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化かしあい  作者: しげ吉
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9/24

夕暮れ

吉乃は、ぜえぜえと肩で荒く息をした。


目の前では、「上手、上手」とのんきに手を叩いて喜んでいる武秀がいる。


事の発端は、武秀からの「化け比べをしよう」という提案だった。


曰く、今まで狐が化けるところを見たことがないので、見てみたいということだった。


武秀は、小さい頃から好奇心旺盛であった。


ただ化けるだけならば、吉乃の得意とするところで、何の問題もない。


しかし、お手玉に化けてと言われて化ければ、手のひらでくるくると回される。


犬に化ければ、お腹をくすぐられる。


赤子に化ければ、とんでもない高さまで高い高いをされる。


悪意があるのかないのか、わからない。


ただ、これが無邪気で許される範囲ならば、相当たちが悪い。


吉乃は負けじと、武秀を独楽に化けさせて回してみた。


しかし、武秀は目を回すどころか、けらけらと笑って楽しむ始末である。


驚いたのは、武秀の化ける能力の高さだった。


吉乃は今まで、自分より上手く化けられる者はいないと自負していた。


しかし、武秀の化ける能力は、自分のそれを遥かに上回っていた。


「殿は……化けるのが……とても、お上手……なのですね」


息を整えながら、吉乃は言った。


「吉乃だって、すごく上手だよ」


お世辞ではなかった。


武秀もまた、吉乃の化ける能力は高いと思った。


矢継ぎ早に化けることを要求すれば、どこかで元の姿に戻る際に、ぼろが出るかと思った。


しかし、ついぞそれらしきものは見えなかった。


自分と同じ、化けることが得意な花嫁。


本人が気づいているかはわからないが、少々むきになって食らいついてくる様子は可愛らしいと、武秀は思った。


「吉乃は、負けず嫌いだね」


「いえ、そのような……」


「実は、俺も負けず嫌いなんだ」


ーというより、負けることが許されない環境で育ったんだ。


武秀は、ぽつりと言った。


その言葉を聞き、自分もそうであったと吉乃は思う。


吉乃にとって、負けることは死ぬことだった。


武秀は、吉乃の本当の出自を知らない。


それでも、心に触れるようなことをぽつりと言ってくる。


天性の人たらしなのだ、と吉乃には思えた。


「まだまだ遊んでいたいけど、仕事に行かなくちゃ」


「そうでございますか」


武秀の言葉に、吉乃は内心ほっと息を吐いた。


ようやく、この得体の知れない男から解放される。


「もう少し寂しそうにしてよ」


そう言う武秀の顔は、少し寂しそうだった。


「今宵、お待ちしております」


吉乃は深々と頭を下げた。


武秀は何も言わない。


そっと吉乃が顔を上げると、武秀がちょいちょいと手招きをした。


何かと思い、吉乃はそろそろと歩み寄る。


武秀は吉乃の肩に手を添え、顔を近づけると、耳元で囁いた。


「実は、城中では、みだりに化けることは禁じられている」


化ける者同士が互いに疑心暗鬼にならないため、いつの間にか、そのようなしきたりができた。


とはいえ、武秀は幼い頃から、隠れてそれを破っている。


「……では、先ほどの遊びは……」


「吉乃と俺だけの秘密の遊びだよ」


ただし、と言った武秀の声は、いつもより暗く、低かった。


「俺以外の前では化けるな。あらぬ疑いをかけられたくなければ、ね」


吉乃の背筋に冷たいものが走った。


言外に、この男は告げているのだ。


自分のいない間、おとなしくしているようにと。


先ほどの化け比べは、ただの遊びではない。


化け方の癖を見られていたのだ。


吉乃の表情がこわばるのを見て、武秀はふっといつもの笑顔に戻った。


「侍女方にも、よろしく伝えて」


手をひらひらと振り、部屋を出ていく。


武秀がいなくなると、吉乃は脱力し、その場に座り込みそうになった。


自分は、いったい何者を相手にしようとしているのか。


「殿は、お帰りですか」


綾女が顔を出した。


