第109話 勝利のハイタッチ
ザァァァッ……光の粒が、風に溶けていく。
視界を埋め尽くしていたドス黒い質量――あの守護樹だった怪物は、もういない。あるのはキラキラと舞い上がる金色の粒子だけ。魔素が浄化されて、本来の霊素に戻って空へ還っていく。 映画のラストシーンみたいに、綺麗だった。 肺が焼けるみたいに熱かった空気が、嘘みたいに澄んでいく。
ふぅ、と息を吐くと、喉の奥から鉄の味。 心臓がまだ早鐘を打ってる。ドクン、ドクンって、うるさいくらいに。指先が微かに震えてるのは、アストラの鞘に無理な出力を通した反動か。それとも、ただの武者震いか。 どっちにしろ、立ってるのがやっとだ。
『ルーク、手が焦げてねぇか? あんな無茶苦茶な圧縮、心臓に悪いぜ』
肩の上で、赤い子狐姿のヴァルが鼻をひくつかせている。尻尾の炎も、安堵したみたいに小さく揺れていた。
「……うるさい。焦げてないよ、ちょっと痺れてるだけ」
『無茶をしましたね、旦那』
フードの隙間から、金色の雷竜アルクが顔を出す。いつの間に俺の背中を巣にしてやがったんだ、こいつ。
『でも、最高のタイミングだったぜ! あの盾持ちの兄ちゃんが崩れるコンマ一秒前、そこに合わせて風穴ブチ抜くとか、人間業じゃねぇよ!』
『褒めるところではありませんわ』
冷ややかな声で割り込んだのは、足元に現れた白い雪ウサギのフロスだ。
『あれ以上遅れていたら、ルーク様の霊脈が焼き切れていました。……まったく、寿命が縮む思いです』
『あら、精霊に寿命なんてありませんけど?』
ふわりと宙を泳ぐ人魚のラグが、くすりと笑う。
『おやかた、足場もだいぶ砕けたのう。儂が後で固めておくから、安心せい』
地面から土ゴーレムのオルドがのっそりと顔を出した。
ああ、もう。こいつらときたら。 俺の頭の中は精霊たちの井戸端会議でパンク寸前だけど、不思議と悪い気分じゃない。 なんとか、なったんだ。 誰も死なせずに。正体も、多分バレずに。
目の前には、崩れ落ちた守護樹の残骸。それがさらさらと崩れて、ただの綺麗な土の山に変わっていく。 その向こうで、二つの人影が動いた。
「……ふぅーっ」
長い、長い息を吐いて、オスカーが地面に座り込んだ。 いつもなら泥が跳ねただけで眉をひそめそうな完璧主義の副団長様が、今は全身泥まみれ。自慢の銀鎧なんてベッコベコに凹んでるし、額からは血が流れてる。王族の威厳なんて、とっくにあの瓦礫の下に置いてきたって感じだ。 でも、その顔。 憑き物が落ちたみたいに、晴れやかだった。
「オスカー様……! 傷が……」
エリシアが慌てて駆け寄ろうとして、よろける。魔力切れだ。そりゃそうだろ、あんな特大の聖剣ぶっ放した後なんだから。
「おっと」 俺はとっさに手を伸ばして、彼女の背中を支えた。 軽い。勇者なんて仰々しい肩書き背負ってるけど、中身はただの華奢な女の子なんだよな。
「あ……ありがとう、ルーク」
エリシアが見上げてくる。翠の瞳が、涙で潤んでキラキラしてた。
「私……怖かった。剣が届かないんじゃないかって。でも、オスカー様が支えてくれて、あなたが道を作ってくれたから」
「俺は何もしてないよ。ただのまぐれ当たりだ」
いつものように誤魔化そうとしたけど、今日ばかりは、その言葉が上滑りした気がした。
地面に座り込んだままのオスカーが、俺を見上げてる。 その目が、笑ってたんだ。 皮肉でも、自嘲でも、作り笑いでもない。腹の底から湧き上がってきたみたいな、混じりっ気なしの笑顔。
「……まぐれ、か。ふん、相変わらず食えない奴だ」
オスカーは苦笑して、よっこらせ、と音が出そうな動作で立ち上がった。 足元はおぼつかないけど、背筋はピンと伸びてる。
「だが、そうだな。……今回ばかりは、認めてやる」
彼は泥だらけの手袋を外して、素手を俺に向けた。 握手? いや、違う。 拳だ。 グーを作って、突き出してくる。
「お前が隙を作らなければ、私は潰れていた。……私の盾だけでは、勇者殿を守りきれなかった」
