【おまけ】風が運ぶ天秤、そして反撃の号砲
「……かたいなぁ、もう」
ギルドの仮眠室のベッド。いつ寝ても背中が痛い。毛布をぎゅっと引っ張っても、すきま風が首筋を撫でていく。外から、ガシャン、ゴロンって、重たい鉄がぶつかる音がする。馬のいななき。グレイウッドの街、全体がピリピリしてる。弓の弦をギリギリまで引っ張ったみたいな、そんな空気。
王都が落ちて、ルークさんたちがボロボロになって逃げ帰ってきてから数日。今日、あの濁った赤黒い西の空へ、反撃に出る。受付嬢のあたしにできること。あたたかいシチューを用意して、笑って手を振るくらい。そう思ってたのに。
深い、深い緑の水底。そこに、意識がずぶぶっと沈んでいく。
『……聞こえますか。星の欠片の娘よ』
あ、これ。いつもの夢じゃない。頭の芯のところで、ざわざわ、葉っぱが風に揺れる音がする。見上げると、枝の先が星空に届きそうなくらい、とんでもなく巨大な大樹。
「世界樹……さま?」
夢の中なのに、声が出た。遠いご先祖様が巫女だったってだけで、ただの受付嬢のあたし。なんで。
『人の作った硝子の器が、間もなく砕け散ります』
「器が、砕ける……?」
『理を測るには、人の物差しはあまりに脆く。けれど、測れぬ暗闇は、人を過剰な恐怖へ突き落とします。ゆえに、視なさい。そして、伝えなさい。世界の本当の重さを』
カッ、と。緑の光がひっくり返って、真っ黒な泥の渦に視界が飲み込まれた。人間の悪意とか、ドロドロした感情。全部煮詰めたような、息が詰まる「闇」。
受付嬢の悲しい性っていうか。相手の強さが、霊核スコアの数値として、脳裏に直接焼き付いてくる。ギルドの羊皮紙に書き写すときの、あの青白い光の文字みたいに。
『深淵の底。すべてを喰らう泥の王。アビス』
――【 180,000 】。
「……は?」
無理。ギルドの機械の限界が三千。王都の特級品だって三万だって聞いてる。
「じゅうはちまん……?」
数字の圧。それだけで、心臓がぎゅっと握り潰されそう。その真っ黒な渦の周り。特大の柱みたいな影が四つ。
『四つの魔将。処刑人ゼロスが三万五千、幻惑のリリスが四万、暴食のバルバが四万八千……そして筆頭たる大精霊の影、アスモルが七万六千』
「うそでしょ……っ」
三万超えが、四匹?人類が束になったって、指先ひとつで消し炭にされるレベル。さらに、その影の端っこで、孤独に燃える黒い炎。
『堕ちた盾。かつて国を背負おうとした、哀れな王子』
「オスカー、元副団長様……」
ルークさんの上官で、不器用なくらい真面目だった人。
――【 38,610 】。
「どうして……っ」
冷たくて痛い数字。誰にも認められない孤独を一人で抱え込んで、光の隣に立つために影に落ちてまで。
『絶望するには早いですよ、娘よ』
暗闇を切り裂くように、眩しい銀色の光が差し込んだ。
――【 29,800 】。
「エリシア様……!」
ルークさんから命を分け与えられて、高位の存在に生まれ変わった彼女。ひとりでこんなに眩しいなんて。
その横には、黄金の巨大な塊。
――【 50,290 】。
「もふもふさん!? うそ、あの子が五万!?」
いつもカウンターで腹見せて、お肉のおねだりしてたのに。魔将より強いじゃないですか。
そして。一番前を歩く、見慣れた猫背。
――【 64,000 】。
「ろくまん……よんせん……」
筆頭魔将に、せまる数字。
『ええ。鞘の隙間から、意図的に力を漏らしているだけの状態』
『もし彼が、完全に枷を外し。精霊王としての理そのものに還ったとき』
ドクン、と。視界が、すべてを塗り潰すような純白に染まった。
――【 146,200 】。
「じゅう、よんまん……ろくせん……にひゃく……っ」
魔王の十八万にすら肉薄する、バケモノみたいな数字。あんな馬鹿げた重さをひとりでずっと背負って、「スローライフがいい」なんて言って、平穏な日常を守ろうとしてたんだ。
