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第259話  門の閉鎖と祈り

 ズズゥゥゥン……ッ。


 おなかの底じゃない。もっと深い場所。魂の根っこみたいなところを、ぐらぐらと揺さぶる音だった。


 フェデのあたたかい毛皮に、ずるずると体を預けていた。限界の向こうから引きずり出していた力が、ため息みたいにしゅぅっと抜けていく。星空の色をしていた髪が、すうっと元の白金色に戻る。指先ひとつ、うまく動かない。


 王都中央広場の奥に、それはあった。


 ついさっきまで、空ごと引き裂くみたいに口を開けていた巨大な紫色の渦。『深淵の門』。あれが今、見えない誰かに力いっぱい押し戻されるみたいに——紫の魔素の粒子がパラパラと崩れて、ギシ、メリメリと、空間そのものが悲鳴を上げながら、ゆっくり縫い合わされていく。


 ルークが向こう側で、供給源をぶった切ったんだ。魔王を孤立させるために。こちらにこれ以上絶望があふれないように。自分から、帰り道を消して。


「閉まる……」


 かすれた声が、じぶんの口からこぼれた。


『おーい! 聞こえるか、エリー!』


 頭のなかに、ノイズ混じりの荒っぽい声が飛び込んでくる。ヴァルだ。


『へっ。こっちの蛇口はしっかり締めてやったぜ!』


『空間のほころびは、わたくしの風で縫い留めました。……我が王、あとは進むのみです』


『ふぉっふぉっ。地盤は儂ががっちりと固めたわい』


『熱暴走も、わたくしの氷で塞ぎました。とても静かですわ』


『エリー様、そちらの癒やしはお任せしますね』


『オレの雷で退路もぶっ飛ばしたぜ! 旦那、あとは親玉の顔面をビビッとぶん殴るだけだな!』


 フィオの声、オルドおじいちゃん、フロス、ラグ、アルク。みんな、門の向こう側にいる。


『……うるせぇな。頭に直接響くんだから、少し黙れって』


「ルーク!」


『お、エリーか。空間がねじ曲がりまくってて、通信状態マジでギリギリみたいだけどな』


「バカッ! ひとりで勝手に行って!」


『痛ぇな、念話で怒鳴るなよ。……そっち、オスカー副団長殿は無事か?』


「うん、ちゃんと……フェデが守ってくれてる」


『ならよかった。あの不器用でクソ真面目な元上官殿に伝えといてくれ。一介の訓練生にやっかい事押し付けやがって、説教は帰ってから聞く。あと今回の残業代の申請、絶対ハンコ押せよってな』


「……うん。でも、ルーク!」


『じゃ、俺はこれからちょっと、一番やっかいな大掃除してくるわ』


「絶対に——生きて帰ってくるって、約束して!」


『……ああ。マルタさんのシチュー、食わねぇと割に合わねぇからな』


 プツン。


 ノイズが、唐突に切れた。


 門が、ほとんど閉まりかけている。そのとき。


「ルッくん! ひとりでぜんぶかぶる気だ!」


 小さな天使の姿のセラちゃんが、パタパタと羽をばたつかせた。


「あのバカ主……! 俺たち光と闇の大精霊をこっちに残して、勝手に扉を閉めようとしやがって!」


 黒猫の姿から青年に戻ったエムくんが、漆黒のローブを揺らして舌打ちをする。


「セラちゃん、エムくん!?」

「エリーちゃん、ごめんね! わたしたち、やっぱりルッくんと行く!」

「先代の尻拭いは終わった。あとは俺たちが、あのバカの背中を叩きに行ってくる! エリシア、ここは任せたぞ!」


 二人は顔を見合わせて、にこっと笑った。それから——光と闇の粒子になって。二筋のすきとおった流れが、閉まりかけの門の最後の隙間へと猛スピードで滑り込んでいく。


「待って……!」


 ドォォォォォン……ッ!!!


 手を伸ばした直後、残っていた最後の隙間が閉ざされた。深淵の門が、この世界から、跡形もなく消えた。紫色の瘴気が行き場を失って、霧みたいに空の彼方へ散っていく。


「……みんな、行っちゃった」


 つながりが、切れた。


 精霊たちのにぎやかな声も。あたたかくて、ちょっと猫背な彼の気配も。完全に、遮断された。ルークだけじゃない——八柱の精霊全員が、魔王のところへ。


 静まり返る中央広場。聞こえるのはわたしの荒い息と、フェデの静かな鼻息だけ。


 パリンッ!


 ふいに、巨大なガラスが割れるような高い音が王城全体に響いた。


「え……?」


 空間のねじれが、解けた音だ。魔将たちが張り巡らせていた歪みと分断の結界が、門の消滅とともに弾け飛んだ。


「エリー姐さん! フェデ! 無事っすか!」


 バンッ、と。玉座の間の横の重たい扉が、勢いよく蹴り開けられた。バタバタと騒がしい足音とともに、カインくんとノルンちゃんが飛び込んでくる。


「カインくん、ノルンちゃん……!」


「よかったぁ、エリー様ご無事で……! 王城の別の場所でずっと空間がループしてて迷子だったんですけど、急に道が開けて——あ!」


 ノルンちゃんが息をついてから、広場の脇で倒れている人影に気づく。


「オスカー副団長……!」


 カインくんが駆け寄る。黒炎の魔霊と同化していたあの禍々しい紋様は、もうどこにもない。きれいな、元の人間の肌。ただ、ひどく疲労しきって気絶しているだけだ。


「よかった……息、してるぞ!」


 そこへ。ガラガラッ、と崩落した広場の入り口から、さらに聞き慣れた声が響く。


「おーい! こっちの幻霧も晴れたぞ! そっちはどうだ!」

「まったく、骨が折れる戦いじゃったわい」


 砂埃のなかから現れたのは——泥だらけの獣人のガルナさんと、大きなハンマーを担いだドワーフのバルドランさん。その後ろから、アウストレア総団長の、傷だらけだけど威厳のある姿。