吉乃の顔色が悪いのを、さして気にする様子もない。


「ずいぶんと楽しそうなお声が聞こえました」


「綾女……」


「はい?」


「あいつの前で、下手な動きは控えよ」


その命令口調に、綾女は少しむっとした顔をした。


「私には、私のやりようがございます」


「我々は、相応の時間を稼がねばならぬ。時期が来るより先に騒ぎを起こしてはならぬと、言っているのだ」


「何か、ございましたか?」


綾女はようやく、何事かを察したようだった。


吉乃は、ただ、勝手な振る舞いは控えるようにとだけ釘を刺した。


それが綾女に効果があったかは、わからない。


吉乃は、夜が来るのが少し怖いと思った。


*


表向きの仕事が終わると、武秀はやれやれと肩を回した。


狐の一族の土地だけでなく、狸の一族の土地にも、不作に見舞われた田畑が多いという報告を受けた。


花嫁行列は、狸の一族の土地の中では、あえて不作の地を避けて通った。


こちらは飢饉による被害が少なく、狐側より有利であることを見せつけるためだった。


和議に先立つ戦は、狸の一族が有利に終わったとはいえ、痛み分けに近かった。


戦は、勝っても負けても、土地は荒れ、民は窮する。


多額の賠償金を狐の一族から受け取ることはできなかった。


代わりに、土地の一部と花嫁をもらった。


もう少し戦えば、狐の一族を壊滅状態にできたのにと、叔父の正信は口惜しそうに言った。


しかし、武秀の父は、兵の中には農民もおり、これ以上長引けば農繁期に響くと判断して、和議を結んだ。


表向きは、そうなっている。


ただ、内情は少し違った。


一通りの仕事が終わり、家臣たちが部屋を出ていく。


武秀も部屋を出ようとしたとき、父・武信に呼び止められた。


「武秀、こちらへ」


父に呼ばれ、武秀は奥の間に入った。


襖を閉め、武信と武秀の二人きりになる。


武信は辛そうに顔を歪め、その場に座り込んだ。


「横になられますか」


武秀はあえて人を呼ばず、父を支えるようにして横にならせた。


父の身体が軽くなった、と思った。


父は病に侵されている。


そのことを知る者は限られていた。


異母弟である正信にすら、武信は自らの病を秘している。


過去のお家騒動で、正信は武信と対立した和信に味方していた。


そのことで、二人の間には、なお深い溝があるようだった。


横になり、苦しそうに息をする父の背を、武秀は労わるように撫でた。


「お前は、優しい息子じゃ」


―息子。


その言葉に、武秀の胸がちくりと痛む。


「せめて、お前がもう少し年長であればのう。わしが死んでも、誰もそなたが当主となることを阻むまいに」


ごほごほと父が咳き込むのを、武秀は辛そうに見た。


叔父の正信は、武信が気弱であると、外で公然と責めることを憚らない。


父は母やその実家の操り人形であると、陰で言う者もいた。


過去にあった狸の一族のお家騒動は、今なお、くすぶり続けている。


お家騒動が再燃すれば、狐の一族や、同盟関係でありながら油断のならぬ犬の一族に攻められるだろう。


父は、先の戦を、自らの病や家の事情によって長引かせることができなかったのだ。


「情けない父であるの」


武秀は首を振った。


「民のために戦を長引かせない。ご英断だったと思います。あれ以上長引けば、犬の一族が漁夫の利を狙ってくるおそれもありました」


武信はふっと笑った。


「お前は、思いやり深く、賢き子じゃ。わしに似ず、よき当主となろう」


そう思えばこそ、年若いがゆえにその座を追われるかもしれぬ武秀を、武信は不憫に思った。


「あと十年、生きたいものだ」


「生きますとも」


「そうか」


「はい」


秋の夕日に、室内が赤く染まる。


父子はそのまま、何も語らなかった。


日はあっという間に暮れ、細い虫の音がリーリーと聞こえてくる。


父の苦しげな息は、いつしか寝息へと変わっていた。


吉乃のもとへ行かなければと、武秀はぼんやりと考えた。


しかし、父の側を離れることができなかった。

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