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第211話  オスカーへの手紙

 カリッ、カリッ。


 ちびた羽ペンが、安物の羊皮紙をひっかく。その乾いた音だけが、薄暗い天幕のなかにやけに大きく響いてた。頼りなく揺れる、小さな蝋燭の炎。ため息ひとつついて、俺は何度目かもわからない斜線を、力任せにひっぱった。


「……違うな。こんなんじゃ、薄っぺらすぎて反吐が出る」


 宛名は『オスカー・ヴァルド・ガルドリアン副団長殿』。


 いや、もう副団長じゃないか。魔王軍の副将なんだから、この書き出しからして、もうズレてる。でも俺にとっては、やっぱりあの人だ。剣の型を厳しく叩き込んでくれた、不器用でクソ真面目な上官。七つも年上の、完璧な王子様を演じようとして、誰よりも泥臭く前線で戦って。そしてひとりで勝手に、壊れちまった人。


『腰が浮いてるぞ、ルーク! もっと地面を掴め!』


 泥まみれになりながら怒鳴ってた姿が、まだ目の奥に焼き付いてる。


『……何書いてるのさ、ルーク殿。恋文?』

「んなわけねーだろフィオ! 見ろよこの字、ミミズがのたうち回ったみたいだぜ!」

『ヴァル、あんたは黙ってなさい。ルークさま、集中してるんですから』

『おうおう、朝っぱらからシケた面すんなよ、旦那!』


 肩と机の端に乗り移って、精霊たちが勝手なことを言い始める。緑の小鳥姿のフィオが小首を傾げ、赤い子狐のヴァルがゲラゲラ笑い、小さな人魚のラグがそれをたしなめる。雷のドラゴネット、アルクはパチパチ火花を散らした。


「恋文じゃないっての。ただの……なんていうか、説得のカンペ?」

『説得のカンペって……。ルークさま、それ本気で言ってますの?』


 ラグが呆れたように言う。羊皮紙には、恥ずかしくなるくらい真っ直ぐで、幼稚な言葉が並んでた。


『戻ってきてください、副団長』

『また、マルタ婆さんのシチュー、みんなで食いましょう』


 たったそれだけ。こんな簡単な言葉をひねり出すのに、どんだけ時間を無駄にしたんだろうな。


『おやかた。あやつは、己の意志で重い岩戸を閉めてしもうた。外からのノックなど、もはや聞こえんじゃろうて』


 鉢植えを乗せた土のゴーレム、オルドが重々しくため息をつく。


『……ええ。氷のように凍りついた劣等感は、生温かい言葉では決して溶けません。逆に、より分厚く凍らせるだけです』


 フロスが耳をピクピクさせながら、残酷なほど正確な事実を突きつけてくる。


『だったらよ! オレたちの雷で、脳天からガツンと叩き割ってやるしかねぇだろ! なぁ、旦那!』


 アルクが肩の周りをバチバチと飛び回りながら、嬉しそうに火花を散らした。


「わふぅ……」


 足元で丸まっていたフェデが、鼻をすんすんと鳴らして俺の膝に重たい頭を乗せてくる。琥珀色の瞳が、じっと俺を見上げてた。


「……お前も、アルクと同意見か」


 わかってる。痛いほど、わかってるんだ。オスカー副団長は、言葉なんてものをとっくの昔に信じられなくなって、あのドロドロの闇に落ちていった。完璧な王子。完璧な副団長。誰よりも前に立って、誰よりも分厚い盾になろうとして——結果、全部ひとりで抱え込んで、ひとりで勝手にぶっ壊れた。


 俺が力を隠して、ただのDランク冒険者なんてふざけたお面を被ってたせいもある。あの人の血を吐くような努力を、わけのわからない理不尽な才能ってやつで、無自覚に踏みにじっちまったんだから。


