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第197話  学者の診断

 朝の光ってやつは、どうしてこう空気を読まないんだろう。


 カーテンの隙間から差し込む陽射しが、泥の底みたいに眠っていた俺のまぶたをこじ開けてくる。昨日の今日だぞ。国が焼かれて、這いずって逃げてきて、夜通し泣いたり笑ったり秘密をぶちまけたりした、その翌朝だ。もう少し曇ってくれてもいいだろうに。どんよりした雨空くらい、当然の権利だろ。


 宿屋《月下葡萄亭》の一室。きしむ体を無理やり起こして、隣のベッドに目をやった。


 銀色がいた。


 非現実的な、銀。白金プラチナだった髪が、月光をそのまま糸にして織り込んだみたいな透き通る色になっていた。肌は焼き物みたいに白くて、ほんのかすかに発光している。血管の代わりに光の粒子が流れてるんじゃないかってくらい。ただ眠っているだけなのに、そこだけ空気が澄んでいて、ちりひとつ近づけない。聖域だ。まるで。


 エリシアだ。いや、昨夜まで俺が知っていた彼女とは、もう別の生き物だと思う。俺が禁忌を犯して注ぎ込んだ命(霊素)が、彼女を「人」の枠からはみ出させてしまった証拠だった。


 コンコン、と遠慮のないノックが響く。


「入るぞ、若造」


 返事する間もなくドアが開いた。ボサボサの白髪頭に丸眼鏡、いつ洗ったかわからんローブを引っかけた老人——植物学者のギルベルト爺さんだ。王都から調査という名目でついてきて、あの地獄の撤退戦もドワーフの荷車に揺られながら生き延びた、しぶとい爺さん。


「おはようございます、ギルベルトさん。生きてましたか」

「挨拶はいい。それより患者の様子は——」


 言葉が止まった。


 カラン、と乾いた音がして、爺さんの手から杖が床に転がった。


 エリシアが、ゆっくりと身を起こしたところだった。銀の髪がサラリと流れ、星空を映したような深いあお色の瞳がギルベルトを捉える。その瞬間、部屋の空気が変わった。朝の光よりも鮮烈な何かが、彼女を中心にゆっくりと渦を巻く。生命、とでも呼ぶしかないものが。


「……なん、じゃ……これは」


 学者の顔じゃなかった。未知の怪異に遭遇した探索者みたいに引きつって、それでもふらふらと近づいていく。震える手で懐から測定器を取り出す。水晶と歯車がごちゃごちゃついた年代物だ。エリシアに向ける。


 ジジジ、キュイイイイン!


 測定器が悲鳴みたいな高音を上げた。針が狂ったメトロノームみたいに左右へ激しく振れて、定まらない。


「……ありえん」


 額に脂汗が滲んでいた。


「エルフの波長ではない。人間でもない。精霊そのものでもない……! 魔素の汚染反応はゼロ……むしろ、清浄すぎて計測器がバグっておる」


 測定器を放り出して、エリシアの周りをぐるぐる回り始めた。完全にマッドサイエンティストの目だ。


「純度が高すぎる。霊素の密度が、生物の限界を超えて凝縮されておる。……文献はおろか、古代の神話にすら記述がない。これは……世界でただ一人の、『未知の種族』じゃ」


 未知の種族。


 四文字が、腹の底にずんと落ちてくる。やっぱり、ただ治しただけじゃ済まなかった。爺さんの矛先がガバッとこっちに向いた。


「おい若造。……お前さん、一体何をした?」


 視線を逸らす気にはなれなかった。


「……輸血、みたいなもんですかね。俺の霊素がちょっと余ってたんで、足りない分を補給したというか。あいつの呪いを焼くために、俺の中にあるものを全部」

「全部、だと?」

「ええ。そうしたら、こうなった」


 爺さんが絶句した。数秒、口をパクパクさせてから、胸ぐらを掴みかからんばかりの勢いで詰め寄ってきた。


「ふざけるなッ! 量が問題ではない! これは『質』の話じゃ!」


 唾が飛んできそうな剣幕だ。


「貴様の霊素が、ただ『量が多い』だけの代物だと思っているのか!? ワシは前に一度、お前の波長を見たことがある。あれは……ただのエネルギーではない。根源的な『生命のシード』そのものじゃ!」


 ドキッとした。


 さすがは王都きっての学者だ。俺の正体——精霊王の核を持っていること——まではさすがに気づいていないようだが、「俺の霊素が普通の人間とは決定的に違う」という核心には、もう触れている。


「治療ではない。……創造じゃ。器が壊れかけたから、より上位の素材で作り直したに等しい。……お前さんは、名もなき高位種を、この世に生み出してしまったのかもしれんのだぞ!」


