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第202話  雷鳴の生還者

 青白い閃光。


 網膜に、焼きごての先端みたいなその色が貼り付いて離れない。西の空、どす黒い瘴気の雲を真っ二つに切り裂きながら、下から上へと逆流するような稲妻だった。自然現象じゃない。そんなことは、骨の髄まで分かってる。


「あの色は——」


 絞り出した声が、かすれてた。喉がカサカサに乾いてる。


『旦那! あれあれあれ、雷の霊素が凝縮してやがる! しかもあんな遠くから!』


 アルクが俺の髪の毛の中でバチバチと火花を散らす。頭皮が痛え。興奮が指先まで走ってくるみたいで——


『……焦げた匂いが、風に乗っています。ルーク殿、これは』


 フィオが肩口で羽ばたく。緑色の羽が、チカチカと明滅してた。


 あぁ。分かってる。俺たちを逃がすために、あの絶望のど真ん中に置いてきた——。


『ルーク、ぼやぼやしてんな! いくぞ!』


 足元でヴァルが吠えた。赤い尻尾の炎が、ボワッと膨れ上がる。


「わかってる。フェデ、乗せてくれ!」

「わんっ!」


 フェデが低く唸り、その巨体がひとまわりふくれあがる。もふもふの背中に飛び乗って、俺は毛を引っ掴んで手綱がわりにした。


 突風。木々が置き去りになる。西へ。国境の森へ。地を蹴るたびに景色が後ろに吹っ飛んでいく。


『ルークさま。右腕、限界です』


 ラグの冷たい水滴が、感覚のなくなった右腕を包んだ。痛みが、少しだけ——ほんの少しだけ——引いていく。


「悪い、ラグ。でも急ぐ」

『落ち着かぬか若造。地脈が揺れとる。重い足音じゃ、一人や二人ではないぞ』


 オルドの渋い声が頭の奥で響く。


『……ルーク様。前方、生命反応。かなり弱っていますが……まだ、消えていません』


 フロスの静かな一言が、胸の奥に小石みたいに落ちた。


 ***


 森の入り口。泥濘んだ道を、カインやノルン、バルドランたちが走ってくるのが見える。エリシアもいる。透き通るような銀髪が、薄暗い木立の中で道標みたいに光を引いていた。


「ルーク、今の光見たか!?」


 カインが息を切らして叫ぶ。


「ああ。国境の森だ、いくぞ!」


 エリシアが隣に並走する。新種に変異してから、彼女の動きはもう風そのもので、息ひとつ乱していない。


「ルーク。あの雷光……アウストレア総団長の……」


 碧色の瞳が、祈るように揺れてた。


「分かんねぇ。でも、確かめるしかない」


 ***


 ざわざわと、木々が揺れる。


 魔素の匂いじゃない。血と焦げた鉄と、泥の匂いだ。木立の奥から、ガサガサと足音が聞こえてきた。フェデがピタリと止まる。唸り声は上げてない。尻尾がパタパタと揺れてる。


「……誰だ」


 カインが剣の柄に手をかけた。


 霧の向こうから、人影がヌッと現れた。一人じゃない。十、二十……ボロボロの集団。肩を貸し合い、足を引きずり、折れた槍を杖がわりにして。セカイジュ騎士団の生き残りだ。誇りも威厳もない、泥だらけの姿。


 そして——


 その集団の先頭に。


 巨木が歩いてきたのかと錯覚するほどの、圧倒的な威圧感。


「……遅いぞ、若造ども」


 地鳴りみたいな声だった。


 俺は、息を呑んだ。


 鎧の右半分は完全に砕け散って、焦げた素肌がむき出しになってる。右目があった場所には血に染まった包帯が巻かれ、隻眼になっていた。マントなんてただの焦げた布切れだ。満身創痍。立っているのが奇跡みたいな状態なのに——


