続けてる。


「どんだけ無茶苦茶な出力だっていうんだよ……」


 俺が分け与えた霊素がトリガーだとはいえ。星の光が、絶対に交わるはずのない深淵の底にまでバキバキとヒビを入れていく。理不尽なまでの、命の輝き。まるで分厚い氷をかち割るピッケルみたいに、何度も何度も突き刺さっていく。


 地上、王都ヴァルドンガルドの中央広場。そこに取り残されてたフェデの半身が、エリシアの光に共鳴して、世界樹最上位霊獣としての権能を完全にぶっ放した。なぜか、はっきりわかった。繋がりだ。魂の底で、俺たちはしっかり結びついてる。


「……ほんと、馬鹿ばっかだ」


 口元が、自然と緩んでた。


 光がこじ開けた、次元の裂け目。そこへ黄金の巨体が躊躇いなんて一ミリも見せずに飛び込んでくる気配。足元にまとわりついてた泥人形ども、魔王アビスの悪意の塊みたいなやつらが、天井からこぼれ落ちてくる光の欠片に焼かれてジリジリと後退していく。あんなに不気味で、理不尽の塊みたいに無限湧きしてたのっぺらぼうの波が、日照り続きの水たまりみたいに、惨めに干からびていく。


 頭蓋骨の裏側にべったり張り付いてた神様の冷え切った説教。そいつを、思いっきり蹴り飛ばしてやった。


「神様だか何だか知らねえが、ひっこんでろ」


 前世の記憶。初代精霊王とかいう、孤独で退屈な管理者のシステム。感情はノイズだの、世界を俯瞰しろだの、知ったこっちゃねえんだよ。俺はもう、お前じゃないんだ。


 心の中に、分厚くて絶対に壊れない壁を築き上げる。スローライフ。美味い飯。ギルドの小銭稼ぎに、仲間とのくだらない馬鹿話。そういう寄せ集めでできた、最高に頑丈で泥臭い壁をな。


「……あっぶねえ。危うく、つまらねえ神様に乗っ取られるところだったぜ」


 ふぅ、と大きく息を吐き出して、顔を上げる。


 右腕に装着したアリス特製の冷却グローブからは、まだシューシューと白い蒸気が上がり続けていた。徹夜で調整してくれた魔導回路が、俺のZランクの異常な霊素を必死に逃がしてくれてる。熱い。骨が軋むような痛み。でも、それが人間として、ルーカス・ヴァレリオとして生きてる証拠みたいで——悪くない。


『ルッくん! よかった……ほんとうに、よかったぁ!』


 背中に張り付いてたセラの六枚羽が、ほっとしたみたいにブルブルと震える。光の粒子が、俺の肩を優しく撫でた。あんなに泣きそうだった声が、今は少し弾んでる。


『ふん。まったく世話を焼かせる。ギリギリまで神の座に片足を突っ込んでおきながら、結局は泥臭い冒険者の道を選ぶとはな。バカ主が』


 エムが呆れたように、でもどこか嬉しそうな気配を隠せずに、漆黒の夜翼を揺らした。影が、俺の足元を力強く支える。


『当たり前だろ! ルークはオレたちのルークなんだからよ! 神様なんかになってたまるか!』


 ヴァルが、俺の肩で赤い炎をパチパチさせて笑う。熱いけど、この熱さが今の俺には必要だ。


『そうですとも。カビの生えた理など、我が王には不要。風は、あなたの自由に吹く軌跡こそを愛しております』


 フィオが翠の羽ばたきで、淀んだ泥の匂いを吹き飛ばす。その風は、どこまでも澄んでいて。


『まったく。心臓が縮む思いでしたよ。あなたが溶けてしまうかと』


 ラグがため息をつきながら、水の雫を俺の頬に飛ばしてくる。冷たくて、気持ちいい。


『若造、よく踏ん張った。地の底まで沈むような魂ではなかろうて』


 オルドの重々しい声が、足元の土をしっかりと固める。反転した重力の中で、ここだけが俺の確かな居場所だ。


『……ええ。あなたの帰る場所は、あちら側ではなく、こちら側です』


 フロスが、冷たい息を吐きながらも、どこか誇らしげに目を細めた。凍りつくような冷気が、右腕の熱を心地よく冷ましてくれる。


『ビビッと来たぜ旦那! さぁ、ド派手なお出迎えと行こうぜ!』


 アルクが紫電を放って、俺の周りでぐるぐると飛び回る。


「……お前ら、ほんとうるせえ家族だな」


 でも、そのやかましさが、今の俺にはたまらなく心地よかった。ひとりで全部背負うなんて、俺には似合わない。


 パリィィィィンッ……!!


