表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

202/214

第201話  瞬閃(ブリンク)

 感覚、ない。


 指先から肩まで、痺れどころじゃない。もう自分の腕じゃない気がしてる。泥水吸ったボロ雑巾のほうがまだマシな動きをするんじゃないか、ってくらいに。


 息するたびに、肺の奥から鉄の味が上がってくる。鉄というか、錆びたやいばみたいな。


 三日。いや、もう四日目の朝か。空が白んでるのか、俺の目が霞んでるのか、それすらよくわからない。


 ただ、立ってる。今はそれだけで精一杯だ。


「……はぁ、っ、はぁ……」


 アストラの鞘を、死に物狂いで握りしめてる。世界樹の枝から削り出したっていう、無駄に頑丈な木の棒。こいつが今、鉛の塊みたいに重い。親指の付け根、皮がめくれて、肉が透けて見えてる。つかに血が張り付いてねっとりする感触が気持ち悪い。でもその痛みがなかったら、俺の意識なんてとっくに霞みの向こうに溶けてたと思う。


『おやかた、足元が浮いとるぞ。根を張れ。地を掴め』


 地面から響くような声。オルドだ。こいつの低い声を聞くたびに、ちょっとだけ重心が戻る気がする。俺のブーツの横、小さな土のゴーレムが、心配そうに……いや、厳しく俺を見上げてた。


「わかっ……てる」


 喉が焼けてて、声を出すのも億劫だ。


 目の前には、手ごろな大きさの岩。演習場の隅っこに転がってたやつを、オルドに運んでもらった標的だ。


 こいつを、壊しちゃいけない。


 粉々にするだけなら簡単だ。力任せに霊素をぶち込んで、アストラの封印を無理やりこじ開けて、中のデタラメなエネルギーを暴発させれば、岩どころかこの演習場ごと更地にできる。でもそれじゃダメなんだ。俺がやりたいのは破壊じゃないから。


『……焦げ臭いですね、ルークさまの霊素。雑念が混じると、水は濁りますよ』


 ふわりと浮かぶ水球の中から、ラグが冷ややかな目を向けてくる。人魚の尾ひれをピチッと弾いて、俺の頬に冷たい水滴を飛ばしてきた。


 つめてぇ。目が覚める。


『ルークさま。あなたが求めているのは「奔流」ではなく「水圧」でしょう? 押し流すのではなく、弾く。そのイメージが、まだあなたの身体という器に馴染んでいません』


「厳しいねぇ……ラグ先生は」


 軽口を叩く余裕なんてないけど、でも言ってることは正しい。


 頭ん中にあるのは、あの黒い炎だ。


 オスカー・ヴァルド・ガルドリアン。


 ガルドリア王国の第二王子で、俺たちを泥まみれにしごいた鬼上司で、今は魔王軍の副将になっちまった、あの馬鹿野郎。あいつが纏ってる黒炎は、すべてを焼き尽くす拒絶の壁だ。中途半端な攻撃じゃ届かない。かといって全力でぶち抜けば、中身のオスカーごと消し飛ばしちまう。


 殺したいわけじゃない。


 ぶん殴って、目を覚まさせて、こっち側に引きずり戻したいだけだ。


 だから必要なのは殺傷力じゃない。圧倒的な「拒絶力」だ。あいつの拒絶を、さらに強い拒絶で弾き飛ばす。俺のアストラで、あいつの魔剣を叩き折るんじゃない。弾くんだ。


『気合だぜ、旦那! ビビッときてんだろ!? あと一歩、いや半歩だ!』


 アルクが火花を散らして、俺の髪の毛の中で暴れ回る。静電気でバチバチ痛い。


 あと一歩。感覚的には、もう掴みかけてる。


 アストラの鞘と刀身。その隙間を、ほんの数ミリだけ開ける。そこから漏れ出す星の光を、拡散させる前に、無理やりやいばの形に固定する。抜くんじゃない。漏らすんだ。ダムを決壊させるんじゃなくて、高圧放水のノズルみたいに絞り出す。


『風を読むのです、我が王。力は外へ向かおうとします。それを内へ、内へと巻き込むのです。竜巻の目のように』


 フィオが肩にとまって、さえずるみたいに言った。


 内へ、巻き込む。


 そうか。外へ放つんじゃない。鞘の入り口で、爆発を「飼いならす」んだ。


「……ふぅ」


 息を吐き切る。肺の空気を全部入れ替えるみたいに。


 イメージしろ。


 オスカーの顔。完璧であろうとして、誰よりも強くあろうとして、結局全部ひとりで背負い込んで、そのまま潰れちまった、あの不器用な男の顔。王都の玉座で、虚ろに笑ってたあいつ。


 ふざけんなよ。なにが「幸せだ」だよ。あんな顔して、幸せなわけあるか。


 全部、弾き飛ばしてやる。お前のその分厚い鎧も、黒い炎も、くだらない劣等感も。全部まとめて、俺が弾く。


「……いけッ!」


 親指に、渾身の力を込めた。


 つばを弾く。


 カチリ、と。小さな音。


 その瞬間、世界がスローモーションになった。鞘の鯉口が、ほんのわずかに浮く。そこから目が眩むような純白の光が溢れ出そうとする。星の命。世界樹の奔流。普段なら、こいつに押し負けて腕ごと吹っ飛ばされる。


