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第196話  告白の夜

 夜の底は、ひどく深い。


 窓の外じゃ兵士たちの怒号が止まない。荷馬車の車輪が石畳を削る音が、地の底からじわじわと這い上がってくる。グレイウッドは変わっちまった。俺が愛した、あのあくびが出るほど静かな田舎町じゃない。今はもう、煉瓦れんがのひとつひとつに硝煙と鉄錆と乾いた血が染み付いた、無骨な砦だ。


 それでも、この部屋だけが——ギルドの会議室だけが、世界の裏側みたいにしんと静まり返っていた。


 古い木の椅子が、誰かが身じろぐたびに悲鳴みたいな音を立てる。テーブルには数えきれないほどの傷跡。ランプの芯がチリッとぜるたびに、壁の影がゆらりと揺れた。


 カイン、ノルン、エリシア、アリス。バルドランの親父さん、リュシェルさん、セレノ、ガルナさん。足元じゃフェデが泥だらけの毛皮を敷物みたいに広げて、のんきに寝息を立ててる。

 

 包帯の白さだけが妙に痛々しい。服はすすと泥で元の色がわからなくなってる。でも目だけが生きてた。さっき無理やり腹に押し込んだスープの熱が、そこにだけ宿ってるみたいに。その目が、一斉に俺を射抜いていた。


「……さて」


 座ったままじゃ言葉が喉に詰まりそうで、立ち上がった。手近なコップを掴んで水をあおる。生温なまぬるい。井戸から汲んでだいぶ経った味だ。でも今夜だけは、その不味さが妙にありがたかった。現実に引き戻してくれるような、そんな気がして。


「飯も食った。これからの話をしよう。……でもその前に、吐き出しとかなくちゃいけないことが一つある」


 誰も口を挟まなかった。視界の端で、カインがテーブルの上の拳をぎゅっと握るのが見えた。エリシアの髪——透き通るような銀色に変わってしまったそれが——ランプの光を吸って、不思議な色を放っている。


 息を吸う。


 胸の奥底にヘドロみたいに沈殿してた塊を、無理やり言葉の形に叩き直す。


「隠し事は、もうなしだ」


 声が、自分でも気味悪いほど落ち着いていた。


「俺は……この世界の人間じゃない」


 言っちまった。


 空気が凍るか、それとも弾けるか——身構えたけど、誰も動かない。静かな湖面みたいな瞳で、ただ俺を見つめ返してくるだけだ。


「転生者、っていうらしい。前の世界で死んで、気づいたら世界樹の根元に転がってた。そこで頼まれたんだ、世界樹に」


 一度口火を切ったら止まらなかった。せきを切った泥水みたいに、全部が溢れ出してくる。世界樹との契約。スローライフを条件に引き受けたこと。星霊剣アストラのこと。魂に刻まれた《精霊王核》のこと。


「ギルドの魔力測定器を壊したのも、事故じゃない。俺だ。俺の力が規格外だったから、針が振り切れたんだ。……ずっと黙ってた。面倒ごとに巻き込まれるのが嫌で。ただ、楽に生きたかっただけで」


 全部、さらけ出した。オスカーが闇に堕ちた時、俺が全力を出せなかった理由も。正体があらわになれば世界樹の封印が瓦解して、魔王が即座に目覚めるかもしれなかったこと。俺の迷いが、あいつを追い詰めた一因かもしれないこと。


「……すまん。もっと早く、腹をくくってれば」


 頭を下げた。視界が床の木目だけになる。


 怖かったんだ。化け物と指さされるのが。信頼が軽蔑に変わるのが。剣を振るってても、結局は保身ばかり気にする臆病者のままだったんじゃないかって——そればかり、ぐるぐると。


 重い沈黙。


 チリッ、とランプの芯がまた爆ぜた。


「……ぷっ」


 顔を上げる。カインだ。黒髪をガシガシとかきむしりながら、肩を小刻みに揺らしてやがる。


「ははっ! なんだよそれ! いまさらだろ!」

「……え?」


「知ってたさ。理屈はわかんなかったけどよ、薄々はな。お前がただのDランクなわけねぇって、ずっと思ってたよ!」


 ガタッと椅子を鳴らして身を乗り出す。軽蔑の欠片もない。あるのは悪戯が見つかった悪ガキみたいな、ニシシとした笑みだけだ。


「フェデみたいなデタラメな犬連れてて、誰もいない虚空に向かってブツブツ話しかけてることもあったし。騎士団の訓練でも手加減バレバレでさ。俺が気づいてないとでも思ったか? バカにすんなよ!」


「……カイン」


「俺はな、ルーク。お前が何者だろうとどうでもいいんだよ。剣を教えてくれた。戦場で背中を守ってくれた。……それで十分だろ」


 隣でノルンが、ふあぁ、と大あくびをした。緊張感のかけらもない。


「やっと言いましたねぇ、ルークさん」


 キツネ耳をぴこぴこ動かしながら、気だるげに頬杖をつく。


「教会の魔力測定で最初っから水晶にヒビが入るような数値だったんですよぉ。報告義務? ありましたけどぉ、なんか書類書くの面倒くさくてごまかしちゃいました。ルークさんが解剖台に乗せられるの、見たくなかったですし」