 残った左の目が、ギラギラとしてた。


 狂気みたいに、いや、それ以上に純粋な闘気で、俺たちを睨みつけてた。


 雷神。セカイジュ騎士団総団長、アウストレア・ラインハルト。



「そ、総団長——っ!」


 カインが、子供みたいに叫んだ。剣を取り落として、泥だらけの地面を転がるように走って——そのままアウストレアの分厚い胸にドンッとぶつかって、わんわんと泣き出した。


「総団長ぉぉっ!! 生きて……っ! あんた、あの時……っ!」


 鼻水と涙でぐしゃぐしゃになった顔を押し付けてる。普段なら見苦しいって怒鳴られるところだ。


「……ふん」


 アウストレアは、無骨な大きな手で、カインの頭をガシッと掴んだ。


「泣く暇があるなら、剣を拾え。馬鹿者が」


 口調は厳しい。でも、その手はどこか不器用に、カインの頭を撫でていた。


「だって……だって……!」


「地獄の淵まで行ったがな。閻魔の野郎に『貴様にはまだ仕事が残っている』と追い返されたわ」


 にかっ、と。あの厳格な総団長が、血だらけの顔で、不敵に笑った。


 ありえないだろ。あんな魔族のど真ん中で殿を務めて、生きて帰ってくるなんて。どんだけ規格外なんだ、このおっさんは。


「アウストレア様……!」


 エリシアが一歩前に出る。声が、震えてた。


 アウストレアの隻眼が、エリシアの銀髪と碧眼を捉える。一瞬、驚きに目を見開いたが——すぐに、小さく頷いた。


「どうやらそちらも、一筋縄ではいかなかったようだな、勇者殿。……いや、今はただの、エリシアと言うべきか」


「私は——」


「よい。生きて立っている。それだけで十分だ」


 総団長は背後の兵士たちを振り返った。


「バルドラン!」

「おう! ここにおるぞ、アウストレア!」


 ドワーフの工兵長が、ずんぐりした体を揺らして前に出る。


「負傷者の手当てを頼む。ひどい有様だが——誰一人見捨てるつもりはない」

「任せとけ! 儂の盾の裏なら、死神でも手は出せんわい!」


 ノルンもすぐに駆け寄ってくる。


「わ、わわっ、ひどい怪我……すぐに結界張りますね! 教会の秘薬、全部持ってきますから!」


 尻尾をバタバタさせながら、生き残りの兵士たちに回復魔法をかけ始めた。


 俺は、ただ立ち尽くしてた。


 王城の炎の中で、アウストレアが雷柱になって消えた時の光景が、まだ目に焼き付いてる。俺たちを逃がすために、死を覚悟した背中。


「……総団長」


 ようやく、声が出た。


 アウストレアが、ゆっくりと俺の方を向く。威圧感が肌をビリビリと刺す。アルクの雷とは違う、重くて硬い、本物の戦士の気迫ってやつが。


「ルーク」

「……はい」

「お前が、エリシアを救い出し、この者たちをここまで導いたのだな」

「……俺は、何も。オスカー副団長を連れ戻せなかった。逃げるだけで精一杯で」


 上官である彼に、何の言い訳もできない。拳を握りしめた。右腕に激痛が走るが、そんなのどうでもいい。


 アウストレアは俺の前に歩み寄って——無傷な左手で、俺の肩をドンッと叩いた。


「それが、どうした」


「え……」


「生き延びたのだろう。お前も、仲間も。なら次は勝てばいい。それだけのことだ」


 重く、熱い言葉だった。


「オスカーの事は……私に責任がある。あの馬鹿が道を誤る兆候に、気づけなかった私のな」


 隻眼の奥に、一瞬だけ深い後悔の色がよぎった。でもそれはすぐに消えて、鋼みたいな決意に変わった。


「だが、まだ終わっていない。あいつは私の部下であり、お前の元上官だ。あんな出来損ないの闇に飲まれたまま死なせるわけにはいかん」


「叩き直す……」


「そうだ。あいつは国を焼き、父と兄を手にかけた。魔王軍の副将として、世界を終わらせる側に立った。だからこそ、私が——私たちが、引導を渡さねばならん。いや……叩き直してやるのだ」


