第108話 黄金の連携(後編)
音が死んでた。鼓膜が職務放棄したのか、世界そのものが悲鳴を上げて音を置き去りにしたのか。どっちでもいい。
視界を埋め尽くすのは、質量と殺意の塊だけ。
オスカーの盾が、嫌な音を立てていたる。ミシ、とか。ギチ、とか。絶対に金属が出しちゃいけない類のノイズ。ドワーフの名工が魂削って打った最高級の盾が、湿気ったビスケットみたいに歪んでいく。
あいつの膝が笑ってるなんてもんじゃない。地面にめり込んだ足首、ブーツの革が裂けそうで、見てるこっちの胃がキリキリ痛む。血管、何本かイカれてんじゃないか?
「ぐ、ぅぅぅぅぅ……ッ!!」
喉の奥から絞り出される、獣の唸り声。あいつは王族だ。いつもすました顔で、紅茶の温度だの王家の矜持だの、鼻持ちならない御託を並べてたエリート。なのに今、泥だらけで、鼻血を垂らして、それでも一歩も引いていない。
後ろにエリシアがいるからだ。勇者なんて大層な看板を背負わされた少女を守るためだけに、ただの人間が、化け物の質量を受け止めてる。
マジで、大馬鹿野郎だ。でも――悔しいくらいにカッコいいバカだ。
『ルーク殿! 猶予はありません。あの盾、あと二秒で砕けます!』
風の精霊フィオが、脳内で悲鳴をあげる。普段冷静な参謀役がここまで言うってことは、相当ヤバい。
『燃やすか!? オレの火力で、あの木の野郎ごと灰に……!』
『待ちなさいよ単細胞! ここ森よ!? エルフの都ごと焼き払う気?』
肩の上で炎のヴァルが熱くなりかけるのを、水精霊のラグが氷水をぶっかけるみたいに止める。
ああもう、うるさい! わかってるよ! 俺は鞘を握りしめた。革の感触に、じっとりと手汗がにじむ。
今ここで俺が英雄になっちまったら、命懸けで盾になってるオスカーの覚悟が、全部「前座」になっちまう。あいつが血を吐いて作ったチャンスだ。あいつが命を削って繋いだ一秒だ。俺が主役になっちゃいけない。
あくまで、黒子。あくまで、Dランク訓練生の「まぐれ当たり」。あるいは――オスカーの気迫が呼んだ奇跡に見せかける。
『旦那ァ、どうすんだよ! オレが雷で痺れさせるか?』
雷のアルクが髪の毛の中でバチバチ鳴る。
『いけません。あの巨体、生半可な雷撃では動きは止まりませんわ。むしろ怒らせるだけです』
氷のフロスが冷静に却下する。
『おやかた、足場なら儂が固めてやるが……それも長くは持たんぞ』
土のオルドの声も重い。全員、やる気満々かよ。六体の上位精霊が揃い踏みとか、普通なら国が傾く戦力過剰だ。でも、相手は理不尽の権化。これくらいがちょうどいい。
「フィオ、ヴァル! 複合だ!」
『おうよ!』
『風と炎……螺旋を描いて、熱を一点に穿ちますか?』
「そうだ。ただし――派手な爆発はなしだ。オスカーの盾の裏側から、衝撃を逃がすように流し込め!」
『無茶言わないでください! 針の穴を通すような制御が必要ですよ!?』
フロスが呆れたようにため息をつくのが聞こえた気がした。
『やれんだろ、俺たちなら! いくぞ!』
俺は一歩、踏み込んだ。思考を加速させる。体の中にある「力の堰」を、一瞬だけ全開にするイメージ。
ドクン、と心臓が跳ねた。全身の血液が沸騰する。霊素が暴れ出そうとするのを、必死に理性でねじ伏せる。漏らすな。溢れさせるな。指先の一点に、台風みたいなエネルギーを圧縮しろ。
「――貫け!」
突き出したのは、ただの鞘。でも、そこから放たれたのは見えない風の弾丸。その芯には、ヴァルの灼熱が髪の毛一本分くらいの密度で封じ込められてる。
ヒュンッ――! 風切り音すら置き去りにして、そいつは戦場を裂いた。
狙いは、守護樹の重心。オスカーの盾を押し潰そうとしている、あの巨大な幹の「支点」。
ドォォォンッ!! 腹の底に響く、くぐもった爆音。
派手さはない。でも、効果は劇的だった。内側で弾けた熱膨張と、フィオの風が作り出した真空の歪み。それが巨木のバランスを根こそぎ奪い去ったんだ。