あのプライドの塊みたいな男が、自分の不足を認めた。 でもそれは、卑屈な感じじゃない。自分のできることと、できないこと。それを全部飲み込んだ上で、「それでもやり切った」っていう自負がある顔だ。
「……オスカー、副団長」
俺は少し迷って、それから自分の手を見た。鞘を握りしめてたせいで、赤くなってる手。泥と煤で真っ黒だ。 でも、まあ、いいか。 俺も拳を握って、コツン、とオスカーの拳に合わせた。 固い感触。骨と骨が当たる、無骨な音。
「ナイス盾でしたよ、副団長。あんたが一番かっこよかった」
お世辞抜きで、そう言った。 そしたらオスカーのやつ、ちょっとだけ目を見開いて、それから照れくさそうに鼻をこすった。
「……当然だ。私はガルドリアの盾だからな」
いつもの憎まれ口だけど、声が弾んでる。 「私も!」 横から、エリシアが小さな拳を割り込ませてきた。 俺と、オスカーと、エリシア。三人の拳が、空中でぶつかり合う。
「二人とも、最高でした! 私、こんなに安心して剣を振れたの、初めてです!」
エリシアが破顔する。勇者の仮面が外れた、年相応の少女の笑顔。
「ああ。……悪くない連携だった」
オスカーも、口元を緩める。
「お前らと一緒なら、どんな地獄でも生き残れそうな気がするな」
胸の奥が、じんわりと温かくなる。 これだよ。 俺が求めてたのは、こういうのなのかもしれない。 精霊王だとか、世界の危機だとか、そんなデカい話じゃなくて。ただ、隣にいる誰かと背中を預け合って、終わった後に「やったな」って笑い合う。 泥臭くて、汗臭くて、でも何よりも眩しい瞬間。 これが騎士ってやつなら、悪くない。いや、最高だ。
「わふっ!」
足元でフェデが鳴いた。 尻尾をブンブン振って、俺たちの足の間を八の字に駆け回る。こいつも、空気が美味しくて嬉しいらしい。
『良かったな、ルーク』
ヴァルがしみじみと言う。
『ああ。……本当にな』
俺は心の中で答えて、二人の顔を見る。 オスカーの顔からは、あのどす黒い嫉妬の影が消えてる。 エリシアも、悲壮な覚悟が溶けて、今はただの仲間として笑ってる。
最強の盾と、最強の剣。そして、まあ、俺みたいな便利屋。 バランスいいじゃんか。 この三人なら、なんだってできる気がした。このまま世界樹の調査だって、魔王軍の撃退だって、きっと上手くいく。 そう信じられるくらい、今の空気は完璧だったんだ。
「……そろそろ、戻りましょうか」
エリシアが名残惜しそうに手を離す。
「そうだな。エルフたちも心配しているだろう」
オスカーが頷いて、鎧の泥を払う。その仕草すら、今は堂々として見える。
「報告しなきゃな。守護樹は浄化されたって」
俺も伸びをして、強張った肩をほぐした。 遠くから、ざわざわと人声が近づいてくるのが聞こえる。エルフたちが、結界の消失を感じ取って駆けつけてきたんだろう。
本来なら、俺は目立ちたくないから隠れたいところだけど。 今だけは。 この二人の隣に立ってても、バチは当たらないよな。
森の木漏れ日が、俺たちを照らしてる。 風が、優しく頬を撫でていく。 何もかもが報われたような、奇跡みたいな夕暮れ。 ずっと、こんな時間が続けばいいのに――そう思ってた。 マジで、思ってたんだ。
近づいてくる足音が、やけに慌ただしいことに気づくまでは。 木々の向こうから、エルフの兵士や長老たちが姿を現す。
その目が、誰を捉えているのか。 そして、誰を"見ていない"のか。 それに気づいた時、俺の背筋に冷たいものが走った。 さっきまでの温かい空気が、急速に冷えていく予感がしたんだ。
まだ、オスカーは気づいていない。 彼は満足げな表情のまま、泥だらけの胸を張って、やってきたエルフたちの方へ向き直った。
自分が果たした役割を、誇らしげに胸に抱いて。 ――その笑顔が、この後すぐに凍りつくことになるなんて。 この時の俺たちは、まだこれっぽっちも思ってなかったんだ。




