第212話 Zランク(計測不能)の証明
「いきます」
朝の空気が、肌に貼りつくみたいに冷たかった。
エリシアの白い指先が、ぶっとい魔水晶の柱にそっと触れる。その瞬間――目の前が弾けた。真っ白、とは違う。銀だ。透き通って、それでいて重さのある、圧力みたいな銀の光。
「うおっ!?」
「な、なんだこの輝きは……!」
数万の兵士たちの喉から、どよめきが噴き出した。そりゃそうだろう。俺が精霊王としての命をぶち込んで、オスカー上官の呪いを焼き払った結果、彼女は人の枠組みをとっくに外れちまってるんだから。未知の高位種、とでも言えばいいか。うまい言葉が思い浮かばない。
ピピピピピピピピッ!
アウストレア総団長が持ち込んだ軍用霊核計測器の側面で、魔導メーターが悲鳴みたいに点滅する。光の針が、狂い犬みたいに右へ右へと叩きつけられていく。
『うっわ、エリシア嬢ちゃん、すっげぇ霊素量!』
肩の上でアルクがバチバチ火花を散らした。雷のドラゴネットがはしゃぐのも無理はない。
『当然ですわ。ルークさまの純粋な命を宿したのですから。器の質が、根本から作り変えられておりますもの』
小さな人魚のラグが、ふんすっと鼻を鳴らして胸を張っている。誇らしげに、というか、もう半分自分の手柄みたいな顔だ。
Cランク、B、A。そんな区分けを一瞬で置き去りにして。勇者の基準であるSランクの入り口――15,000の壁すら、紙ぺらみたいに突き破った。針はまだ、ぐんぐん上がっていく。
「おいおい……もう二万を超えたぞ!?」
カインが口を開けたままフリーズしてる。
「あら〜。メーター、壊れちゃいそうですねぇ」
狐耳のノルンは、のんびりした声で目だけ丸くしていた。こういうときに慌てないのがコイツの面倒なところだ。
20,000、25,000。分厚い水晶がギシギシと軋み始める。生き物みたいに、嫌がってる。
「まだ……まだ上がるのか」
ピタリ、と。
上限ギリギリのところで、ようやく針が止まった。水晶の表面に、青白い数字が浮かび上がる。
【計測値:29,800】
「なっ……二万九千八百、だと!?」
記録係の騎士が羽ペンを取り落とした。声がひっくり返って、もう一度ひっくり返ってる。
「勇者の基準値の、ほぼ倍……!?」
しん、と静まり返っていた平原が、次の瞬間には地鳴りみたいな歓声に包まれた。単独で小さな国の軍隊をまるごと消し飛ばせるバケモノ数値が、今この瞬間、自分たちの陣営にいる。絶望に染まりかけていた兵士たちの顔に、強烈なものが戻ってきた。希望、という言葉じゃ軽すぎる何かが。
「ルーク」
歓声のなかで、エリシアが振り返った。星空みたいな碧い瞳。銀髪が、風にさらりと揺れる。
「これが、あなたが私にくれた力。……絶対に、無駄にはしません。この光で、必ずオスカー様を――」
「ああ。頼りにしてるぜ、遊撃手。お前の銀の弓で、あの大馬鹿野郎の目を覚まさせてやってくれ」
俺が笑うと、彼女は力強く頷いた。もう、守られるだけの存在じゃない。背中を預けられる相棒だ、今は。
「さて。見事な数値だ、勇者殿。これで兵たちの不安も少しは和らいだだろう」
アウストレア総団長が、満足げに片目を細めた。そして、鋭い隻眼がゆっくりと俺に向けられる。
「次は、お前の番だ。ルーク」
ゴクリ、と。周囲の兵士が一斉に息を呑む音が、波みたいに広がった。
「あー……その、総団長。これ、いくら軍用でも壊したら弁償とか無しですよね? 俺、借金背負って冒険者とか絶対に嫌なんですけど」
頭をかきながら聞いてみると、アウストレアはこれ以上ないくらい凶悪な笑みを浮かべた。
「無論だ。手加減は無しだぞ。……もし針を抑えようなどという小細工をすれば、その場で斬る」
冗談に聞こえないのが、この人の怖いところだ。
「わかってますって」
隠蔽なんて、もうしない。スローライフを守るために必死こいて霊素を絞ってたあの頃が、遠い昔みたいに思える。アストラの封印を内側から緩めている今、俺の身体からは精霊王としての力がダダ漏れになっている。嘘の顔で笑う必要も、もうない。
それに――俺が力を隠し続けたことが、あの人を追い詰める一因になっちまったんだ。
王族としての重圧、誰にも認められない孤独、届かない想い。そんなドロドロしたものを全部抱えたまま、オスカー上官は魔王軍の副将に堕ちた。厳しく剣の型を叩き込んでくれた、あの不器用でクソ真面目な背中は、今はもう黒炎の鎧に覆われている。友達でも何でもなかった。ただの訓練生と上官、それだけだ。だけど、見過ごせない。誰よりも泥臭く戦ってたあの人が、あんな形で壊れていくのを、黙って見ていられるか。
