第206話 フェデの武装
カインが山を消し飛ばしかけた翌朝。
宿屋《月下葡萄亭》の裏庭に、俺たちは集まってた。霞がまだ残ってるのか、輪郭がぼんやりする朝だった。焦げ臭さは、もうない。代わりに土の湿った匂いと、厨房のパンの匂い。マルタ婆さんの焼くやつだ。
平和だな。
これから戦争に行くのに。嵐の前ってこういう顔してるのかもな、と俺は思った。
「おい、ルーク。手ぇ貸せ」
ドスッ、と地面が揺れるくらいの音。振り返ると、バルドランの親父さんが巨大な木箱を降ろしたところだった。ただの木箱じゃない。黒鉄の補強が入ってて、表面にドワーフ語のルーン文字がびっしり彫ってある。重さだけで周りの空気が変わるようなやつだ。
「なんだこれ、朝から引越しか」
「馬鹿言え。援軍だ」
太い腕を組んで、親父さんが鼻を鳴らす。白い息が髭の間から漏れた。
「山脈のハルド……あの頑固者の鍛冶王から届いたもんじゃ。『貸しだと思え』とな」
「鍛冶王から……」
俺の喉が、ゴクリと鳴った。あの職人気質の王様か。俺のアストラの鞘を見て目の色を変えてた、あの人だ。カインもエリシアも、箱を覗き込もうとしてる。
「開けるぞ」
留め金が外れて、重い蓋がガコンと跳ねた。
眩しっ。
光が溢れた。銀色の、でもただの銀じゃない。もっと透き通ってて、奥に熱を隠してるような、不思議な輝き。
「ミスリル……か?」
カインが目を丸くする。
箱の中に収まってたのは、細かく編み込まれた鎖帷子。でも、形が違う。首の開きが広くて、背面が大きい。前足後ろ足を守るための、独特な形状のプロテクターもついてる。
「フェデ用……?」
呟いた俺に、バルドランさんがニヤリとした。
「おうよ。世界樹の最上位霊獣サマに、裸で戦わせるわけにゃいかんだろが」
鎧だけじゃない。研ぎ澄まされた爪カバー、関節部の装甲板、首元を厚く守るネックガード。全部が同じ銀色で揃ってた。
「ただのミスリルじゃねぇぞ。霊導銀を混ぜて鍛えてある。霊素の通りが桁違いだ。どれだけぶち込んでも、焼き切れるどころか増幅して弾く」
霊導銀。ドワーフの鉱山でもめったに出ないやつだ。それをこんなふんだんに使うなんて、あの鍛冶王、どれだけフェデのことが気に入ったんだよ。
「わふっ?(ぼくの?)」
俺の影から、フェデがひょっこり顔を出した。尻尾をブンブン振ってる。
「ああ、お前のだよ。……着てみるか」
言い終わる前に、フェデは一歩前へ出てた。待ってましたとばかりに。バルドランさんが手際よく鎧を着せていく。鎖帷子はフェデの身体に吸い付いて、最初から毛並みの一部だったみたいに馴染んだ。フェデはブルブルッと一度震えて、感触を確かめてる。
そこにいたのは、もはや愛玩動物のゴールデンレトリバーじゃなかった。
黄金の毛並みと、銀の鎧。朝日を受けて、神々しいくらい光ってる。首元のネックガードには世界樹の紋章が刻まれてて、それがまた威厳を重ねてる。
「……すげぇ」
カインが口をあんぐり開けた。
「これもう、犬じゃねぇだろ。戦車じゃん」
「黄金の戦車、ですね」
エリシアが目を細めた。銀色の髪が風に揺れて、フェデの輝きと呼応してるみたいに見えた。
『ほう、悪くねぇな』
俺の肩でヴァルが、口笛みたいな音を鳴らした(吹けないけど)。
『オルドの爺さんが喜ぶ堅さだぜ。魔将の一発くらいなら耐えんじゃねぇか』
地面からオルドがぬっと顔を出す。
『うむ……いい仕事じゃ。地の底の職人ども、腕を上げたな。これなら儂が土壁を張る手間も省けるわい』
精霊たちのお墨付きが出た。フェデが誇らしげに胸を張る。
その姿を見て、俺は不意に、オスカーの顔を思い出した。
奴の相棒だった、獅子の霊獣バルザード。黄金の鎧をまとったような姿で、威厳があって、強くて、誇り高かった。オスカーは、あの獅子と並んで戦うことを誇りにしてたはずだ。
今、フェデが同じ姿になってる。
……皮肉だな。オスカーが自ら捨てた「相棒との共闘」を、俺たちがやろうとしてるんだから。
「フェデ」
呼ぶと、フェデがこっちを向いた。琥珀色の瞳。そこにはもう、ただ甘えるだけの光じゃない。奥の方に、星みたいなものが灯ってる。戦闘モードの目だ。
『るっきー。ぼく、やるよ』
言葉じゃないけど、頭の中にはっきり響く。
