第七章 指輪の再燃
心の奥底に沈めていた感情が、静かに息を潜めていたはずだったのに、ふいに目を覚ます。
私の視線は、彼女の左手の中指へと吸い寄せられた。そこに光る指輪が、胸の奥にじんわりと火を灯した。
――ジェラシー。
私はこれまで、彼女の仕事を理解し、尊重しようと自分に言い聞かせてきた。
だが、心の奥底に眠る炎は、そう簡単には消せない。
控えめな街灯の下、夜風が頬を撫でる。
私は勇気を振り絞り、声に出す。いや、それは勇気ではなく嫉妬。
彼女と会っていたその夜、私は感情の高まりを抑えきれず、
> 「俺は邪魔なのか?君にとって一番は、あの人なんだろう?」
彼女は指輪をそっと触りながら視線を落とす。
> 「その方は遠くにいて、会いに来れないんです」
沈黙が二人を包む。
微かに香る夜の匂い、ワイングラスの残り香、店先のランプの暖色。
私の心臓は早鐘のように打つが、言葉はそれ以上出ない。
良心が痛み、彼女を追い詰めることを避けたのだ。
彼女が見送ってくれた後、堪えきれずにスマートフォンを手に取り、君にメールを送った。
> 「まだ帰り道か?今日はありがとう。…その指輪、いくらくらいするんだろう。
俺もいつか貯めて買って、プロポーズしたいんだ。俺の場合は“真のプロポーズ”になるけど、な」
送信ボタンを押すと、胸が痛いほど高鳴る。
指が震え、呼吸がわずかに乱れる。既読の文字が画面に現れ、しばらくの沈黙。
画面に、彼女の返信が浮かぶ。
> 「ありがとうございます☺️♡ そんなに気にしなくて大丈夫です。
もしおねだりするなら…クリスマスや特別な日に、シャンパンをご一緒できたら嬉しいです」
私は息を吐いた。肩の力が抜けると同時に、胸に小さな虚しさが広がる。
指輪は、彼女にとってただの仕事上の贈り物なのか。
もどかしい思いが再び湧き、私は画面をタップする。
> 「俺は君に、“形”として愛を示したいんだ。
周りの男たちはプレゼントで示す。俺は、まだその土俵に上がれていない」
返信はやさしく、しかしはっきりと線を引く響きを帯びていた。
> 「そこまで考えてくださってありがとうございます。
お店での成績も、私にとって大きなプレゼントです。形にこだわらず、シャンパンを入れていただけるのが一番嬉しいです☺️」
画面を見つめながら、私は拳を軽く握る。
胸の中の焦燥感と嫉妬が、抑えきれずに揺れる。
> 「正直、指輪は外してほしい。俺はジェラシーを抑えられないかもしれない」
数分後、画面に文字が浮かぶ。
> 「次回は特別に外しますね。
でも急に付け始めたせいで、他のお客様からも言われてしまって…正直、悲しいんです。
どんな服を着ようと、どんなアクセサリーをつけようと、女の子の自由なのに…。
もうアクセサリーは誰からも受け取りたくないくらいで…ごめんなさい」
胸が痛む。画面の向こうで、君もまた複雑な気持ちを抱えているのだ。
私は自分の嫉妬が、彼女を苦しめていることを痛感する。
何度も、何度も、気持ちを打ち明ける。
> 「君は仕事、俺は本気の恋。相容れないのは分かってる。
それでも俺は愛してる。何百回も去ろうと思ったけど、それができなかった。
俺にとって、君はマリアナ海溝より深い愛だ」
返事は揺るがない。
> 「ありがとうございます。
でも、私は私の考えを曲げずに動きます。理解できない方は去る。それで仕方ありません。
応援してくださる方には感謝しています」
私はスマートフォンを握りしめ、呼吸を整える。
君の矜持。強い言葉であっても、夜の世界で生き抜くために必要な線引きなのだ。
数日後、再び未練に駆られてメールを送る。
> 「贈った男性は、薬指につけてほしいと思っていたかもしれない。
でも君は中指に着けている。その許容の広さに、俺のジェラシーは余計に燃える」
すぐに返信が届く。
> 「その指につけてほしいと指定されたことはありません。
ホステスのオシャレとして必要だから身につけているだけです。
…でも、この一件で心が削られました。もう考えるのをやめて休みます」
私はスマートフォンを置き、机に額を預ける。
彼女を傷つけているのは他でもない、私の嫉妬だ。
――指輪は、私と彼女の心の間に横たわる象徴のように、静かに輝く。
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メールのやり取りを経て、彼女に会いに行った夜、
彼女は指輪を外していた。
彼女が指輪を外していたその夜。私は胸の奥に重い石を抱えたまま、彼女の笑顔をまともに見られなかった。グラスを持つ手は震え、何を話したのか覚えていない。
ただ、良心の痛みが言葉をすべて奪った。
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次のある夜。
食事を終え、会計を済ませて席に戻る。
手にしたのは、掌にのせると、漆黒のベルベットのように落ち着いた風格を漂わせる箱。
中には真っ赤な薔薇のプリザーブドフラワーが永遠の姿を留め、光を受けてかすかに揺れている。
箱の下には小さな引き出しがあり、指輪を収めるスペースがそっと用意されていた。
私は息を整え、彼女に差し出す。
「ここには、君に贈る指輪をいつか収めてほしい。俺の想いも一緒に」
引き出しには手紙を忍ばせた。
英語で “eternal love”、そして和歌。直近で知った千年も昔の歌人の歌。
> ちはやぶる
神の斎垣も越えぬべし
恋しき人のみまくほしさに
「結婚してほしい。いつまでも待つ」
彼女は黙ったまま私を見つめる。
指先がそっと薔薇に触れ、光を受けて揺れる。
頷いたようにも見えたが、それ以上の言葉は返さなかった。
その沈黙こそが、彼女の答えであるかのように。
私はそっと、その夜を閉じる。
指輪のことは胸の奥に仕舞い込み、彼女の新しい世界を一緒に楽しむと心に決めた。