 だから今さら、こんな紙切れ一枚で。下っ端が「戻ってこい」だなんて——傲慢にもほどがあるよな。


「……言葉じゃ、届かないよな。もう」


 羊皮紙を手に取り、その端を蝋燭の火に近づける。じり、とちいさな音を立てて、紙が焦げた。オレンジ色の炎が、俺の書いた情けない文字をゆっくりと舐め尽くしていく。熱が指先に迫って、ふっと息を吹きかけた。ボロボロに崩れた灰が、天幕の隙間から吹き込んできた冷たい風に乗って、闇のなかへ消えていく。


 行動と、痛み。今のあの人に届くのは、きっとそれだけだ。


「待ってろよ、オスカー副団長。全身全霊で、ぶつかってやる」


 それが、俺なりの——あんたっていう不器用な上官に対する、せめてもの敬意だ。薄っぺらい感傷なんて捨ててやる。これは決別。次に会うときは、敵として。そして、必ず引きずり戻すための、本気の殺し合いだ。


「よし、フェデ。行くぞ」

「わふっ!」


 フェデが立ち上がり、ブルブルと体を揺らす。ドワーフの親方が打ってくれた特注の霊導銀の装甲が、チャキッと鋭い音を立てた。俺はアストラを背負い直し、天幕の幕を乱暴に跳ね上げた。


 外は、もううっすらと白み始めている。凍てつくような黎明の空気が、肺の奥まで突き刺さってくる。


「お、遅えぞルーク! もうとっくに目ぇ覚めてただろ!」


 出るなり、カインの馬鹿でかい声が飛んできた。朝っぱらから剣の素振りなんかしてやがる。額にはうっすら汗まで浮かべて。


「カイン。お前、どんだけ元気なんだよ。これから死地に乗り込むってのに」

「当たり前だろ! 今日はあの大馬鹿な副団長を、思いっきりぶん殴りに行く日なんだからよ! 身体温めとかねぇと、一発で顎カチ割れねぇだろ!」

「……お前、本当にすっかり吹っ切れたな」

「へへっ。悩んでたって、強くなれねぇからな!」


 カインがニカッと笑う。その瞳には、もうかつてのような卑屈な影は欠片もない。上官の背中を追うだけじゃなく、自分の炎を燃やす覚悟が決まってる——そういう目だ。


「ふぁあ……ルークさん、おはようございます〜。朝から暑苦しいですねぇ、カインくんは」


 ノルンが大きな欠伸をしながら、天幕の影からのっそりと現れた。狐耳がぺたんと寝ている。


「ノルン。しっかり寝れたのか?」

「ばっちりですよぉ。教会式の瞑想ってやつで、八時間きっちり熟睡です。おかげで魔力も満タン。いつでもオスカーさんの嫌がる結界、張れますよ〜」


 相変わらず、どこまで本気かわからない緩い口調。でも、その青い瞳の奥には、冷たいほどの覚悟が沈んでいるのがわかる。


「おはよう、ルーク」


 鈴を転がすような、澄んだ声。振り返ると、銀色の髪を風になびかせたエリシアが立っていた。透き通るような肌。深く、どこまでも碧い瞳。俺が命を分け与えたせいで人という枠組みを外れてしまった、高位の存在——でも彼女が手にした、光で編まれた「銀の弓」は、不思議とこの血生臭い戦場に馴染んでいるように見えた。


「おはよう、エリシア。……弓の調子は?」

「ええ、完璧です。風が、どこへ飛ばせばいいか、全部教えてくれるから」


 エリシアは微笑んで、俺の顔をじっと覗き込んできた。


「……どうしたの? 少し、目が赤いけれど」

「あー……いや、天幕のなかで煤が目に入っただけさ」

「そう? ならいいのだけれど。無理はしないでね、ルーク。あなたの背中は、私が守るから」

「頼もしいね。でも、俺もお前を守るよ。……絶対に」


 エリシアが、ふふっとちいさく笑う。なんだろうな、この空気。これから魔王軍のど真ん中に突っ込むってのに、妙に落ち着いている。


 ドドドドドッ!