 胸の奥で燻っていた火種に、ガソリンをぶちまけられたような気がした。


 そうだ。殺すんじゃない。ぶっ飛ばして、目を覚まさせて、こっち側に引きずり戻すんだ。そのために三日三晩、アストラの鞘をこじ開ける特訓をしてきたんだから。


『へっ、やっぱりこのおっさん嫌いじゃねぇぜ』


 ヴァルが嬉しそうに言う。


『雷と土の重み……まさに不動の陣ですね』


 ラグも感心したように呟く。


「……はい。俺もそのつもりです。あの大馬鹿野郎の黒い炎、ぶち抜く準備はできてます」


 総団長の目を見て、はっきりと答えた。


 アウストレアの口角が、さらに吊り上がる。


「いい面構えになったな、ルーク。あの時の、ただ力を隠して怯えていた若造の顔ではない」


 総団長はカインの頭から手を離し、生き残った兵士たち、そして野良小隊の面々をぐるりと見渡した。


「聞け! 誇り高きセカイジュの騎士たちよ! そして、世界を守る者たちよ!」


 森中に、雷鳴のような声が響き渡った。負傷してうずくまっていた兵士たちが、顔を上げる。


「我らは敗れた! 王都を失い、多くの同胞を失った! だが、我らの命脈は尽きておらん!」


 総団長が、残った左拳を天に突き上げる。


「この地、グレイウッドを足がかりとする! 泥を啜り、血を流し、地獄の底から這い上がってきた我らの意地——魔王の犬どもに教えてやるのだ!」


「おおおおおっ!!」


 カインが吠えた。バルドランがハンマーを地面に叩きつける。生き残りの兵士たちが、涙を流しながら剣を掲げた。


 空気が、震えてる。


 絶望で塗りつぶされてた空気が、たった一人の男の帰還で、完全に塗り替えられてた。


「待たせたな。反撃の時間だ」


 アウストレアが、俺に向かってそう言った。


「……ええ。やりましょう。全部、取り返しに」


 右腕の痛みを忘れて、俺は笑ってた。心臓の奥の精霊王核が、熱く脈打つ。もう、隠蔽なんていらない。


「総団長、体の治療が終わったら、作戦会議ですね」


 エリシアが凛とした声で言う。その手には、いつの間にか光の粒子が収束して、弓の形を作り出しつつある。魔法剣士兼アーチャーとしての、新しい彼女の力。


「ああ。正面から馬鹿正直に突っ込むつもりはない。奴の裏をかく」


 アウストレアの目が、鋭く細められた。


「裏をかく?」


「オスカーは、私が教えた陣形も戦術も、全てを知り尽くしている。だからこそ——奴が『まさか使わないだろう』と高を括っている道を行く」


 俺は、少し前の記憶を引っ張り出す。まさか。


「……王都の、地下水路ですか」


「ご名答だ。かつてあいつが清掃し、熟知しているがゆえに、油断する道だ」


 ニヤリと笑う総団長。


 なるほどな。俺がスライムの詰まりをぶっ飛ばして、無駄に頑丈にしちまったあの地下水路か。あそこなら、魔王軍の監視網を抜けて、王都の中枢まで一気に潜り込めるかもしれない。


「囮は私が務める。残存兵力を集め、正面の門を派手に叩く。……その隙に、ルーク、お前たちが少数精鋭で裏から潜入しろ」


「俺たちが……潜入」


「そうだ。そして、玉座にふんぞり返っているあの馬鹿の頭を——思い切りカチ割ってこい。いや、救い出してこい」


 自然と笑みがこぼれた。完璧だ。正面から派手に暴れる雷神と、裏からこっそり忍び込んで大将首を獲る野良部隊。


 カインが横で、自分の剣を見つめながらニヤッと笑う。その剣には、型にはまらない荒々しい炎がゆらゆらと纏わりついていた。


「俺はもう、副団長の真似はしねえ。俺のやり方で、あの人を止める!」


 不格好で泥臭い、けど熱量は本物だ。


「わかりました。その役目、喜んで引き受けます」


 夜明けの光が、森の木々を少しずつ照らし始めていた。


 敗走の夜は、終わった。ここからが——俺たちの本当の戦争だ。


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