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第207話  半抜刀(ハーフ・ドロウ)への挑戦

 もっとだ。

 もっと深く、もっと長く。


 ギリッ、と。

 木鞘の奥で、星の光が軋む音がした。


 グレイウッドの街外れ。鳥の声ひとつ消えた、薄暗い夜明け前の森。朝靄が立ち込めるなか、俺の周囲だけ空気が不気味に歪んでいる。右手にかかる重さが、鉄の塊なんてチャチなもんじゃない。山を、いや、世界そのものを腕一本で支えるような、理不尽な重さだ。


 昨日掴んだばかりの《瞬閃ブリンク》じゃ、全然たりない。鯉口を数ミリ切って放つあれは、しょせんただの衝撃波だ。そんなんで吹き飛ぶような相手じゃないんだよ、あいつは。


 魔将筆頭の副将。

 俺の元上官。


 誰よりも完璧な盾であろうと、爪が剥がれるまで足掻いてた男を、ぶち抜くためには。絶対的な、一撃必殺の「刃」が要る。


『我があるじよ。これ以上の封印解除は、空間の理が悲鳴を上げますぞ』


 肩のあたりで翠の羽がバサバサッとはためいた。風のフィオが、目の前でホバリングしながら俺を見ている。理屈っぽい小鳥の目が、珍しく本気で怯えていた。


『ただの漏れ火とはわけがちがう。風が、あなたの命の削れる音に怯えております。霊脈の流れをこれ以上捻じ曲げれば、修復不可能な傷が残るやもしれません』

「わかってるよ。でも、やるしかないんだ。しっかり支えてくれ」


『旦那ァ! ビリビリ来てるぜ! 周りの空気がもたねぇ!』


 アルクの金色の小竜が、足元でバチバチと黒い火花を散らしながら飛び回る。鼻息が荒くて、興奮と焦りがごちゃ混ぜになってる。


『オレの雷でも追いつけねぇくらいのスピードで、力がダダ漏れだ! 神経焼き切れるぞ!』

「焼き切れる前に、形にする……!」


 アストラの第二開放。《半抜刀ハーフ・ドロウ》。


 刀身を三分の一だけ鞘から抜いて、その状態のまま固定する。完全に抜くわけじゃない。抜くための条件なんて一つも満たしてないし、抜く気もない。ただ鞘の隙間から星の光を無理やり引きずり出して、刃の形に押しとどめる。巨大なダムのゲートを中途半端に開けて、押し寄せる濁流を素手でせき止めるような、そういう力技だ。


「ぐ、おおおおおッ……!」


 ズガガガガッ! 足元の土が、光の暴風にえぐり取られていく。立ってるだけで全身の骨がミシミシ鳴る。皮膚の下で血が沸騰してるのがわかる。毛細血管が悲鳴を上げてる。


『おやかた! 地に足をつけい! 儂が支える!』


 オルドが叫ぶのと同時に地面がぐんと盛り上がり、俺の膝下をがっちりと固めた。石の枷みたいに重いけど、これがないと体ごと吹き飛んじまう。


「サンキュー、オルド……!」


 刀身が三分の一まで出た。そこから溢れ出す光が、暴れ馬みたいに荒れ狂う。《精霊王核》の吸引力と気合いだけで、なんとか一本の刃に圧縮していく。


『ルークさま! 水の巡りが追いつきません……!』


 ラグが泣きそうな声で、俺の火照った右腕に冷たい水を這わせる。触れた端から白い蒸気になって消えていく。


『体内の霊素循環が早すぎて……器が、壊れてしまいます!』

「回せ……! 気合いで回しきれ! 止まったら死ぬ!」


 バキッ。


 右肩の関節が外れかかった。霊素を力ずくで循環させて、なんとか繋ぎ止める。視界の端がチカチカと白く明滅し始めた。鼻の奥から、ツツーッと生温かい血が流れてくる。霊素酔い(マナ・ショック)の初期症状だ。