 地面が微かに揺れた。遠くの方でドワーフの戦車部隊がエンジンを吹かす重低音が響いて、空を見上げれば、エルフの大鷲部隊が旋回し、風を切る音が聞こえる。目の前には、ボロボロになりながらも決して折れていない、ガルドリアとソルミリアの兵士たちが整列し始めていた。セカイジュ騎士団は、超国家機関だ。だからこそ、国という枠組みを超えて、これだけの勢力が集結できた。


「……すごいよな。本当に、全部集まっちまった」


 俺の呟きに、カインが剣を肩に担ぎながら頷く。


「ああ。あの人がずっと欲しがってた景色が、こんな皮肉な形で実現するなんてな」

「だからこそ、見せつけてやらなきゃならないのですよ〜。あなたの理想は、間違ってなかったって」


 ノルンがぽつりと言う。その通りだ。俺たちがこれから行くのは、ただの戦争じゃない。あの上官が命がけで守ろうとした世界は、まだ捨てたもんじゃないって——それを証明するための、意地の張り合いなんだ。


 ザッ、ザッ、ザッ。


 重たく、それでいて迷いのない足音が近づいてきた。振り返るまでもない。この圧倒的な気迫。ビリビリと肌を刺すような雷の霊素。


「……役者は揃ったな」


 アウストレア総団長だ。右目を覆う眼帯。砕けた右半身の鎧は応急処置しかされていないのに、そんなことは微塵も感じさせない威圧感がある。


「総団長。……随分と、気合が入ってますね」


 苦笑交じりに言うと、アウストレアは隻眼を細めて、俺たち野良小隊の面々をぐるりと見渡した。


「当然だ。あの大馬鹿者を叩き直すためには、これでもまだ足りんくらいだからな」


 総団長が、ふっ、と短く息を吐く。その手には見慣れない巨大な水晶柱が握られていた。複雑な魔導回路がびっしりと刻み込まれ、中心には世界樹の結晶が鈍く光っている。


「……なんですか、それ。またどっかのギルドから持ってきたんですか?」


 嫌な予感がして、俺は半歩だけ後ずさる。アウストレアは獰猛な笑みを浮かべ、その水晶柱をドンッと地面に突き立てた。


「馬鹿を言え。ギルドの玩具と一緒にされては困る。これは王立魔導院が開発した最新鋭の軍用霊核計測器だ。測定上限は30,000。魔将クラスすら正確に測れる特級品だぞ」

「30,000……」


 カインが息を呑む。普通の騎士が5,000とかその辺りなんだから、とんでもない桁だ。


「ルーク」


 アウストレアの声が、一段と低く、重くなった。


「兵士たちは、お前の力を噂では知っている。西の砦で魔獣を消し飛ばしたことも、な。だが、この目で見たわけではない」


 隻眼が、俺を真っ直ぐに射貫く。逃げ場なんて、どこにもない。


「これから我々が挑むのは、常識が通用しない絶望の底だ。兵士たちの心にある不安を完全に払拭し、士気を極限まで高めるために——」


 総団長が、計測器を指差す。


「証明しろ。お前たちが、魔王軍と対等に渡り合える『理外の存在』であることを」


 ……また計測かよ。グレイウッドのギルドで水晶を白濁させてぶっ壊したトラウマが、じわりと蘇りそうになる。でも今はもう、あのときみたいに「ただのDランクでいたい」なんて甘えたことを言ってる状況じゃない。力を隠して、周りを騙して、結果的に上官をあんなとこまで追い詰めちまったんだ。だったら。出し惜しみする理由なんて、どこにもないよな。


「……わかりました。でも、手加減は、無しでいいんですよね?」


 俺が尋ねると、アウストレアはこれ以上ないくらい凶悪に笑った。


「無論だ。壊すつもりでやれ」


 ちいさく息を吐いて、フェデの頭をぽんぽんと撫でる。アストラの鞘を背負う背中に、じわりと熱が集まってくるのがわかった。精霊王の核が、世界樹の理が、身体の内側で激しく脈動を始める。


「じゃあ……いっちょ、やりますか」


 まずは、エリシアからだ。彼女が静かに前に進み出る。冷たい水晶柱へ向かって、その手がすっと伸ばされた。


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