だったら。出し惜しみする理由なんて、どこにもない。
あの絶望的なまでに分厚い黒炎をぶち抜くための、圧倒的な「安心」を、ここに叩きつけてやる。
『いけいけー! ルーク、ド派手にぶっ壊しちまえ!』
赤い子狐のヴァルが、俺の肩で尻尾をぶんぶん振って煽ってくる。
『我が王よ。あなたの本当の風を、彼らに見せてやりなさい。恐れることはありません』
緑の小鳥、フィオが恭しく羽を広げた。
『うむ。地を揺るがすほどの重み、見せつけるがよい、おやかた。それが上に立つ者の役目じゃ』
鉢植えを乗せた土のゴーレム、オルドが重々しく頷く。
『……ええ。ルーク様。あなたの冷たい怒り、そして熱い覚悟を、可視化するときです』
氷の雪ウサギ、フロスが静かに、だけど熱を込めて言う。
「わふっ!」
足元でフェデが力強く吠えた。霊導銀の装甲が、朝の光を跳ね返してる。
「……ああ。わかってるよ、お前ら」
ちいさく息を吐いて。俺は、冷たい水晶柱の前に立った。
『おい、見ろよ。あの野良勇者の兄ちゃん……』
『勇者様を超える数値なんて、ありえるのか……?』
兵士たちの視線が、針みたいに突き刺さってくる。オスカー元副団長。あんたが命がけで守ろうとした連中は、今こんな顔をしてるぜ。不安で、怖くて、それでも希望にすがりたくて。
「……ふぅっ」
右手をゆっくりと持ち上げ、水晶の表面にペタリと押し当てる。せき止めていたダムのゲートを、全開にするイメージ。放出。
キィィィィィィィン……ッ!!
触れた瞬間。耳をつんざくような、甲高い悲鳴が響き渡った。
「な、なんだ!?」
「水晶が、鳴いてる……!?」
カッ! と、目を開けていられないほどの閃光が弾けた。銀色じゃない。炎の赤、水の青、風の緑、土の茶、氷の白、雷の紫。全部が混ざり合って、純白の――いや、星空そのものみたいな、底知れない光。精霊王の核から漏れ出す、世界樹の理そのものが、狭い水晶に無理やり押し込まれていく。
ギュイイイイイイイン!
計測器の側面に刻まれた魔導回路が、赤熱して煙を上げ始めた。光の針が暴走する。10,000、20,000、そして――
「さ、三万の限界点を、勢いよく振り切ったぞ!?」
記録係の騎士が絶叫した。針は30,000の目盛りをガンッと叩き、それでも止まらず、メーターの枠を物理的にぶち破る勢いで高速回転を始めた。
ガチガチガチガチッ!
「あー……ヤバいな、これ。制御とか、そういう次元じゃねぇ」
俺が手を離そうとした、そのとき。
ピキッ。
水晶の奥深くに、致命的な亀裂が走る音。身構える間もなく。
バリンッッッ!!!
鼓膜が破れるかと思うような爆発と共に、巨大な水晶柱が内側から粉々に砕け散った。
「うわぁっ!?」
「伏せろ!」
飛び散る破片と、基盤からモクモクと立ち昇る真っ黒な煙。
しーん……。
さっきまでざわめいていた平原が、水を打ったように静まり返る。誰も言葉を発しない。黒煙を上げる「元・計測器」の残骸を、みんなただ呆然と見つめているだけだ。カラカラ、と。虚しく転がる歯車の音だけが、やけに響いた。
ホログラムの表示盤だけが、バグったように空中に文字を映し出している。
【判定:計測不能】
【推定ランク:Z(規格外)】
「……マジかよ」
カインが、ぽつりと漏らした。双剣を握る手が、だらんと下がっている。
「あはは……やっぱり、こうなっちゃいましたねぇ」
ノルンが困ったように笑いながら、狐耳を掻いている。
「ルーク……あなたって人は、本当に……」
エリシアが呆れたような、でも、どこか誇らしげなため息をついた。
俺は真っ黒に焦げた手をパンパンと払いながら、ゆっくりと振り返る。
「……軍用機すら、壊すか」
沈黙を破ったのは、アウストレアの獰猛な笑い声だった。
「はっはっは! 傑作だな! 騎士団が誇る30,000の特級品が、数秒も保たずに木端微塵とは!」
腹の底から笑っている。その隻眼には確かな熱と、狂気じみた喜びが宿っていた。
「もはや、人の物差しでは測れんということだな。……見事だ、ルーク・ヴァレリオ」
紛れもない、神域の力の証明。魔王に対抗しうる、唯一無二の理外の存在。
兵士たちは、まだ事態を呑み込めていないようだった。畏怖。興奮。混乱。ピンと張り詰めた空気のなかに、色んなものが渦巻いている。
俺は、まだ煙を上げている残骸を背にして、兵士たちの前に立った。全員の視線が集まってくる。頭をがしがしと掻いて、背中のアストラを天に掲げる。言葉なんて飾る必要はない。ただ、ありのままをぶちまけるだけだ。