「総団長……! みんなも!」

「アリスちゃん! セレノに、リュシェル様も!」


 アリスちゃんが泣きそうな顔でわたしに駆け寄ってくる。南の戦場でリリスの幻影領域に、北の戦場でバルバの暴食空間に——それぞれ転移させられて完全に分断されていたみんな。魔将たちが倒れて門が閉ざされたことで、空間の隔離がパチンと弾けて元に戻ったんだ。


「お前が泣くなよ、アリス。……まあ、無事で何よりだ」


 セレノがため息をつきながらも、どこかほっとした顔をしている。リュシェル様は静かに目を閉じて、祈るようにしていた。


 みんな、ボロボロで。でも、だれも欠けることなく、ここにいる。


「う、うぅ……」


 呻き声。カインくんに抱え起こされるようにして、オスカーさんがゆっくりと目を覚ました。


「オスカーさん」


 声をかけると、彼はびくっと肩を震わせて、じぶんの両手を見つめた。


 濁流みたいに記憶が戻ったんだろう。じぶんが犯した罪。劣等感に飲まれてアスモルの副将にまで堕ちて、国を、誇りを、仲間を傷つけたこと。じぶんより七つも年下の、ただの訓練生だったルークに、すべてを尻拭いさせてしまったこと。


「私は……なんて愚かな……。己の劣等感という名の毒に飲まれ……」

「もう、いいんです。じぶんを責めないでください」

「だが、ルーカスに……あの訓練生に、すべてを背負わせてしまった。私が弱かったばかりに、あんな得体の知れない暗闘の只中へ……ッ!」


 ギリッ、と唇を噛み締めて。オスカーさんは泥だらけの床に額をこすりつけ、声を上げて泣き崩れた。不器用で、クソ真面目で——だれよりも認められたかっただけの人が。


「……生き恥を晒してでも、立って歩け。オスカー」


 低くて、重くて、聞き間違いようのない声。アウストレア総団長が静かに歩み寄ってきた。


「総団長……私は、セカイジュ騎士団を裏切りました。どんな罰でも……」


「我々はガルドリアの私兵ではない。世界樹を守る超国家機関だ。その誇りを汚した罰なら——あの生意気な野良勇者が、たっぷり用意して待っているはずだ」


 総団長は残った左目で、泥のなかに沈む元副団長を見下ろした。


「お前が泥にまみれても生き抜くこと。それが、あいつが帰ってくる場所を守り抜くということだ。上官としての、最低限の責任だろうが。違うか?」


「……はい。必ず、この命に代えても」


「そうっすよ、副団長」


 カインくんが鼻をすすりながら笑う。


「俺たち、副団長にめちゃくちゃしごかれたお陰で、今日まで生き残れたんすからね。帰ってきたら、また稽古つけてくださいよ」


「カイン……お前たち……」


 だれも、理不尽に命を奪われなかった。よかった。本当に、よかった。


「空が……」


 アリスちゃんが、ぽつりと言った。


 ガルドリアを覆っていた分厚い絶望の雲が割れて——東の地平線から、薄紅色の光がすこしずつ差し込んでくる。夜明け。黎明の光だ。


「勝った……」


 バルドランさんがハンマーを置いた。


「勝ったぞおおおおおッ!!」


 ガルナさんが空に向かって雄叫びを上げる。


「魔王軍が退いた! 門が消えたぞ!」

「俺たちは、生きてる!」


 うねるような歓喜の声が、崩れた王城の壁を越え、外壁へ、国境の平原へと広がっていく。みんなが待ち望んでいた朝。


 勝った。本当に、勝ったんだ。


 わたしは、そっと目を閉じた。


 深呼吸。胸いっぱいに、暁の冷たい空気を吸い込む。でも、胸の奥にはぽっかりと穴が空いたままで——深い疲労と、それ以上の達成感のなかで、わたしの視線はただ一人、西の空へ向けられていた。門が消えた、ただの薄暗い空。


 わたしは胸のまえで、ぎゅっと両手を組んだ。


 祈りの言葉なんてどうでもよかった。教会の定型文も、今のわたしには何の意味もない。ただ、心の底から。


「どうか」


 声に出した。震えていたけど、はっきりと。


「どうか、生きて帰ってきて……わたしのルーク」


 暁の風が頬を撫でて、白金色の髪を揺らす。わたしの祈りは風に乗り、決戦の地へと向かっていった。


 待ってる。ずっと、ここで。あなたが帰ってくる、その時まで。


……そして。閉ざされた門の向こう側。魔王城圏へと突入したルークと八柱の精霊たち。そこは、地面が空に、空が足元にある——重力が完全に反転した、狂気の異界だった——

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