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第113話  エルフの森からの帰路

 あれは、地下の空洞から撤収する直前だった。俺たちが慌ただしく撤退準備を進めてる中、オスカー副団長だけがあの気味の悪いパイプのそばに立ち尽くしてた。


 名残惜しいわけじゃないはずだ。あんな汚染された場所、一秒だって長くいたくないだろう。なのに動かない。何かに――吸い寄せられるみたいに。


 瓦礫の隙間に何かが落ちていた。闇の中でそこだけ、濡れたように黒く光る石。俺の位置からは、ただの小石にしか見えなかった。地下工事の残骸か、魔物の排泄物か。どっちにしろ、王族が手にするようなもんじゃない。  

 だけどオスカーは、泥で汚れるのも構わず膝をついて――拾い上げた。

 

 躊躇いも、吟味もなく。まるで、失くしたものをようやく見つけた、みたいな。そんな自然な動作だった。


『……ルーク』  


 肩の上のヴァルが、毛を逆立てて唸る。


『止めろ。あれは……石じゃねぇ。もっと質の悪い、呪いの塊だ』

「え?」

『見ろよ。あの男の指、震えてねぇだろ? 普通なら、あんな禍々しいモン触ったら本能で拒絶反応が出る。なのに、馴染んでやがるんだよ。……最初から、そいつの心の穴にハマる形をしてたみたいにな』


 声をかけようとした瞬間、オスカーは素早くその石をマントの裏に隠した。振り返った顔には、何の感情も浮かんでいない。  

 ただ、「ゴミを拾った」という事実だけを無かったことにして――機械的に号令をかけた。


「総員、乗馬。……戻るぞ」


 ***


 そして今。空模様は、どんよりと曇っている。鉛色の雲が垂れ込めて、今にも冷たい雨が落ちてきそうだ。街道を行く馬の蹄の音だけが、やけに乾いたリズムで響く。カツ、カツ、カツ。規則正しくて、狂いがない。


 音の主は、隊列の先頭を行く男。オスカー副団長の背中は、恐ろしいほど真っ直ぐだった。鎧の継ぎ目が擦れる音すらさせない、完璧な騎乗姿勢。ついさっきまで、世界がひっくり返るような地下パイプを見ちまったってのに。動揺のかけらもない。まるで、中身のない鎧が動いてるみたいだ。


『……おいルーク、ありゃあ不味いぜ』  


 肩の上で、ヴァルが鼻を鳴らす。


『心が消えてやがる。炭になる前の、燃え尽きた灰の匂いだ。……人間ってのは、あんなふうに綺麗に虚ろになれるもんか?』

「……シッ。聞こえるぞ」  


 手綱を握り直しながら、唇だけで返す。


『ルーク様』  


 今度は懐から、水色の髪の少女――ラグが顔を出した。水の上位精霊である彼女は、いつも冷静だけど、その瞳が今は不安げに揺れている。


『あの御方……いえ、オスカー様の霊素の流れ、完全に停滞しています。水面が凍りつくように、感情の流れを無理やり止めておいでです。このままでは、器そのものにヒビが入ってしまいます』


 分かってる。  言われなくても、嫌な予感で胃が痛くなりそうだ。


「……あの、副団長」  


 沈黙に耐えかねたのか、少し後ろを走っていたカインが馬を寄せた。彼は同期の中でも特にオスカーを尊敬していて、今回の遠征でもずっと背中を追いかけていた。


「少し、休憩を入れませんか? 馬も疲れてますし、これからの峠越えに備えて……」  


 気遣いの言葉だった。カインなりの、精一杯の優しさ。だけど、返ってきたのは氷の刃みたいな声。


「却下する」  


 オスカーは振り返りもしない。


「馬の損耗率は計算済みだ。現在の速度なら、日没までに王都外郭へ到達できる。個人の疲労で部隊の足を止めるな」

「っ……はい、すみません……」


 カインが唇を噛んで下がる。その横で、狐耳を伏せたノルンが、心配そうに俺の方を見てきた。彼女の目は「どうにかしてよ」って言ってるけど、どうにもできないよな。  

 だって、オスカーの言ってることは正しいんだ。あの地下パイプ――「第七区」級の魔素供給ラインが見つかった以上、一秒でも早く総団長に報告しなきゃいけない。個人的な感情や疲れなんかで止まってる場合じゃない。それは百も承知だ。


 でもさ。以前の彼なら、もっとこう……。「すまないが耐えてくれ」とか、「あと少しだ」とか、体温のある言葉をかけたんじゃないか?  