『あいつ、泣いてる匂いがする。……るっきーの大事な友達だから、ぼくが守る。噛み付いてでも、連れ戻す』
「……ああ。頼むな」
鎧の冷たい金属を、そっと撫でた。こいつも、覚悟を決めてる。今まであれほど「ただのデカい犬」として振る舞ってきた。街では愛想を振りまいて、子供に撫でられて、平和の象徴みたいな顔してた。でも、もう終わりだ。ここからが、世界樹の最上位霊獣としての本番だ。
「よし! 似合ってるぞ、フェデ!」
カインがバシッと背中(鎧の上から)を叩く。フェデは「わふっ!(当然!)」とドヤ顔で尻尾を振った。鎧がカシャカシャと鳴る。その音まで頼もしい。
バルドランさんが満足そうに髭を撫でた。
「守りは固まった。カインの剣も補強した。エリシア嬢ちゃんの弓も問題なし。……あとは」
親父さんの目が俺へ。正確には、俺の背中の剣へ。
星霊剣アストラ。ボロ布でぐるぐる巻きにしてても、存在感だけは隠しきれてない。
「大将。お前さん、まだ『アレ』を完全に抜く気はないんじゃろ?」
……痛いとこ突くな。俺は苦笑いして頭をかいた。
「抜いたら世界が終わるかもしれないんで。……まだ、その時じゃない」
アストラを抜刀する条件がある。世界樹からの許可、八大精霊の同意、そして「世界レベルの危機」であること。オスカーを救うのは俺個人のわがままだ。世界のためじゃない。だから抜けない。
でも――
『抜かずに使う、か』
風のフィオが、耳元でそっとつぶやいた。
『我が王よ。……茨の道ですぞ』
「分かってるよ」
右手を見た。昨日の特訓でむけた皮、潰れたマメ、包帯だらけ。まだ痺れてる。あの感覚。鯉口を数ミリだけ切って、漏れ出る力を無理やりねじ伏せて放つ一撃、《瞬閃》。衝撃波だけで岩を吹き飛ばせる。雑魚相手には十分すぎる。
でも、足りない。
相手はオスカーだ。魔王軍の副将として覚醒した、あの闇の怪物だ。半端な衝撃波じゃ黒炎の鎧に弾かれて終わる。もっと深く。もっと重く、鋭く。一撃で、あいつの歪んだ根性ごと叩き割る、そういう一発が要る。
「フェデの装備、ありがとな。こいつがいれば、俺も背中を気にせず暴れられる」
「おうよ。ワシらが支えてやるから、前だけ見てろ」
その言葉が、胸に沁みた。俺はアストラを握り直す。鞘越しでも、ドクン、と脈打つのが分かった。まるで剣が、早く使えと急かしてるみたいだ。
朝飯の匂いが強くなってきたけど、今は喉を通らなそうだ。カインはもうマルタ婆さんのとこへダッシュしてるし、エリシアはフェデの鎧を手入れし始めてる。みんな、自分の準備をしてる。
俺も、やらなきゃな。
「ちょっと森へ行ってくる」
誰にともなく言って、踵を返した。背後で氷の精霊フロスがため息をつく気配がした。
『ルーク様。……無茶は、ほどほどにしてくださいまし』
「善処するよ」
嘘だ。無茶しなきゃ届かない場所に、あいつはいる。
***
町外れの森。昨日ボロボロになった場所より、さらに奥。鳥の声もしない。俺から漏れ出る霊素に怯えて、小動物たちが逃げ出したんだな。それくらいで丁度いい。
アストラを構える。鞘に収まったまま、ただの木の棒みたいに見える剣。でもその中には星が詰まってる。
『やるのか、ルーク』
ヴァルが俺の前にふわりと浮いた。真剣な目だ。
『昨日のでも十分ヤバかった。あれ以上封印を緩めたら、腕が消し飛ぶぞ』
「腕一本で済むなら、安いもんだろ」
強がりじゃない。本気だ。オスカーは心ごと全部持っていかれた。それに比べたら、腕の一本や二本、どうってことない。
「《瞬閃》は牽制だ。あいつを止めるには、"斬る"威力が要る」
次は鞘から三分の一。刀身の三分の一を露出させたまま、霊素を刃の形に圧縮して振るう。ダムの放水を指先でコントロールするようなもんだ。一瞬でも気を抜けば、俺の身体ごと吹き飛ぶ。
「……いくぞ」
息を吸う。肺の中を霊素で満たす。《精霊王核》が、ドクン、と重く跳ねた。
親指で鍔を弾く。カチッ。
乾いた音が、森に吸い込まれた。
「見とけよ、オスカー。……お前が闇に逃げるなら、俺は光でぶん殴って連れ戻す」
封印が、きしむ音を立てた。
星の光が暴れようとする。それを、無理やり抑え込む。
夜明けの森で、俺はたった一人、世界で一番重たい扉をこじ開けようとしていた。




