探り合い
「何もなかっただぁ!?」
屋敷に太助の大きな声が響いた。
その声に、和永は割れんばかりに痛む二日酔いの頭を抱えた。
「相変わらず声が大きいなあ、太助は」
武秀は悪びれもせずに言った。
「初夜の翌朝にうちへ来るなんて、何のつもりかと思えば。そりゃ相手に悪いだろう」
太助は、信じられないものを見るように武秀を見た。
「そうかな」
武秀は肩をすぼめた。
その横で、和永は少しほっとしていた。
「だって、眠かったんだ。起きたら、もうそんな時間でもないし」
「お前なあ。和永といい、お前といい、どうしてそう女に興味がないんだ」
「和永も?」
武秀は、青い顔をした和永を見た。
「ああ。こいつ、あの綾女とかいう美女に見られていたのに、そっぽを向きやがった。寺育ちのこいつはまあいいとして……お前は次期当主だろう。女の一人や二人、さっさと孕ませられないでどうする」
太助の歯に衣着せぬ物言いに、武秀は思わず苦笑した。
「なんていうかさ、俺は情緒を大事にしたいんだよ。気心が通じてこそ、抱けるというか」
「お前なあ……」
太助は武秀の両肩に手を置き、やれやれと頭を振った。
まだ年若い武秀には、そちらの方面は早すぎるのかもしれない。
太助は、頼りなく思った。
和永は、二杯目の水をゆっくりと飲み干した。
「そういえば、和永」
自分に話を向けられ、和永はどきりとした。
「昨日、宴のときに、俺に何か言っただろう。周りがうるさくて聞こえなくてさ。何と言ったんだ?」
武秀と太助の視線が、和永に集まった。
朝一番に武秀と顔を合わせるとは思っていなかった和永は、花嫁の秘密をどう伝えればいいのか、まだ整理できていなかった。
隠し事の出来ない太助の前で話すことにもためらいがある。
だが、それ以上に、言いたくないという気持ちがあった。
「あれは……その」
口を開こうとした途端、胃の底からこみ上げてくるものがあった。
さすがに武秀の前で吐くわけにはいかない。
和永は慌てて立ち上がると、小走りで庭へ出ていった。
「珍しいな、和永があんなに酔うなんて。酒は嫌いなはずなのに……」
武秀は、すとんと腰を下ろして言った。
「なんだか、やけ酒をあおっているみたいに見えたから、俺は途中で止めたんだがなあ。確かに、いつもの和永らしくないな」
太助も首をひねった。
「しばらく話はできなさそうだし、出直すとするか」
武秀は、やれやれと息を吐いた。
自分が感じた違和感が、和永の目にはどう映ったのか。
それを確かめたくて、ここまで来たのだ。
だが、普段はしっかり者の和永が、こんな状態になっているとは予想していなかった。
さて、花嫁にはどう接したものか。
武秀は、ひとりごちた。
*
吉乃は、物憂げに脇息にもたれながら、見慣れぬ庭の秋を眺めていた。
初夜をどうするか。
朝は何を話すか。
そんなことまで、用意周到に考えていた。
しかし、初夜は何事もなく終わり、武秀は夜明け前に床を出たきり、戻ってこない。
「殿はいずこに」
そう尋ねれば、狸の侍女は、
「お友達のところに行かれましたよ」
と、けんもほろろに返してきた。
吉乃は、なんだか出鼻をくじかれたような気持ちになった。
侍女が読み聞かせてくれる物語など、面白くない。
暇で暇で眠ってしまいそうだと気を抜いていたところに、
「殿がいらっしゃいました」
と声をかけられ、吉乃は慌てて姿勢を正した。
「お邪魔だったかな」
昨日と変わらず、人のよい笑顔を浮かべて武秀が入ってきた。
「いえ、邪魔などと……」
どうにも調子を崩されっぱなしの吉乃は、取り繕うように笑った。
綾女の視線が、監視するかのように鋭くなる。
それを感じ取り、吉乃は表情を引き締めた。
「なに、仲が悪いの?」
「は?」
武秀に言われ、吉乃は一瞬、何のことかわからなかった。
だが、綾女のことを言われているのだと気づき、綾女の方へきっと目をやった。
「お邪魔なのはこちらでしょう。失礼いたします」
綾女が頭を下げて立ち上がると、ほかの侍女たちもそれに続いて下がっていった。
「狐の一族はみんな、こんな感じなの?」
「こんな感じとは……」
「なんか、冷たいというか、警戒心が強そうというか」
だから、態度には気をつけるべきなのだ。
吉乃は、綾女を苦々しく思った。
「今朝は、お友達のところへ行かれたとうかがいましたが……」
吉乃は、なるべく不自然にならないように話題を変えた。
「太助の家に行ったんだ。和永が太助のところにいると聞いてね」
「ああ、太助と和永ってのは俺の従兄弟ね」と、武秀は言い添えた。
それから、何かを思い出したように笑った。
「相手に悪いって言われたよ」
「相手に悪い?」
「吉乃を抱かずに、しかも今朝、放っておいたこと」
放置された側としては、どんな顔をすればよいのかわからない。
吉乃が返事に困っていると、
「ちょっと貸して~」
と言って、武秀がいきなり吉乃の膝に頭をのせ、横になった。
吉乃はぎょっとした。
武秀は、吉乃の膝の上で、へにゃりと締まりのない顔をしている。
「俺、夢だったんだよね~。嫁に膝枕してもらうの」
「はあ……」
いまいちつかみどころのない男を、どう誑かせばいいものか。
吉乃は、戸惑いを隠せなかった。
「俺たちは、政略結婚だけど……」
武秀は目を細め、吉乃を見上げた。
「仲良くなれたら嬉しい」
秋風が、御簾をかすかに揺らした。
「私も……殿に愛でていただければ嬉しく思います」
吉乃がそう答えても、武秀にはあまり響いていないようだった。
膝枕をしたまま、武秀は吉乃の顔にすっと手を伸ばした。
「陶器のような白い肌……綺麗な顔……」
寝屋でも思った。
「まるで、作り物みたい」
その言葉に、吉乃の胸がわずかに跳ねた。
――気づかれた?
一瞬、息が止まりそうになる。
だが、ここで動揺を見せるわけにはいかない。
吉乃は、ごく自然に戸惑ったような声を出した。
「そう、でしょうか……」
武秀の指が、吉乃の白い頬を撫でた。
その手は、触れているようで、その実、まだ何も触れていないようだった。
表面を、ただ滑っただけ。
武秀は、吉乃をじっと見つめた。
吉乃は、目を逸らせばかえって怪しまれる気がして、視線を外さなかった。
「ねえ、吉乃。俺はまだ、お前をよく知らないからさ。一緒に遊ぼうよ」
「遊び、ですか。どのような……」
吉乃には、武秀の真意がつかめない。
武秀は視線を逸らさないまま、にっこりと笑って言った。
「俺と、化け比べしよう」