『伝えなさい、巫女の末裔よ。見えない敵は恐怖を煽る。けれど、底が知れれば、彼らは必ず越えてゆく。天秤の傾きを決めるのは、彼ら自身の意志なのだから』
「……はいっ!」
***
「はっ……!」
ガバッと、ベッドから跳ね起きる。息が荒い。全身、汗びっしょりだ。
窓の外を見ると、うっすらと空が白み始めていた。朝だ。今日、彼らが西へ向けて出陣する。
「伝えなきゃ……でも、走っても間に合わない……っ!」
あたしはギルドの扉を蹴り開けて、冷たい朝の風のなかへ飛び出した。西の空に向かって、両手を口元に当てる。
「お願い、風……届けてっ!」
声の限りに、叫んだ。喉がちぎれるくらい。頭のなかに焼き付いた、絶望的な数字と、それを跳ね返す希望の重さを、全部、息に乗せて。
「ルークさんっ! もふもふさん! エリシア様! カインくんたち!」
「敵の親玉は、十八万! 四魔将は三万五千から、八万六千!」
「オスカー様は、三万八千!」
「絶対、負けないで! ……あの大馬鹿な上官を、ひっぱたいて連れ帰ってきて!」
ぴゅう、と。あたしの叫びを掬い取るように、強い風が西へ向かって吹き抜けていった。
***
冷たい風が吹き抜ける、グレイウッド西方の国境平原。ずらりと並んだ数万の兵士たちの前で、アウストレア総団長が、巨大な水晶柱をドンッと地面に突き立てた。
「これは王立魔導院が開発した最新鋭の軍用霊核計測器だ。測定上限は30,000」
総団長の隻眼が、俺たちを射抜く。
「これから我々が挑むのは、常識が通用しない絶望の底だ。兵士たちの不安を完全に払拭し、士気を極限まで高めるために……証明しろ。お前たちが、魔王軍と対等に渡り合える『理外の存在』であることを」
エリシアが、静かに前に進み出る。透き通るような銀色の髪が風に揺れた。彼女の手が、冷たい水晶柱に触れる。
カッ、と。銀色の光が溢れ出し、光の針が瞬時にSランク帯を突破した。
【計測値:29,800】
「なっ……勇者の基準値の倍だと!?」
記録係の騎士が、ひっくり返った声で叫ぶ。兵士たちから、どよめきと感嘆の声が上がる。
「……次。お前だ、ルーク」
アウストレアが、獰猛な笑みを浮かべる。
「手加減は無しだぞ。……もし針を抑えようなどという小細工をすれば、その場で斬る」
「わかってますって」
アストラの封印を内側から緩めている今、俺の身体からは、精霊王としての力がダダ漏れになっている。右手をゆっくりと持ち上げ、水晶の表面に押し当てた。せき止めていたダムのゲートを、全開にするイメージ。
キィィィィィィィン……ッ!!
触れた瞬間。耳をつんざくような悲鳴が響き、光の針が狂ったように暴走した。10,000、20,000、30,000……。針が限界点をガンッと叩き、それでも止まらずに高速回転を始める。
ピキッ。
バリンッッッ!!!
鼓膜が破れるかと思うような爆発音と共に、巨大な水晶柱が内側から粉々に砕け散った。真っ黒な煙が立ち昇る。ホログラムの表示盤だけが、バグったように空中に文字を映し出している。
【判定:計測不能】
【推定ランク:Z(規格外)】
「……マジかよ」
カインが、ぽつりと漏らす。
「……軍用機すら、壊すか。もはや人の物差しでは測れんということだな。……見事だ、ルーク・ヴァレリオ」
アウストレアの笑い声が響き渡る。兵士たちは、水を打ったように静まり返っていた。畏怖。興奮。混乱。
そのときだった。
『……おや』
緑の小鳥、フィオが、ふいに空を見上げた。
『我が王。どうやら、西へ向かう風が、あたたかいお土産を運んできたようです』
「お土産?」
フィオが、すうっと俺の耳元へ飛んできて、そっと羽をすり寄せた。
『グレイウッドの巫女――あのギルドの受付嬢からの、風の便りです』
すん、と。頭のなかに、柔らかな風と一緒に、ちいさな祈りの声が流れ込んできた。膨大な「情報」が、直接展開される。
深淵の底。アビス。十八万。四つの魔将。三万五千から、八万六千。そして。
「……三万八千、六百十か」