 でも今は違う。


 逃がさない。


 溢れようとする光を、俺自身の霊素で包み込む。フィオが言ったみたいに内側へ巻き込んで、形を作る。拡散するな。固まれ。鋭く、重く、硬質な「衝撃」になれ。


『今だ! ルーク!』


 ヴァルが叫んだ。


 俺は右腕を振り抜く。アストラを、鞘のまま。刀身は抜いてない。ただ、鞘の隙間から漏れた光が、一瞬だけ、カミソリみたいに薄く鋭い閃光になった。


 ――《瞬閃ブリンク


 音は遅れてやってきた。


 ズンッ!!


 空気が破裂するような重低音。俺の目の前で、空間そのものが歪んだように見えた。光のやいばが、標的の大岩に激突する。


 砕けるか?


 いや。


 大岩は、巨人にデコピンされたみたいに、一瞬で視界から消えた。


 ドォォォォォ……ン!


 はるか後方、演習場の端にある森の木々が何本かなぎ倒される音がする。


 俺は呆然と、目の前の空間を見つめた。岩があった場所には何も残っていない。粉塵すら舞っていない。地面には扇状に抉られた跡がついてるけど、爆発の跡じゃない。何かが、とてつもない速度で滑っていった跡だ。


『……やりやがったな』


 ヴァルが、俺の足元でニヤリと笑った。


 俺はよろよろと、岩が飛んでいった方向へ歩いた。五十メートルくらい先。なぎ倒された木々の奥に、その岩はあった。半分土に埋まってるけど、形はほぼ原形のままだ。表面に細かいヒビは入ってるが、粉砕はされてない。ただ、そこにあったはずのものが、理不尽な力でどかされた。それだけだ。


「……できた」


 膝から力が抜けて、そのまま崩れ落ちた。泥水が冷たい。でも今は、それが心地いい。


 右腕の感覚は相変わらずない。肩から先が痺れて、自分の腕じゃないみたいにぶら下がってる。血管が何本か切れたかもしれない。


 でも、手応えはあった。


「わふぅ……」


 フェデが鼻を寄せてきた。俺の顔を舐めて、泥を落としてくれようとしてる。くすぐったい。俺は動かない左手で、フェデのもふもふの毛並みを撫でた。


「ありがとな、フェデ。……心配かけた」


『見事です、ルーク様。氷のように澄んだ、迷いのない一撃でした』


 フロスが雪ウサギの姿で、ちょこんと俺の膝に乗ってくる。冷たくて気持ちいい。アイシング代わりになりそうだ。


『まあ、合格点じゃな。ちっとばかし地面を抉りすぎじゃが、そこは愛嬌じゃ』


 オルドが地面を均しながら笑う。


『あーあ! オレも混ざりたかったぜ! 次はオレの雷も乗せてくれよな!』


 アルクが飛び回る。元気だな、こいつは。


 俺は泥だらけのまま、空を見上げた。雲が流れていく。三日三晩、長かったような、一瞬だったような。でもこれでようやく、スタートラインに立てた気がする。


 待ってろよ、オスカー。お前がどれだけ頑丈な殻に閉じこもろうが、何度でも叩いて、こじ開けてやるからな。上官命令だか王族の誇りだか知らないが、そんなもん、この《瞬閃》で全部ひっくり返してやる。


 ふと、視界の端で何かが光った気がした。


 西の空だ。


 夕暮れじゃない。まだ朝だ。なのに西の空が暗く淀んでいる。魔王軍が支配する領域、ウェストフォールからの瘴気。いつものことだ。でも、光ったのはその暗闇の中だった。


 チカッ、と。


 青白い閃光。


 雷?


 いや、ただの雷じゃない。もっと鋭くて、意思があるみたいな光だ。距離にして数百キロは離れてるはずで、ここから見えるはずがない。なのに、俺の胸の奥、精霊王の核がドクンと跳ねた。


「……なんだ?」


 目を凝らす。フェデも低く唸り声を上げて、西を睨んでいる。尻尾がピンと立ってる。警戒してるのか? いや、違う。これは……興奮?


 精霊たちもざわめき出した。


『……風が、騒いでおります』


 フィオが低い声で呟く。


『ただの雷雨ではありません。この波動……知っている気がします』


 ラグが水球の中で身を乗り出す。


 また、光った。今度はもっと強く。空を引き裂くような、青い一閃。


 遠い遠い、国境の向こう側。死地と化したはずの場所から、何かが近づいてくる。


 まさか。


 ありえない。


 あそこにはもう誰もいないはずだ。生き残った者はみんな、俺たちが連れて逃げた。残ったのは魔王軍と……死者だけだ。なのに、なんだ、あの光は。死人があんな、目を焼くような眩しい光を放つわけがない。


 俺は痛む体を無理やり起こした。


 何かが来る。


 絶望か。


 それとも――。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