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第120話  ルークの抗議

 扉が閉まる音が、やけに重く響いた気がした。  


 カチャリ、なんて軽い金属音じゃなくて、もっとこう、巨大な鉄の扉が光を遮断して落ちてきたみたいな、そんな絶望的な音。


 残された談話室の空気は、最悪だった。カインは膝の上で拳を握りしめて震えてるし、ノルンはソファの隅っこで耳をぺたんと伏せて、自慢の尻尾を抱きかかえるみたいに丸まってる。  

 無理もない。さっきオスカーが置いていった言葉。あれは、あまりにも綺麗にラッピングされた「死刑宣告」だったから。


「……なんなんすか、あれ」


 カインが絞り出した声は、ひび割れたガラスみたいだった。


「西部国境守備隊って……要は、ラインヴァルト要塞でしょ?あそこ、今一番ヤバい場所じゃないですか。魔王軍の主力が来るって噂だし……それを、本部の援軍なしで?」

「……捨て石、ですね」


 ノルンがポツリと零す。


「ガルドリア王家は、副団長を……オスカーさんを、防波堤として使い潰すつもりです。時間稼ぎのために」


 分かってる。そんなこと、言葉にしなくたって嫌というほど分かってる。  俺の胸の奥、精霊王核とかいう厄介な心臓が、ドクンドクンと嫌なリズムで警鐘を鳴らしてるのがその証拠だ。  

 これは「政治」じゃない。「殺人」だ。合法的な、手続きを踏んだ、誰も文句を言えない殺人命令。


『……ルーク』


 肩の上で、ヴァルが低い唸り声を上げた。いつもなら「腹減った」だの「燃やしてえ」だの喚く炎の塊が、今は静かに、けれど触れたら火傷しそうなほどの熱を帯びている。


『あいつの魂、スカスカだったぞ。中身がねぇ。無理やり笑顔って皮を張り付けただけの、空洞だ。……このまま行かせたら、折れるぞ。いや、もう折れてるかもしれねぇ』

「……ああ」

『どうすんだよ。スローライフがどうとか言って、また見て見ぬふりか?』


 煽るなよ、ヴァル。言われなくても、腹は決まってる。

 俺はソファを蹴る勢いで立ち上がった。膝に乗っていたフェデが「わふっ」と驚いて床に着地する。琥珀色の瞳が、心配そうに俺を見上げていた。


「ルーク?」  


 カインが顔を上げる。


「ちょっと行ってくる」

「どこへ……まさか、本部へ!?」

「当たり前だろ! こんなふざけた話があるかよ! 総団長でも、なんなら王城の使者でもいい、片っ端から文句言ってやる!」


 頭に血が上ってる自覚はある。Dランク上がりの新人が、国の決定に口出し? 処刑されても文句は言えない。

 でも、知ったことか。俺の上司が、あんな能面みたいな顔で笑って「死に場所」なんて言葉を吐いたんだぞ。  

 ここで動かなきゃ、俺は一生、飯を食うたびに砂を噛むような思いをする羽目になる。それだけは御免だ。俺の人生の指針は「美味い飯と安眠」なんだよ。そのためなら、王族だろうが魔王だろうが噛みついてやる。


 俺は寮を飛び出した。夜の風が冷たい。石造りの回廊は静まり返っていて、俺の足音だけがガンガンと頭に響く。フェデが音もなく並走してくる。その金色の毛並みが、月のない闇の中でぼんやりと光って、足元を照らしてくれた。


『旦那、落ち着けって。心拍数上がりすぎだぜ?』  


 雷精霊のアルクが火花を散らしながら飛んでくる。


『血圧あがるぞー?』

「うるさい。止めるなよ」

『止めねぇよ。ただ、あいつ――副団長の旦那、けっこう頑固だぜ? 雷みたいに一直線で、曲がり方を知らねぇタイプだ』


 分かってる。だからこそ、誰かが無理やりねじ曲げてでも止めなきゃいけないんだ。  

 回廊を抜け、中庭を横切り、オスカーの個室がある士官棟のほうへ向かおうとした、その時だ。


「――どこへ行くつもりだ、ルーク」


 夜闇から、声が降ってきた。  

 心臓が跳ねる。中庭の噴水広場。水音だけが響くその場所に、人影が一つ。  

 オスカーだった。彼は噴水の縁に腰掛け、月もない夜空を見上げていた。まるで、そこに来る俺を待っていたかのように。


「オスカーさん……」


 俺は足を止める。息が切れている。でも、目の前の男は、汗ひとつかいていない。涼しい顔で、完璧な制服を着こなして、そこにいた。  

 それが余計に、痛々しい。


「まさか、本部に殴り込みでもかけるつもりか? 君のその、直情的なところは美徳かもしれないが……時と場合によるな」


 淡々とした口調。怒りも、悲しみも、焦燥もない。ただの「音声」が、彼の形をした人形から流れてくるみたいだった。


「……副団長こそ、何してんだよ。こんなところで」

「月を見ていた。……と言いたいところだが、今夜は新月か。何も見えないな」


 彼は自嘲気味に笑う。俺は一歩、踏み出した。距離を詰めなきゃ、逃げられる気がした。


「行くなよ」

「ん?」

「西部だよ! ラインヴァルト! あそこに行けば死ぬって、あんたも分かってるだろ!? 兄上が何だってんだ、王命が何だ! これはただの厄介払いだろ! あんたを見殺しにするための!」


