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第204話  銀の弓

 まぶしい。


 太陽のせいじゃ、ない。あいつだ。エリシアが、光ってる。


 グレイウッドの街外れ——俺がアストラの特訓で木々を吹き飛ばした演習場の跡地。焼け残った切り株と、えぐれた地面だけが残るその場所で、俺たちは向き合っていた。


 昨日の今日だ。泥と血にまみれた敗走から、まだ一日しか経っていない。なのに。


 目の前に立つエリシアは、俺が知っていた彼女じゃなかった。


 白金だった髪が、今は透き通るような銀に変わってる。月の光をそのまま糸にして編んだみたいな、不思議な色。肌は陶器みたいに白くて、耳がほんの少し、尖ってる。ギルベルトさんが「新しい種族」と言ったのはこういうことか。俺が注ぎ込んだ霊素いのちが、人間という器を割って、中身ごと作り変えてしまった結果だ。


「……ルーク。そんなにジロジロ見て、どうしました?」

「あ、いや。なんでもない」


 目が合う。かつては新緑の色をしていた瞳が、今は深い夜空みたいな碧色あおいろをしている。星屑を散らしたみたいにキラキラしてて、見ていると吸い込まれそうで——ちょっと目を逸らした。


 罪悪感がないとは言えない。死なせたくないというだけで、勝手に別の生き物にしちまった。紛れもなく、俺のエゴだ。でも、エリシアは笑った。困ったような、でもどこか晴れやかな顔で。


「責任、感じてますか?」

「……まあな」

「駄目ですよ。これは、あなたがくれた新しい命なんですから。私、気に入ってるんです」


 言いながら、彼女は手にした訓練用の剣に目を落とした。鉄の剣。騎士団の標準装備。柄を握りしめる。ぎゅっ、と。


 パキンッ。


 乾いた音がして、刀身にヒビが入った。力任せに握ったわけじゃない。ただ流し込んだ霊素の量に、鉄が耐えきれなかっただけだ。ボロボロと崩れ落ちる鉄屑を見つめて、エリシアが小さくため息をつく。


「……やっぱり、剣じゃ駄目みたいですね」

「出力がデカすぎるんだよ。今のエリシアの霊核、下手なドラゴンより上だぞ」


 俺の胸元から、もぞもぞと緑色の羽根が顔を出す。風の精霊、フィオだ。


『我が王よ。彼女のまわり、風が渦巻いておりますぞ。……すごい密度です。大気が彼女の呼吸に合わせて歌っているようだ』


 地面から顔を出したオルドが、感心したように唸る。


『うむ。地脈も共鳴しておるのう。歩くたびに草が生えるわけじゃ』


 そう。今のエリシアは、歩くパワースポットだ。じっとしてても霊素が溢れ出てくる。普通の武器じゃ触れただけで砕ける。星霊剣アストラみたいな神造兵装でもなけりゃ、太刀打ちできないだろう。


「どうする? ギルベルトさんに頼んで特注の杖でも——」

「いいえ」


 首を横に振る。銀色の髪が、風もないのにふわっと舞い上がった。彼女は何も持っていない両手を、ゆっくりと空に向けて伸ばす。まるで、見えない弦を引き絞るみたいに。


「……見えますか? ルーク」

「え?」

「光の粒。風の流れ。……世界が、線でできているみたいに見えるんです」


 碧色の瞳が、虚空の一点を見据える。


 次の瞬間、空気がビリビリと震えた。


 エリシアの指先に光が集まる。蛍みたいな淡い輝きじゃない。圧縮された、鋭い光だ。それが束になって編み込まれて、一本の「形」になる。


 弓だ。


 純白の光でできた、大きな弓。弦なんてない。あるのは、張り詰めた霊素の糸だけ。


『おいおい、マジかよ! 魔力で武器を作りやがったぞ!?』


 炎のヴァルが飛び出してきて、目を丸くする。物質じゃない——純粋なエネルギーの結晶体。エリシアが右手で虚空の弦を引く。


 キィィィィン……。


 空気が鳴くような、高く澄んだ音。矢はない。引いた指先に光が凝縮されて、一本の矢が生まれる。


「……行きます」


 指を離した。


 ヒュンッ!


 発射音すら置き去りにして、光の矢が走る。速い。目で追うのがやっとだ。狙いは百メートル先の岩の的。だが矢は直進しなかった——空中でパァンッ! と弾けて、三本に割れた。一本は上空、一本は右、一本は左。生き物みたいに軌道を変え、風に乗って、ぐにゃりと曲がって。


 ドォォォォォンッ!!


