第210話 全軍集結
【第4部】 西方大戦編(戦争と決着)スタートです。
夜明け前の空気は、なんでこんなに冷えるんだろう。
鉄と泥、それからかすかな草の匂い。肺の底まで凍りつくみたいで、息を吸うたびに胸の奥がひやりとする。空はまだ群青色で、星がいくつかだけ、頼りなさげに残っていた。
グレイウッドから西へ向かう国境の平原。かつては交易の馬車が行き交っていたはずの場所が、今は張り詰めた静寂に飲み込まれている。遠くの地平に霧がへばりついていて、その奥に何があるかは、まだ見えない。
「……震えてるのか、ルーク」
隣から声がした。銀色の髪が、風にふわりとなびく。エリシアだ。
以前の白金色の髪も好きだったけど、今の彼女はなんというか……月光をそのまま糸に紡いだみたいに透き通っている。瞳の碧さも、前よりずっと深い。俺が命を分け与えたせいでお互い人間辞めちゃったコンビ、それが俺たちなわけだが、彼女が握る「銀の弓」の弦が微かに鳴った音を聞くと、不思議と腹が据わるんだよな。
「寒さのせいだよ。……と言いたいとこなんだけど」
苦笑しながら、右腕をさする。アストラの鞘を握る手が、確かに少し震えていた。武者震い、とは少し違う。これは「重み」だ。背負っているものの大きさに、身体のほうが先に悲鳴を上げている。
俺たちの後ろには、ソルミリア王国の正規軍が整列している。きらびやかな近衛兵だけじゃない。槍を持った一般兵、後方支援の荷駄隊、そしてその奥に、アウストレア総団長が率いるセカイジュ騎士団の生き残りたち。ボロボロの鎧、欠けた剣、包帯だらけの身体。でも、誰一人として俯いていない。あの「雷神」みたいな総団長が、右目を失ってもなお、先頭で仁王立ちしているから。
『オイオイ、ルーク。シケた面すんなよ』
懐から、赤い毛玉が顔を出した。ヴァルだ。こいつ、俺の服の中で暖を取りやがって。
『これからド派手な喧嘩に行くんだろ? 燃えていこうぜ、燃えて!』
『うるさいですわよヴァル。暑苦しい』
反対側のポケットから、雪ウサギ姿のフロスが長い耳でヴァルの鼻先をぺしっと叩く。
『……風向きは悪くない。追い風だ』
肩の上で、小鳥のフィオが翼をたたんだ。精霊たちの軽口に、少しだけ肩の力が抜ける。そうだよな。俺一人じゃない。こいつらがいる。フェデがいる。
「わふっ!」
足元で、黄金の装甲をまとった巨大な犬――フェデが鼻を鳴らした。視線は北の方角に向いている。地面が、揺れている?
ズズズズズズ……。
最初は遠雷かと思った。違う。もっと重くて、硬い音だ。地響きが足の裏から内臓へじわじわ伝わってくる。
「……おいおい、マジかよ」
カインが口を開けて、北の丘を指差した。朝霧を切り裂いて現れたのは、動く「鉄の塊」だった。いや、塊じゃない。戦車だ。煙突から蒸気を吹き上げて、キャタピラのような足回りで地面を噛み砕きながら進んでくる、鋼鉄の要塞。その先頭車両の天辺に、巨大なハンマーを担いだ赤ヒゲの影が見えた。
「ガハハハハハ! 待たせたのう若造ども!!」
ドワーフの鍛冶王、ハルドだ。平原中にビリビリ響く大声は、拡声の魔道具のせいなのか地声なのか、もう判断がつかない。
「グラナイト・クラウンの山から、とっておきを持ってきたわい! 鉄を食う魔族がおるなら連れてこい! 腹いっぱいハンマーを食わせてやるわ!」
後ろに続くのは、重装甲に包まれたドワーフの戦士団。その数、千じゃきかない。山に引きこもっているはずの彼らが、国境を越えてここまで来た。
『ほう、ドワーフの連中もやるではないか。あの鉄車、土の精霊を動力に組み込んでおるな』
土の精霊オルドが、感心したように低い声をあげる。
『土いじりは儂らの領分じゃが、あやつらの「形にする執念」は嫌いじゃないわい』
「すごい……。本当に来てくれたんですね」
ノルンが狐耳をピコピコさせながら、静かに息を飲んだ。教会とドワーフって、教義的に仲悪いんじゃなかったっけ。そんなの、もう関係ないらしい。
と、思ったら今度は東だ。
キィィィィィーン……!