 叫んでしまった。静かな夜に、俺の声が反響する。  

 オスカーは眉一つ動かさなかった。


「……声が大きい。近所迷惑だ」


「ごまかすな! 総団長に言いに行く。セカイジュ騎士団うちはガルドリアの私兵じゃないだろ! 世界を守るための組織だろ! なら、副団長がこんな不当な命令で死ぬのを黙って見てるわけがない!」


 俺は彼の胸倉を掴もうと手を伸ばした。でも、その手は空を切った。オスカーが、スッと音もなく立ち上がり、俺の手首を掴んで止めたからだ。  

 冷たい手だった。死体みたいに、体温がない。


「……ルーク。君は勘違いをしている」


 静かな声。でも、そこには有無を言わせない圧があった。


「セカイジュ騎士団は、確かに超国家機関だ。世界樹を守るために存在する。……だからこそ、一国の防衛戦争には介入できないんだよ」

「は……?」

「今回の命令は、私個人へのものじゃない。『ガルドリア王国軍人』としての私に出されたものだ。騎士団の副団長としてではない」


 オスカーは、俺の手をゆっくりと、でも力強く押し戻した。


「私がガルドリアの盾として、西部の魔王軍を食い止める。……その間、騎士団の本隊は世界樹の防衛に専念できる。理に適っているだろう?」

「理屈なんてどうでもいい! あんたが死ぬって言ってんだよ!」


『おやかた……』


 足元の影から、オルドの悲痛な声が聞こえる。  

 オスカーの霊素が見える。灰色だ。かつて、雪山で部下を鼓舞していた時の熱も。エルフの森で、悔しさに唇を噛んでいた時の人間臭い光も。全部、消えてる。ただの、燃え尽きた灰。


「……ルーク。君は優しいな」


 オスカーは、ふっと笑った。笑ったのに、目が笑ってない。光を吸い込むだけの、深い井戸の底みたいな目。


「だが、これは私が望んだことだ」

「嘘をつくな!」

「嘘ではないさ。……私はね、ずっと探していたんだ。自分が自分でいられる場所を。兄上の影でもなく、勇者の引き立て役でもなく……私だけが輝ける場所を」


 彼は西の方角――深い闇が広がる空を指差した。


「あそこなら、誰も来ない。君も、エリシアも。……私だけの舞台だ。最高じゃないか」

「……死ぬぞ」

「構わない」


 即答だった。迷いのない、透き通るような即答。


「ただの石ころとして生きるくらいなら、一瞬の閃光として燃え尽きるほうがいい。……王族として、騎士として、私は私の死に場所を選んだ。それだけだ」


 ゾッとした。背筋を、氷の指で撫で上げられたみたいな悪寒。  

 目の前にいるのは、俺の知ってるオスカーじゃない。いや、外見はオスカーだ。完璧な笑顔も、優雅な立ち振る舞いも。でも、中身がごっそり抜け落ちてる。  

 そこにあるのは、諦めなんて生易しいもんじゃない。もっとドロドロした、絶望を煮詰めて固めたみたいな虚無。


「……見殺しにする気か! あんた自身を!」


 俺はもう一度、彼に詰め寄ろうとした。力尽くででも、その歪んだ根性を叩き直してやる。精霊王の力を使ってでも。


「止せ、ルーク」


 鋭い声。

 オスカーの手が、剣の柄に掛かった。  

 ジャリ、と金属が擦れる音がして、俺の足が止まる。  


 殺気。  


 本気の、拒絶の意思。


「これは王命だ。従うのが騎士だ。……君がこれ以上騒ぐなら、私は君を斬らねばならない」


 その目は、光を失っていた。俺を映してすらいない。ただ、自分の決めた「破滅」というゴールだけを見据えている目。


『離れてください、我が王』


 フィオが、俺の耳元で警告した。風がざわめいている。


『この男は、もう“聞こえて”おりません。……言葉が通じる領域を、超えてしまっている』


 ああ分かってるよ。分かってるけど、認められるかよ。俺たちが、こんなところで終わっていいわけがないだろ。


「……副団長」


 俺の声は、情けないくらい震えていた。


「俺たち、仲間じゃなかったのかよ」


 返事はなかった。ただ、オスカーの肩が、一瞬だけ震えた気がした。でも、彼はすぐに踵を返した。  マントを翻し、暗い回廊の向こうへと歩き出す。


「……おやすみ、ルーク。良い夢を」


 その背中が、二度と戻らない場所に繋がっている気がして、俺は手を伸ばした。  

 でも、声が出なかった。  

 圧倒的な拒絶。理解の断絶。俺が持っている「力」じゃ、あいつの心の穴は埋められないんだって、残酷な事実を突きつけられたみたいで。


 フェデが、小さく「わおん」と鳴いた。

 それは今まで聞いたことがないくらい、悲しい響きだった。


 俺はただ、遠ざかる足音が闇に溶けていくのを、立ち尽くして見送ることしかできなかった。中庭には、冷たい風だけが吹き抜けていた。


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