ズズズッ……と、山のような巨体が揺らぐ。オスカーにかかっていた理不尽な圧力が、フワッと消えた。
「な……っ!?」
オスカーが目を見開く。何が起きたか見えてないはずだ。自分の気迫で押し返したと思ったかもしれない。それでいい。今は、それが正解だ。あいつの瞳に、光が戻る。絶望の淵で溺れかけてた男が、水面から顔を出して息を吸い込んだ時みたいな、強烈な生の輝き。
「今だ……ッ! 勇者殿ぉぉぉッ!!」
喉が裂けんばかりの絶叫。それは単なる合図じゃなかった。あいつの魂からの叫びだ。俺が支えた、俺が作った、だからお前が決めろっていう、信頼と懇願がないまぜになった咆哮。
応えないわけがない。俺の後ろで、ずっと息を潜めてた光が、弾けた。
「――はああああああッ!!」
エリシアだ。
もう霊素なんて残ってないはずなのに。立ってるのが不思議なくらい消耗してるはずなのに。彼女の聖剣が、ありえない輝きを放ってる。
命を燃やしてるんだ。オスカーが繋いだこの一瞬を、絶対に無駄にしないために。
美しいと思った。不謹慎かもしれないけど、マジで、心臓が止まるかと思うくらい綺麗だった。
白銀の軌跡。
空気が裂ける音と、黒い泥が蒸発する音が重なる。
一閃。ただの一撃。でも、それは何百回振るっても届かなかった「決定打」だ。
ズバァァァァンッ!!
守護樹の幹、その核が真っ二つに両断される。断末魔の叫びみたいな音が響いて、黒い瘴気が霧散していく。再生しようとしていた泥が、光に焼かれてサラサラの土に戻っていく。
巨体が、ゆっくりと崩れ落ちた。
地響き。土煙。
そして――静寂。
終わった。俺は肩で息をしながら、へたり込みそうになる膝をなんとか支えた。
やべぇ、ちょっと張り切りすぎたか? 指先が痺れて感覚がない。
『旦那、ナイスコントロール! 痺れたぜ!』
アルクが能天気に褒めてくるけど、今は返事をする余裕もない。
土煙が晴れていく。その向こうに、二人の姿があった。
オスカーは、盾を構えたまま固まってた。まるで彫像みたいに。でも、その肩が激しく上下してるのを見て、生きてるってわかってホッとする。
その横に、エリシアが剣を下ろして立っている。ふらりと、彼女の体が揺れた。
「っと……」
倒れそうになった彼女を、オスカーが咄嗟に支える。盾を投げ捨てて、泥だらけの手で、彼女の肩を抱き留める。
「……勇者殿。無事、か」
「オスカー……様。貴方が……支えてくれたから」
エリシアが笑った。泥と汗にまみれて、髪もボサボサで、顔色なんて真っ青なのに。今まで見たどんな笑顔より、人間くさくて、柔らかい顔だった。
「ありがとう。貴方がいなければ、私は折れていました」
「……いや。私は、ただ」
オスカーが言葉を詰まらせる。あいつの顔を見たら、泣きそうな顔をしてた。王族としての仮面も、副団長としての威厳も、全部剥がれ落ちて。ただの男の子みたいに、くしゃくしゃな顔で。
俺は、なんとなく近づいていった。邪魔しちゃ悪いかな、とも思ったけど、足が勝手に動いたんだ。
オスカーがこっちを見る。その目には、もう嫉妬の濁りなんてなかった。あるのは、強烈なまでの充足感。
自分はここにいていいんだって。光の隣に立つ資格は、血筋でも才能でもなく、こうやって泥にまみれて一緒に命を張った瞬間にこそ宿るもんだって、噛み締めてるような顔。
オスカーが支え、俺が崩し、エリシアが断つ。
言葉なんていらなかった。パズルのピースが吸い込まれるみたいに、三人の行動が完璧に噛み合った瞬間。あの瞬間の高揚感だけが、まだ指先に残ってる。
オスカーが、ふらつく足取りでこっちに一歩、踏み出してくる。何かを言おうとして、唇を震わせて。 でも言葉にならなくて、代わりに不器用な笑みが浮かんだ。
ああ、大丈夫だ。こいつはもう、折れない。俺たちは、間違いなく「最高のパーティ」だった。