 創造。


 神様じゃあるまいし、そんな大層なことをしたつもりは全然ない。ただ、死なせたくなかっただけだ。それだけだったのに。冷や汗が首筋をつうっと伝っていく。


 その時、ふわりと銀色の髪が揺れた。


「……ギルベルト様、ルークを責めないでください」


 エリシアの声だった。前よりも、鈴を転がしたような透明感が増している。


「私は、怖くはありません。……この力は、ルークがくれた命そのものですから」


 自分の手——白く発光するその手を、愛おしそうに見つめた。


「あなたが分けてくれた魂が、私の中で息づいている。……そう思うと、どんな姿になろうと、嬉しくてたまらないんです」


 聖母かよ。


 そんな顔で言われたら、俺が罪悪感で死にそうになるだろ。


「……喉が渇きましたね。お水をいただけますか?」


 エリシアが微笑んで、サイドテーブルの水差しに手を伸ばした。陶器のコップを手に取り——。


 パリンッ。


 乾いた音。コップが粉々になっていた。握ったわけじゃない。ただ指を添えただけに見えたのに。


「あ……」


 エリシアが目を見開く。水が床にこぼれ落ちていく。


「ご、ごめんなさい。また……」

「また?」

「朝から、これで三個目なんです。……力の加減が、うまくできなくて」


 Sランク上位、下手すりゃ勇者時代の倍以上の身体能力だ。コップなんて薄皮一枚みたいなもんだろう。慌ててタオルを探した。


 エリシアが、こぼれた水を拭こうとして一歩踏み出す。


 その瞬間だった。


 ポン。


 素足が触れた床板の隙間から、かわいらしい音がして、新芽が飛び出してきた。見る見るうちに茎が伸び、白い花が咲く。屋内だぞ。乾いた木の床からだ。


「ええっ!?」


 エリシアが驚いて足を引っ込める。するとかかとが触れた場所から、今度は緑のつたがにょきにょきと伸び始めた。


「ど、どうしましょうルーク! 歩くだけで、お花が……!」

「落ち着け、エリシア! 意識して霊素を抑えるんだ!」


『あーあ、こりゃひでぇ』


 懐から飛び出した雷のアルクが、バチバチと火花を散らしながら爆笑している。


『歩く植物園だな! 旦那の霊素が濃すぎて、周りの自然を強制的に元気にしてやがる!』

『笑い事ではありませんよ』


 氷のフロスが、呆れたようにため息をつく。


『制御には時間がかかりますね。ルーク様の力は、本来の世界のことわりを書き換えてしまうほど強力ですから』

『やれやれ、わしの出番かのう』


 土のオルドが床板からぬぅっと顔を出し、生えたばかりの花を慈しむように撫でた。


 ギルベルト爺さんは床から生えた花をむしり取り、匂いを嗅いで、それから呆れたように俺を見た。


「……やはりな。ただのエルフではない。お前さんのデタラメな生命力が、彼女の中で暴走しておる」


 杖を拾い上げ、深いため息をついた。


「若造。お前さんの正体について、ワシはこれ以上突っ込まん。……知ってしまえば、王都の研究者として報告義務が生じるからな」


 爺さんの目が鋭く光った。でもどこか——共犯者みたいな色だった。


「だが、これだけは言っておく。……その娘はもう、人の枠には戻れん。その責任、最後まで取れるんだろうな?」


 俺はエリシアを見た。


 銀色の髪を揺らし、自分の足元で咲き乱れる花に困惑している彼女。俺が変えてしまった運命。でも、生きてる。あの夜、冷たくなっていた手が、今はコップを砕くほど力強い。


「……ああ。当たり前だ」


 少し、間があった。


「俺がやったんだ。最後まで、俺が背負う」


 爺さんが鼻を鳴らした。「フン、口だけは達者じゃな」。背を向けて歩きながら、ぼそりと言う。


「……やれやれ。魔王を倒す前に、この宿が植物園になりそうじゃな」


 その背中が、少しだけ震えているように見えたのは気のせいか。


 全くその通りだ。でも、こうしてドタバタと騒げることが、今の俺には何よりの救いだった。泥だらけの敗走から一夜。国も仲間も、まだ何一つ取り戻せていない。


 あの、くそ真面目な上官殿も。


 オスカー。大馬鹿野郎め。


 お前が捨てたもんを俺たちが拾い集めて、必ずお前の顔面に叩きつけてやる。覚悟して待ってろよ。


 暴れる観葉植物を押さえつけながら、心の中でそう誓った。


 準備して、飯を食って、特訓して。


 必ず、あいつをぶん殴りに行く。


 さあ、反撃だ。



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