「ノルン、お前……」


「それに」


 薄目を開けて、ニヤリ。


「ルークさんはルークさんでしょ? 精霊の王様だろうが何だろうが、ご飯食べて『うめぇ』って言ってる顔は人間そのものでしたから」


 アリスが眼鏡のブリッジをくいっと押し上げた。


「んー、私はちょっと中身を見てみたいかな! うそうそ。でも納得したよ。ルークくんの術式、今の魔導の理屈じゃ説明つかないことばっかりだったし。未知への探求対象として最高だね!」


「儂は、地面の声でわかっとったわい」バルドランの親父さんが立派なヒゲを撫でて、重々しく頷く。「大地がお前さんに懐きすぎとる。あんなに足場が勝手に固まる人間は、おらんわ。……背負うもんがデカすぎて大変じゃのう、若造」


「アタシは細かいこたぁわかんねぇけどさ!」ガルナさんがテーブルをバンと叩いた。「強いならそれでいいじゃんか! むしろ頼もしいよ。大将が神様クラスって、最高の話のタネだよ!」


 壁に寄りかかって腕を組んでいたセレノが、ふっと息を吐いた。


「……直接話す機会は少なかったが、ずっと見ていたよ。君の周りだけ、風の流れが不自然に『凪いで』いたからな」


 射抜くようなみどりの瞳が、俺を見る。


「風使いとして、最初は正体不明の危険因子だと思っていた。……だが、君の風には嘘の匂いがしなかった。隠し事はしていても、悪意で俺たちを騙そうとはしていなかった。……風は、正直だからな」


 リュシェルさんが、静かに微笑んだ。「私は龍人として、古い盟約の匂いを感じていました。……おかえりなさいませ、古き王よ。いえ——今はルーク様とお呼びするべきですね」


 誰も、拒絶しなかった。化け物扱いも、しなかった。ただ「ああ、そうか」って——雨が降れば濡れるのと同じくらい当たり前の話として、飲み込んでくれた。


 胸の奥が熱くなる。こみ上げてくる何かを堪えるために、奥歯をぎりっと噛んだ。


『ケッ、心配しすぎなんだよルークは』


 懐から赤い光が漏れた。ヴァルだ。子狐の姿でひょっこり顔を出して、テーブルへ軽やかに飛び乗る。


『オレたちがついてる人間に、悪い奴がいるわけねぇだろ? なぁみんな!』


『……同意します。ルーク様は、心配性すぎです』水の人魚ラグが、重力なんてないみたいにフワリと宙に浮く。


『我が王よ。人の絆とは、かくも強きものですな』緑の小鳥フィオが俺の肩に止まって、丁寧に羽根を繕う。


『儂は信じとったぞ』土のゴーレム・オルドがドシッとテーブルに座り、木材が悲鳴を上げた。


『ふふ、皆様驚いていませんね』氷のウサギ・フロスが涼しげに跳ねる。


『ま、旦那の人徳ってやつだな! ビビッと来たぜ!』雷の小竜アルクがバチバチと火花を散らした。


 六体の精霊たちが、狭苦しい会議室を極彩色ごくさいしきの光で埋め尽くした。驚くどころか、みんながわっと歓声を上げて群がっていく。カインはアルクとてのひらをパシッと打ち合わせてるし、アリスはラグを指でつんつんして観察してる。


 なんだよ。


 俺が死ぬほど必死に、胃に穴が開く思いで隠してきた正体なんて——こいつらにとっちゃ、夕飯のメニューくらいの重さだったのかよ。


 力が抜けた。へなへなと椅子に座り込む。


 その時、柔らかい手が俺の手に重ねられた。


 顔を上げる。銀色の髪。星空をそのまま切り取って嵌め込んだような、碧色の瞳。エリシアだった。俺が霊素いのちを注ぎ込んだせいで、彼女の姿は人ならざるものへ変わってしまった。その責任は全部俺にある。償っても、償いきれない。なのに彼女は、聖母みたいな顔で、ただ笑ってた。


「ルーク」


 名前を呼ばれるだけで、胸の芯が震える。


「あなたが何者でも、関係ありません。……あなたは、私を救ってくれました。絶望の淵から、その手で引き上げてくれました。それが全てです」


 手のひらから温もりが伝わってくる。じんわりと、ゆっくりと。


「隠さなくていいんです。背負わなくていいんです。……私たちは、仲間なんですから」


 仲間。


 手垢のついた言葉だと、ずっと思ってた。でも今夜ほどその響きが重くて、温かくて、腹の底にずっしりと落ちたことはなかった。


「……ありがとな」


 声が湿るのを止められなかった。不恰好に笑う。


「ああ。……もうコソコソしなくていいんだな」

「おうよ! 堂々とやろうぜ、大将!」カインがニカッと白い歯を見せた。


 大きく息を吸い込んだ。肺の中に溜まってたおりが、スーッと夜の空気へ溶けていく気がした。


 テーブルに地図を広げる。ガルドリアの地図だ。西の領域は今、不吉な黒で塗りつぶされている。指先でトントン、と机を叩く。


「作戦会議だ。飯も食った。秘密も話した。次は——」


 地図の上の一点を指差す。王都ヴァルドンガルド。そこで待っているはずの、たった一人のバカヤロウの居場所を。


「あいつを、殴りに行くぞ」


 全員が力強く頷いた。フェデが足元で「わふっ!」と吠える。


 夜はまだ深い。でも、ここには確かな灯りがあった。


 黎明は、近い。


 この夜、俺たちは本当の意味で、一つのチームになったんだ。



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