空気が裂けるような高音が、頭上から降ってくる。全員が一斉に空を見上げた。朝日を背に、無数の「影」が滑り込んでくる。鳥じゃない。あれは――。
「アルジェイル……!」
誰かが叫んだ。翼を広げれば五メートルはある鷲型霊獣アルジェイルの群れ。その背に跨っているのは、緑のマントを翻すエルフの射手たちだ。編隊を組んで風に乗る姿は、戦場に似合わないほど美しかった。
先頭の純白のゼファ・アルジャリオンから、一人のエルフがひらりと飛び降りた。音もなく着地したのは、ルナヘルムの防衛隊長ラファエル。人間嫌いで有名な男が、真っ直ぐにこっちへ歩いてくる。
「勘違いするなよ、人間。我々は森を守るために来ただけだ」
口調はいつも通りとがっている。だけど、視線がエリシアに向いた瞬間、その目がふっと静かに細まった。
「……それに、我らの『星』が行く道を、暗いままにしておくわけにはいかんだろう」
エリシアが嬉しそうに微笑んで、頭を下げる。上空ではアルジェイルたちが旋回し、風の精霊たちが歓喜の声を上げていた。
『あらあら、賑やかですこと』
水精霊ラグが俺の襟元から顔を出して、くすくす笑う。
『陸に山に空。これだけ集まると、霊素の流れがごちゃ混ぜで目が回りそうです』
『だはは! いいじゃねぇか! ビリビリくるぜ!』
雷精霊アルクがバチバチと火花を散らしながら飛び回る。
北からドワーフの重戦車部隊。東からエルフの空軍。中央に、人間の騎士団と軍隊。
三種族の連合軍。教科書の中の「伝説」が、今、ここにある。かつてオスカーが夢見て、政治と利権と感情の壁に阻まれ、どうしても実現できなかった景色。「世界を守るためには、みんなが手を取り合わなきゃいけない」。酒に酔った夜、あいつが悔しそうにこぼしていた理想論。
それが、皮肉にも。
あいつが「敵」になったことで、実現しちまった。
(……見ろよ、オスカー)
心の中で、西の空に向かって語りかける。魔素の雲が分厚く垂れ込める、あっち側へ。
(お前が欲しかったものは、ここにあるぞ。お前一人のために、世界中が動いたんだ)
胸の奥が焼けるように熱い。これがあいつの人徳なのか、世界の危機が呼び込んだ必然なのか。どっちでもいい。今ここに「力」が集まった、それだけが重要なんだ。
「……みんな、ありがとう」
自然と、言葉が漏れた。俺なんかの声じゃ、この喧騒には届かないかもしれない。でも、隣にいたカインがニッと笑って、俺の背中を叩いた。
「礼を言うのは早ぇっての! これからが本番だろ、相棒!」
「……ああ。そうだな」
そう。これからだ。感動して終わってる場合じゃない。この巨大な力を束ねて、魔王軍っていう理不尽な暴力に叩きつけなきゃならない。
ザッ、ザッ、ザッ。
重たい足音が近づいてくる。総団長アウストレアだ。隻眼の顔には鬼気迫るものがあるが、どこか憑き物が落ちたような清々しさも宿っていた。俺とエリシア、カインを見回し、それから視線を連合軍全体へと向ける。
「……役者は揃ったな」
その声は、雷鳴の前の静けさみたいに、低く、重く、平原に落ちた。
「全軍に通達! これより作戦の最終確認を行う!」
魔導拡声器を通じた声が轟く。ドワーフのエンジン音が止まり、エルフの鷲たちが静かに枝に降りる。数万の視線が、一点に集まった。
「我々の目的は、ただ一つ! 魔王軍に占拠された王都ヴァルドンガルドの奪還! そして――」
一瞬、言葉が切れた。
たったそれだけの間に、俺たちの心臓が早鐘を打つ。
「奪われた同胞を、連れ戻すことだ!!」
うおおおおおおおおおおッ!!
地響きのような歓声が平原を揺らした。「同胞」。そこにいた誰もが知っている名前。オスカー・ヴァルド・ガルドリアン。裏切り者? 魔人? 知ったことか。ここにいる連中はみんな、あいつがどれだけ馬鹿正直に国を守ろうとしていたか、知ってるんだ。
『へっ、人間どもも熱くなりやがって』
ヴァルが俺の肩でニヤリと笑う。
『ルーク、お前も準備はいいか? アストラの機嫌はどうだ?』
背中の剣に意識を向ける。古びた鞘の中で、星の光が静かに、けれど激しく脈打っているのが分かる。特訓の成果か、この場の熱気に当てられたのか。今までで一番、剣とのパスが繋がっている気がした。
「ああ。……いつでもいける」
アストラの柄に手をかけた。まだ抜かない。抜くのは、あいつの前だ。
「ルーク」
アウストレア総団長が俺を呼んだ。その手には、見たことのない形状の水晶柱が握られている。複雑な魔導回路が刻まれた、軍用の機器だ。
「兵士たちは、お前の力を噂では知っている。だが、見たことはない」
隻眼が、俺を射抜く。
「不安を払拭し、士気を極限まで高めるために――証明しろ。お前たちが、魔王(あっち側)と対等に渡り合える『理外の存在』であることを」
ニヤリと、獰猛に笑った。
「こいつは最新鋭の軍用霊核計測器だ。測定上限は30,000。ギルドの玩具とはわけが違うぞ?」
……また測定か。トラウマが蘇りそうになるが、今はそんなことを言ってる場合じゃない。フェデの頭を撫でて、一歩前へ出た。エリシアも、静かに頷いて横に並ぶ。
「……分かりました。手加減は、無しでいいんですね?」
「無論だ。壊すつもりでやれ」
息を吸い込む。肺の中の冷たい空気が、霊素の熱で温められる感覚。スローライフのために必死で隠してきた力を、今、全部さらけ出す。もう隠す必要なんてない。友達を助けに行くのに、遠慮なんていらないんだから。
東の空から、太陽が完全に顔を出した。
その光が、俺たちの影を西へ――魔王軍の待つ闇の方角へと、長く、長く伸ばしていた。