 三方向から同時に着弾。岩が砕けるんじゃない。光に飲み込まれて、消えた。あとに残ったのは焼け焦げた地面と、舞い上がる砂煙だけだ。


「……うわお」


 俺は口をポカンと開けたまま、固まっちまった。


 なんだあれ。誘導弾かよ。魔法でも弓技でもない。風を読んで、光を操って、必ず当てる。魔法剣士ならぬ、魔法弓士マジック・アーチャーってやつか。


『わたくしの風を、完全に読み切って乗せてきましたね。壁の裏に隠れた敵でも射抜けます』


 フィオが感心したように翼を震わせる。エリシアはゆっくりと光の弓を霧散させると、ふぅ、と息を吐いてこちらを向いた。汗ひとつかいてない。銀色の髪が、朝日に照らされてキラキラ光ってる。きれいすぎて、ちょっと直視できないくらいだ。


「……すごすぎだろ。オスカーが見たら腰抜かすぞ」

「ふふ。あの人なら、『ズルい』って怒るかもしれませんね」


 オスカーの名前を出しても、もうエリシアは暗い顔をしなかった。


 彼女は歩み寄ってくる。一歩、一歩。地面を踏むたびに小さな花が咲くのはご愛敬だ。目の前で立ち止まって、まっすぐに俺の目を見る。かつての——どこか儚げで、触れたら壊れそうだった勇者の瞳じゃない。もっと強くて、深い。大地に根を張った大樹みたいな、揺るぎない意思がそこにある。


「ルーク」

「ん?」

「私、決めました」


 胸に手を当てる。そこには、俺が分け与えた命が脈打っているはずだ。


「今まで、私は守られてばかりでした。勇者という名前だけで、中身は空っぽで……いつも、誰かの背中に隠れてた」


 総団長に。騎士たちに。オスカーに。王都での戦い、彼女は何もできなかった。オスカーの狂気に圧倒されて、心を折られて、最後は俺に背負われて逃げるしかなかった。その悔しさが、彼女を変えたんだ。


「でも、もう違います。この体も、この力も、あなたがくれたものだから」


 エリシアの手が、そっと俺の手に重ねられる。温かい。人間よりも少し体温が高い気がする。精霊に近い熱だ。


「私は、あなたの盾になります」

「……え?」

「あなたが前で戦うなら、私は後ろから、その背中を狙う敵をすべて射ち落とします。あなたが傷つく前に、私が脅威を消す」


 盾、か。かつてオスカーが担っていた役割。でもエリシアの「盾」は、攻撃を受け止める壁じゃない。近づくものを許さない、攻撃的な守護だ。銀の弓で、戦場全体を支配する遊撃手。


「だから、ルーク。……もう、一人で無茶をしないでくださいね?」


 にっこりと微笑む。聖母みたいな笑顔なのに、目が笑ってない。ああ、これは逆らえないやつだ。俺が命を削って助けたこと、まだちょっと怒ってるんだな。


「……善処します」

「よろしい」


 満足そうに頷いて、エリシアはくるりと背を向けた。銀髪がなびく。


 その背中は、もう「守られるヒロイン」のものじゃなかった。共に並び立つ相棒の背中だ。


『へっ。ルーク、うかうかしてらんねぇな。あのお嬢ちゃん、放っといたら精霊王より強くなっちまうんじゃねぇか?』


 ヴァルが茶化すように言う。全くだ。俺が分け与えたのはただの霊素じゃない。精霊王核の純粋なエネルギーだ。それが、元々勇者としての資質を持っていたエリシアの中で化学反応を起こして、とんでもない進化を遂げた。エルフの始祖……いや、もはや神に近い何かか?


 まあ、いいさ。あいつが笑って立ってくれてるなら、種族なんて些細な問題だ。


「よし。エリシアは仕上がったな」


 アストラの鞘を背負い直す。昨日の特訓で掴みかけた感覚が、まだ手に残ってる。《瞬閃》。あれだけじゃ足りない。もっと深く、もっと強く。オスカーの黒炎を貫くには、小手先の技じゃ届かない。


 でもその前に——もう一人、様子を見ておかなきゃいけないやつがいる。俺たちの野良小隊の切り込み隊長。一番単純で、一番熱くて、一番不器用な馬鹿。


「……カインのやつ、ちゃんと生きてるかな」


 その時だった。


 森の奥から、ドカーン! と大気が震えるほどの爆発音が響いた。黒い煙が、もくもくと上がっている。炎の熱気が、ここまで届くほどだ。


『うっひゃあ! 派手にやりやがる!』


 ヴァルが嬉しそうに叫ぶ。ああ、生きてるな。元気そうだ。あいつの霊素が以前とは比べ物にならないくらい荒ぶっているのが分かる。迷いが消えた、純粋な炎の色。


「……たく、揃いも揃って化け物じみてきやがって」


 苦笑いしながら、俺は爆心地の方へ足を向けた。置いていかれるわけにはいかない。こっちも仕上げの時間だ。それぞれの牙を研ぎ澄まして、必ず届かせる。


 俺たちはもう、ただの敗残兵じゃないんだからな。


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