ぽつり、と。俺の口から、具体的な数字がこぼれ落ちた。
「どうしました、ルーク?」
銀髪のエリシアが不思議そうに振り返る。
「いや。向こうでお留守番してるミリアから、敵の『通知表』が届いた」
俺はちいさく息を吐いた。
「律儀な受付嬢だぜ。わざわざ、俺たちがこれからぶっ飛ばす連中の、具体的な強さを風に乗せて送ってくるとはな」
「敵の、強さ……ですか?」
カインが身を乗り出してくる。
「ああ。魔王のバケモノじみたデカさも。魔将どものイカれた重さも。……オスカー上官の、今の力もな」
ビクッ、と。カインの肩が跳ねる。ノルンの狐耳が、ピンと立った。
「……ほう。で、あの不器用な元部下は、どれくらい生意気な数字になっておるのだ?」
アウストレアが隻眼を細める。
「三万八千、ちょっとですね。魔霊と融合して、元の三倍近くに膨れ上がってるみたいです」
「ふん。三万八千か。……雷で叩き割るには、ちょうどいい硬さかもしれんな」
カインが、ニカッと笑う。
「なんだ、三万八千かよ。上限三万の特級品を、たった数秒で木っ端微塵に吹き飛ばしたお前のバカみたいな『出力』を見たあとだと……全然、絶望するような数字に聞こえねぇな!」
「カインくん、強がりはよくないですよぉ。三万超えなんて、国がひとつ滅びるレベルなんですから」
ノルンがため息をつくけど、その青い瞳には怯えがない。
『ビビッと行こうぜ旦那! オレの雷で、道ごと切り拓いてやるからよ!』
雷のドラゴネット、アルクが火花を散らす。
俺は、煙を上げる計測器の残骸を背にして、数万の兵士たちの前に立った。北からは、ドワーフの王ハルドが率いる重戦車部隊のエンジン音。東の空には、エルフの大鷲部隊「アルジェイル」が旋回している。正面には、ソルミリアの正規軍と、生き残ったセカイジュ騎士団の面々。
全員の視線が、俺に集まっている。アストラを天に掲げる。飾った言葉なんて、必要ない。
「……見た通りだ。俺はもう、普通の人間じゃないらしい」
平原に、俺の声が響き渡る。
「神様でもないし、王様でもない。ただの規格外の、Dランク上がりだ」
兵士たちの間に、ざわめきと笑い声が広がった。
「さっき、ギルドの受付嬢から風の便りが届いた。敵の親玉は十八万。幹部どもも三万やら八万やら、とんでもねぇバケモノ揃いだ」
兵士たちが息を呑む音が聞こえた。
「数字だけ見りゃ、俺ひとりじゃ勝てねぇってことだ!」
俺は、ニカっと笑って、西の空を指差した。
「だけどよ! カインの炎がある! エリシアの銀の弓がある! バルのおっさんの壁がある! アウストレア総団長の雷がある! ドワーフの戦車にエルフの空爆……全員の力を足せば、十八万なんて絶対超えるだろ!」
単純な、足し算。でも、その泥臭い言葉が、凍りついていた空気をガンッと打ち砕いた。
「あっちの真っ暗な空の下には、俺たちに剣を教えてくれた元・指導係が、ひとりで勝手に絶望して、泣きそうな顔で玉座に座ってる」
肺いっぱいに、冷たい空気を吸い込む。
「数値なんて関係ねぇ。迎えに行くぞ。全員で、あの大馬鹿野郎をぶん殴って、ここまで引きずり帰るぞ!!」
一瞬の静寂。
「「「おおおおおおおッ!!!」」」
大地そのものが震えるような雄叫びが、平原に爆発した。
Zランクの野良勇者。その存在が、絶望的な戦況を覆す、確かな希望の楔として打ち込まれた。
『ふふっ。私たちも、負けておられませんな』
土のオルドが鉢植えを揺らす。
『十八万だろうと、凍らせて砕くまでです』
氷のフロスが、冷たく言い放つ。
『ルークさま、お怪我には十分気をつけてくださいね』
人魚のラグが、俺の襟元で微笑む。
『いけいけー! ド派手にぶっ壊しちまえ!』
赤い子狐のヴァルが煽ってくる。
「わふっ!」
足元で、霊導銀の装甲を着たフェデが、空に向かって力強く吠えた。
「よっしゃ。……行くぞ、お前ら」
進軍ラッパの重低音が、暁の空気を震わせて鳴り響いた。反撃の、幕開けだ。




