第203話 作戦会議
森の空気が、変わった。
なんとも言えない、鉄と土を混ぜたような匂い。さっきまであそこにいた人間たちが、ただの抜け殻みたいにぐったりしていたのに——一人が戻っただけで、こうも違うか。
総団長アウストレア・ラインハルト。
そのおっさんが切り株にドカッと腰を落ろした途端、俺は思った。ああ、世界がまだあったんだな、と。
「……ふぅ。傷は塞がったか。ノルン、助かったぞ」
「い、いえ! 総団長こそ……無茶しすぎですよぉ……」
ノルンが涙目で包帯を巻き終える。右目の傷が痛々しい。でも残った左目の眼光は、そこにいる全員をまとめて串刺しにできるくらい、鋭かった。
「さて。感傷に浸る時間は終わりだ。作戦を立てるぞ」
いきなりだ。
でも、誰も文句なんて言わなかった。むしろ待ってた——俺も、カインも、エリシアも。バルドランの爺さんだって、ハンマーを握る手の筋がぴんと張ってる。
「現状を確認する。……我々は負けた。完敗だ」
重い言葉だった。容赦がなかった。
「王都は落ちた。城壁は内側から開かれ、結界は書き換えられた。いまやあの場所は、魔王軍の前線基地そのものだ」
地面に枝の先で線を引きながら、総団長が淡々と並べていく。王都ヴァルドンガルド。鉄壁の守りを誇った俺たちの街が、今や魔族の巣窟。玉座に座っているのは——。
「オスカー・ヴァルド・ガルドリアン。……いや、今は魔王軍副将と呼ぶべきか」
その名が出た瞬間、カインが唇を噛みしめた。俺も、胸の奥がズキリとした。あの真面目で不器用で、誰よりも国を愛してたやつが。今は国を焼いた張本人だなんて。
『……ルーク。あいつの炎、完全に真っ黒だったぜ。混じりっけなしの殺意だ』
ヴァルが、俺の足元で低く唸る。普段はうるさいくらいのこいつが、今日だけは悔しそうに尻尾を丸めていた。
「正面からぶつかれば、勝機はない」
総団長が、地図上の王都をバツ印でたたく。
「敵の数は数万。加えて四魔将の生き残りも集結しているだろう。対して我々は、満身創痍の敗残兵と、数名の規格外——お前たちのみだ」
「……数名の規格外って」
苦笑いが漏れた。すると総団長は、片方の口角だけをニヤリと上げた。
「事実だろうが。……さて、どう攻めるかだ」
地図が、どんどん書き込まれていく。城壁。大通り。王城。そして、その地下を走る網の目のような線。
「地下水路……?」
「そうだ。ルーク、貴様もよく知っているはずだ。入団当初、オスカーと共にここを清掃したな?」
覚えてる。ヘドロまみれになって、ドブネズミを追いかけ回して。スライムの詰まりを吹き飛ばすために土の精霊オルドの力を使って——。
『おやかた。あの時は張り切りすぎちまって、壁をカチカチにしちまったなぁ』
オルドが懐かしそうに言う。そう、俺が無駄に頑丈にしちまった、あの地下水路だ。
「奴は、ここを知り尽くしている」
総団長の声が、一段低くなった。
「オスカーは真面目だ。几帳面で、完璧主義だ。自分が整備した防衛網に絶対の自信を持っている。……だからこそ、だ」
地下水路の入り口を、指先が突いた。
「奴はここを警戒しているはずだ。かつて自分が掃除し、ルークが補強した場所としてな。だが同時に——まさかこんな泥臭いルートを決戦で使ってくるはずがない、とも思うはずだ」
「……裏の裏、ってことですか」
「そうだ。あいつは今、副将だ。圧倒的な力、王としての誇り。それが奴の目を曇らせる。かつての泥にまみれた日々を、無意識に切り捨てているはずだ」
師匠だから分かる、弟子の弱点。残酷なまでの読みだ。
「作戦はこうだ」
総団長が、バッと顔を上げた。
「囮は、私が務める」
「は!?」
俺とカインの声が重なった。満身創痍のくせして、何を言ってるんだ、このおっさんは。
「残存兵力をかき集め、《守盾門》を派手に叩く。雷を落とし、土を隆起させ、『総団長による決死の正面突破』に見せかける」