『警告します。これ以上は肉体が持ちません』


 氷の精霊フロスが、絶対零度の声で脳内に直接響いてくる。雪ウサギの姿のまま猛烈な熱風のなかにしがみついていて、耳の先の氷結結晶がピキピキと悲鳴を上げていた。


『霊素吸収率、限界突破。霊核容量、レッドライン。このまま維持すれば、あなたの右腕は霊素の熱で炭化し、細胞が崩壊しますわ。ただちに鞘へ戻しなさい』

「……うる、せぇな」


 血の混じった唾を、足元の枯れ葉に吐き捨てた。


 肉体が崩壊する? 知るかよ。限界なんて、とっくに超えてなきゃおかしいんだ。


 あいつは、越えちゃいけない一線を越えた。王族としての誇りも、国を守るっていう騎士の誓いも全部かなぐり捨てて、暗くて冷たい泥のなかで一人で悪魔に魂を売った。ラインヴァルトの要塞で、見捨てられた兵士たちを背負ってボロボロになりながら指揮を執ってたオスカー副団長が。俺たち特務候補生に不器用なくせに剣の型を何度も何度も叩き込んでくれた、あの厳しい男が。


 エリシアに助けられたとき、あいつの目は空っぽだった。「また守れなかった」って、そう言いたげな、底の見えない瞳。


 俺がもっとうまくやれてたら。俺の理不尽な才能で、無自覚にあいつのプライドをへし折ったりしなければ。あいつは、あんな分厚い絶望の殻に閉じこもることはなかったはずだ。


 だから、これは俺の責任だ。

 上官の尻拭いは、部下がやる。それだけのことだ。


「ここで限界を超えなきゃ……あいつに、届かないんだよ!!」


『ルーク! 無茶しやがって!』


 ヴァルが、赤い毛並みを逆立てて目の前に飛んできた。尻尾の炎が青白く燃え上がっている。


『一人で背負い込んでんじゃねぇよ! 無理に付き合うのは、俺たちの役目だろうが!』

「ヴァル……!」


 右手の感覚がもうほとんどない。でも、光の暴風が少しずつ収束していくのがわかる。散らばろうとする星の光を意志の力で削り落として、圧縮する。ただの暴力じゃない。明確な殺意でもない。あいつを止めるための、絶対的な拒絶の刃だ。


「副団長を殴り倒して連れ戻すんだ。それなりのもん用意しねぇと、失礼だろが……ッ!」


 オスカーの冷たい目が頭をよぎる。

『私が欲しいのは、ただ一つ。あの光を引きずり下ろし、私の隣に跪かせることだけだ』


 ふざけるな。お前が本当に守りたかったのは、そんなドス黒い執着なんかじゃないはずだろ。あんな真っ暗な玉座に、一人ぼっちで座らせてたまるか。


 ぎいいいいいいいんっ!


 森の木々が、霊素の圧力で外側へひしゃげていく。鞘から三分の一だけ露出した刀身の上に、プラズマみたいに激しく明滅する純白の光刃が固定された。


「……できた。刃の、形に……」

『ルーク!』

『我が王!』


 精霊たちの声が遠い。耳鳴りがひどい。視界の端が暗い。重い。熱い。


 これが《半抜刀ハーフ・ドロウ》だ。


 でも、まだだ。これだけじゃただの光の塊に過ぎない。堕落魔霊イグネリウスと融合したオスカーの黒炎の壁を焼き切るには、純粋な星の光だけじゃ足りない。魔将の闇を打ち払う「破壊」と「熱」が要る。


 俺は、ガタガタ震える手で光の刃を固定したまま、炎の精霊を睨みつけた。


「ヴァル!!」

『……ったく。世話の焼ける主だぜ』


 ヴァルの赤い瞳が、ギラギラと笑う。


『純粋な光だけじゃ、あの黒炎は斬れねぇんだろ?』

「ああ。お前の火が要る」


 精霊は、人間の霊核を通して力を発揮する。俺自身が媒体コンデンサーになる。普段のダダ漏れ霊素で遊ぶような魔法じゃない。完全に俺の霊核とリンクさせて、限界突破の出力を引き出す。


「お前の炎を全部よこせ! この刃に乗せる!」

『死ぬぞ! ただでさえアストラの力でパンク寸前なのに、俺の全力まで乗せたら、お前の霊核が焼き切れる!』

「やるって言ったら、やるんだよ! 俺の体を媒体にして、限界まで引き出せ!」

『一瞬でも気を抜いたら、お前自身が消し炭だぞ』

「気を抜くつもりはねぇよ」


 待ってろ、大馬鹿野郎。

 お前が纏うその分厚い絶望ごと、全部燃やし尽くしてやる。


『いくぞルーク! 俺の全部をくれてやる!』


 ヴァルが吼えた。赤い影が、俺の右腕に一直線に飛び込んでくる。


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