 頭上の空間が。分厚い次元の壁が、ついに耐えきれなくなって、巨大なガラス細工みたいに砕け散った。


「うおっ!?」


 眩しすぎる。純白の光の奔流。その中から、星空を溶かしたみたいな銀色の髪が、フワッと広がって。


「ルーク!」


 名前を、呼ばれた。間違いなく、俺を呼ぶ声。


 ドンッ、と。胸に、柔らかな、だけど確かな重みが飛び込んできた。思わず、後ろに数歩たたらを踏む。


「ぐっ……おま……!」


 腕の中に、エリシアがいた。少し震えてて。でも、その両手は俺の背中をギュッと、絶対に離さないってくらい強く掴んでる。温かい。神様の冷たい玉座なんかじゃ絶対に味わえない、生きた命の熱。その温もりが、俺の意識を、完全にここへ——この泥臭い現実へと引き戻してくれた。


「お前、なんでここに……無茶しやがって」


 驚いてるはずなのに、口をついて出た声は、不思議なくらい落ち着いてた。笑みが、自然にこぼれる。星の民として覚醒したからって、そんな簡単に次元の壁なんて超えられるわけがない。どれだけ無茶な祈りを重ねたんだよ。


「無茶じゃありません。……約束、したじゃないですか。シチューを、食べるって」


 エリシアが、俺の胸に顔を埋めたまま、くぐもった声で言う。


「あー、ずるい。そんなこと言われたら、何も言い返せねえじゃん」


 俺は彼女の背中をポンポンと優しく叩いた。王都に置いてきたってのに、わざわざ次元の壁をぶち抜いて追ってくるなんて。どんだけ規格外の執念だよ。


「わふぅぅぅん!」


 ドスッ。エリシアの背後から、さらに巨大な黄金の塊が降ってきて、俺の横っ腹に激突した。


「ぐはっ……おま、フェデ、重いって!」


 尻尾をちぎれんばかりにブンブン振って、顔中をペロペロ舐め回してくる。霊導銀の装甲が泥だらけだ。


「わかった、わかったから! 顔舐めるな!」


 王都の広場で気絶したオスカー副団長やアウストレアのおっさんたちを護るために置いていかれたのがよっぽど寂しかったのか。それとも、次元の裂け目を越えるのが怖かったのか。クゥン、クゥンって甘えた声で鼻を鳴らしながら、俺とエリシアに力いっぱい体を擦り付けてくる。でも、フェデのやつ、地上に残してた半身と合流したせいか、毛並みの光が前よりずっと強くなってる気がする。


『あーっ! でか犬! ルークはオレが先だぞ! どけ!』


『もふもふさーん! えりちゃんも、よく来たねぇ!』


『やれやれ。これでまた、騒がしくなりますね。頭が痛い』


『賑やかなのは、風通しが良くていいことです。澱むよりは』


『主よ。少しは威厳というものをだな……』


 精霊たちが、フェデの背中に乗ったり、エリシアの周りを飛び回ったりして、大騒ぎを始めた。


 無限回廊の底。魔王アビスの悪意がぎっしり詰まった、絶対の絶望の空間のはずなのに。俺の周りだけ、なんか近所の原っぱでピクニックでもしてるみたいな空気になってる。光と闇の大精霊がいて、六上位精霊が揃ってて、おまけに星の民と世界樹最上位霊獣だ。こんなデタラメな戦力、魔王だってドン引きするレベルだろ。


「……最強のパーティ、再結成ってわけだな」


 俺の言葉に、エリシアが顔を上げた。星空を映した瞳。泣きそうに揺れてるけど、その奥には絶対に折れない強い光がある。


「おかえりなさい、ルーク」


「ああ。ただいま」


 右腕の冷却グローブのベルトを、ギュッと締め直す。星霊剣アストラの鞘を、左手に持ち替えた。


 フェデがブルブルッと体を震わせて、毛並みについた泥を吹き飛ばし、凛々しく俺の隣に並ぶ。エリシアも、手の中で星光の剣を淡く輝かせて、スッと立ち上がる。八柱の精霊たちが、俺たちの背後に色とりどりの光の輪を作った。


 もう、迷いはない。


「前世の記憶がどうのとか、理がどうのとか、そんなもんは全部、俺たちでぶち壊す」


 俺は俺のやり方で、このいけすかない泥沼を大掃除してやる。目の前には、まだ薄暗い通路が続いている。だけど、さっきまでのどうしようもない閉塞感は、もうどこにもない。光が、道を照らしている。


「さぁて」


 俺は、一歩。泥だらけの地面を、力強く踏みしめた。その靴音は、深淵の底に、やけに明るく響き渡った。


「行くぞ、お前ら。元凶の石頭を、かち割りにな」

「はい。どこまでも、お供します」

「わふっ!」


 エリシアの静かな声と、フェデの頼もしい吠え声が響く。


 魔王アビスが眠る、世界の最深部。そこへ向けて、俺たちはもう一度歩き出した。歩幅は前よりずっとでかくて、軽い。どんな結末が口開けて待ってようが、知ったことか。こいつらと一緒に帰る。帰って、マルタさんの煮込んだシチューを腹いっぱい食うんだ。それだけで十分だ。


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