 今の彼には、それがない。ただ、任務を遂行するためのパーツとして俺たちを動かしてるだけ。

 ふと、隣に並走していたエリシアと目が合った。彼女もまた、複雑な顔をしている。勇者として、光の加護を持つ者として――人の心の機微には敏感なんだろう。


「……ルーク」  


 小声で呼ばれる。風に乗って、彼女の金色の髪が少しだけ揺れた。


「オスカー様、あんなに無理をして……。あの森で、私を守ってくれた時は、あんなに熱い心を持っていたのに」

「ああ……そうだな」

「私が、声をかけた方がいいかしら? 勇者としてではなく、仲間として」  


 エリシアの手が、迷うように手綱を握りしめる。

 俺は首を横に振った。


「今は、やめておいた方がいい気がする」


 残酷な話だけど、今のオスカーにとってエリシアは「光」そのものだ。眩しすぎるんだよ。自分の惨めさを浮き彫りにする、直視できない太陽みたいなもの。  

 彼女に悪気はない。むしろ、純粋に心配してるだけだ。でも、その無垢な優しさが、今の彼には――毒になるかもしれない。


「……そう。あなたがそう言うなら」  


 エリシアは寂しげに目を伏せた。


『おやかた、おやかた』  


 俺の腰のポーチあたりで、土精霊のオルドがモゾモゾ動いた。


『あの若造の馬の足音が、少し変じゃ。……右手を、離しておるな』

「え?」  


 俺は目を細めて、前を行くオスカーの手元を見た。手綱を握っているのは左手だけ。右手は、ダラリと下げられているわけじゃなく――腰のマントの陰に隠れるようにして、何かを強く握りしめている。

 さっき、洞窟で拾った「あれ」だ。ずっと握ってるのか? あんな、ただの石ころを。


 俺の『目』――精霊視が無意識にピントを合わせる。その右手の周りだけ、空間が歪んで見えた。そこから漂ってくるのは、あの地下パイプで感じたのと同じ――いや、もっと純度の高い「濁った色」だ。

 なんだあれ。見たこともない。王家の紋章が入った護符か何かなら、もっと清浄な気配がするはずだ。自分を落ち着かせるための、お守り?  いや、違う。  あれは、決して騎士が持っていいような代物じゃない。


『旦那、ビリビリきてるぜ』  


 雷精霊のアルクが、俺の耳元で囁く。


『あの右手から、嫌なノイズが聞こえる。雷が落ちる前の、空気が張り詰めるあの感じだ。……弾けるぞ、いつか』


 王都ヴァルドンガルドの城壁が見えてきた。夕暮れ時だというのに、空は茜色には染まらず、どす黒い紫に沈んでいる。まるで、俺たちの帰還を拒んでいるみたいに。巨大な城門が、怪物の口のように開いているのが見える。


 オスカーは一度も振り返らなかった。ただ前だけを見て、機械的に馬を進める。その背中が、俺には酷く小さく――そして遠く見えた。

 かつて泥だらけになって笑い合った、あの熱い男はもういない。そこにいるのは、完璧で、冷徹で、そして誰よりも脆い――硝子細工の指揮官だけだった。


「……帰ってきたな」  


 誰に言うでもなく呟く。

 本来なら、任務を終えてホッとする瞬間のはずだ。美味しい飯を食って、風呂に入って、フェデの腹に顔を埋めて寝る。そんなスローライフの続きがあるはずだった。  


 だけど、予感がする。この門をくぐった先にあるのは、安息なんかじゃない。もっとタチの悪い、ドロドロとした何かが――口を開けて待っている気がしてならないんだ。


 オスカーの手の中にある「黒い何か」が、これから始まる崩壊のスイッチなんじゃないか。そんな想像を振り払うように、俺は馬の腹を蹴った。

 フェデが、足元で小さく「クゥン」と鳴いた。王都の風は、相変わらず冷たかった。


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