「む、無茶です! 総団長、あんた死にかけたばっかりじゃ……!」
カインが食って掛かる。でも総団長は動じない。眉ひとつ、動かない。
「だからこそ、だ。奴は私を知っている。アウストレアなら最期まで真正面から来る——その思い込みを利用する」
自分の左胸を、拳でたたいた。
「私の命など、安いもんだ。オスカーの目を一瞬でも釘付けにできるなら、喜んで使い潰す」
「総団長……」
「その隙に」
視線が、俺たちに向けられた。鋭い目だった。でも、その奥のどこかに——熱っぽい光が宿ってた。
「ルーク。エリシア。カイン。……そしてフェデリオ。貴様らが少数精鋭の別働隊だ」
ごくり、と喉が鳴った。
「総団長が暴れてる間に、俺たちが地下から……」
「そうだ。王都の北側、廃棄された排水溝から侵入しろ。あそこなら結界の監視も薄いはずだ。……お前が強化した水路なら、魔族の感知魔法も弾くかもしれんしな」
皮肉っぽく笑う。でも、すぐに真剣な顔に戻った。
「目指すは玉座の間。……そこに、あの大馬鹿者がいるはずだ」
オスカー。黒い鎧を纏って、歪んだ笑みを浮かべていたあいつ。
「討て、とは言わん」
総団長の声が、少しだけ震えた。気がした。
「……救え。あの馬鹿を。闇なんぞにくれてやるには、惜しい男だ」
その言葉を聞いた瞬間。何かが、カチッと、はまった。
戦争じゃない。魔王討伐でもない。道を間違えて一人で絶望して遠くに行っちまった友達を、ぶん殴って連れ戻す。ただ、それだけだ。
「……了解です」
アストラの鞘を、握りしめた。傷だらけの鞘だ。三日三晩の特訓でついた傷で、表面がざらざらしてる。まだ抜けない。抜く条件は満たしてない。でもこの鞘だけでも——やれることは、ある。
「俺たちが、必ず。あいつの頭、カチ割ってでも連れて帰ります」
「おうよ! 俺だって、もう負けねぇ!」
カインが剣を掲げた。その剣先に、型のない炎が揺らめいてた。感情がそのまま燃えてる、みたいな炎だった。荒々しくて、きれいだった。
「私も……行きます。もう二度と、守られるだけでは終わりません」
エリシアが、静かに言った。風もないのに銀色の髪がふわりと揺れる。碧色の瞳は、もう迷ってなかった。人間離れした美しさが、今だけは頼もしい。
「わふっ!」
フェデが元気よく吠えた。尻尾をブンブン振って、胸を張る。こいつがいると、なんとかなる気がするんだよな。根拠なんてない。でも、する。
『ルーク殿。風が、微かに変わり始めています』
フィオが耳元で囁く。
『ええ。潮目が変わりましたね。……今なら、流せます』
ラグの声も、澄んでいた。
「よし」
総団長が立ち上がった。その巨体が夕暮れの光を受けて、長い長い影を落とした。
「作戦開始は明朝。……それまでに、各々、牙を研いでおけ」
「「「了解!!」」」
声が、揃った。命令に従う声じゃない。野良小隊の、覚悟の声だ。
解散の合図とともに、みんなが動き出す。カインは森の奥へ、剣を振りに。バルドランはフェデを連れて、木箱をごそごそと漁り始めた。エリシアは風の音でも聞くように、静かに目を閉じている。
俺は、自分の手を見た。皮がむけて、血が滲んで、ボロボロだ。でも不思議と痛みはない。むしろ熱い。《精霊王核》が、ドクン、ドクンと脈打ってる。全身に力が回ってくるのが分かる。
『旦那、やる気満々じゃねーか』
アルクがニシシと笑う気配がした。
『ルーク様。……無理は、承知の上ですが。どうか、ご無事で』
フロスの声は冷ややかで、でも心配そうだった。
「ああ。分かってるよ」
空を見上げた。西の空は、まだどす黒い雲に塞がれてる。あの向こうで、オスカーが待ってる。世界を敵に回して、一人で、玉座にふんぞり返ってる。
「待ってろよ、オスカー」
今度こそ。
絶対、届かせてやる。
アストラを背負い直して、足を踏み出した。最後の仕上げだ。あの黒い炎をぶち抜くための、とっておきの"型破り"を完成させるために。




